駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

同業者を受診

2009年02月04日 | 身辺記
 医者は結核検診を受けなければならない。当然だが自分で自分の診断書は書けないことになっているので、友人の診療所を訪れた。待合室で待っていると、どうしてもスッタフの様子や待合室の設えが気になる。A先生の診療所は繁華街にあるせいか鰻の寝床式に長く、トイレ、診察室、レントゲンとどんどん奥へ進む作りになっている。
 受付嬢は若く感じが良く丁寧だ。看護師さんはたぶん三十代、四十代、五十代と思われる三人でこれも感じよくテキパキしており、感心した。たぶん、私が同業者ということを知っているので、多少は丁寧なのかも知れない。当院も感じよくやってくれているだろうかと気になる。
 待っている患者さんは当院より若い人が多く、患者同士の雑談がほとんどない。おそらく住居でなく、勤め先の近くの医院に来ているためだろう。当院はおばさんやお婆さんたちが話し込んで騒がしい。自分の順番に呼ばれても気が付かなかったり、人の順番で入ってこようとしたりして困る。小学生じゃあるまいし、私語は止めましょうと張り出せないし。
 異常なしの証明を書いてもらいながら、少し雑談。「後期高齢者の病名の開始日を誕生日に統一するなんて、おかしいですよね。病気になった日がわからなくなっちゃうじゃありませんか」。「ほんとに、妙なことを考えますね」。と行政事務の不可解を嘆き合う。
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最後の砦だったか

2009年02月04日 | 世の中
 2月3日の日経夕刊に鹿島茂が「最後の砦の陥落」と題して、文化の最後の砦であるはずの医者が諸般の事情から完全に無教養層に転落しつつあると書いている。かって開業医は暇、金、ある程度のインテリジェンスの三つの財産を持っており、それによって文化の一翼を担っていた。ところが、今や暇インテリジェンスはもとより、金さえも危ういと暴露している。フランス文学者がどうして、他業種の生活を知っているのかわからないが、当たらずとも遠からずだろう。
 私くらいの年になれば、暇はないことはない。ただ、まとまった時間は作りにくい。仕事場(医院)でも冬季でなければ、午後など患者さんが2,30分一人も来ないことはよくある。そうした時は大抵は医療関係の書類を書いているが、最近はブログを書くこともある。週に2,3回は午後7時半くらいには帰宅できるので、2,3時間の時間は作ろうと思えば作れるようになった。
 医者は金持ちというのは既に伝説にすぎないと書かれているが、それは確かで絵画や骨董品を買う余裕は全くない。まだ小金持ちではあるので、指定席が満席の時グリーン車に乗ったり、時々一つ星のレストランへ行くことはできる。
 インテリジェンスはとうの昔に覚束ない。ワイン好きの医師と飲むと受験勉強式にヴィンテージワインの葡萄の種類、産地やシャトー、生産年の出来具合などを諳んじて気炎を上げるのはよいが、肝心のフランスの歴史をよく知らないのでびっくりしてしまう。私の知識なんて高校生レベルなのに。
 しかしまあ、医者が最後の砦と言われるくらいだから、他業種で文化を担う人々は推して知るべしの状況らしい。最後の砦が崩れ日本は非文化国家へ転落するというのが鹿島茂の結論だが、果たしてどんなものか。

 蛇足。政治家の漢字の読み間違いを揚げ足取りと軽く扱おうとする向きもあるようだが、読み間違いは大きな問題ではない。碌に予習せず,自分が知らないことを平気で知っているように言うことが問題なのだ。「うずちゅう」などという言葉を聞いたことがあるか。頻繁というのはしばしばしきりにということ,煩雑はわずらわしいということ。儂は英語で女が口説けると豪語する人があなたとのおつきあいは煩雑でとおっしゃるようでは、百年の恋も冷める。鹿島茂の予言は既に当たっている?。
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