駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

絶滅危惧種の気分

2009年02月27日 | 診療
 十年くらい前だったか、どうも飯が不味いという爺さんを診察したら、上腹部に小さいステーキのようなしこりが触れた。これは胃に何かあると総合病院に紹介状を書いた。数日して爺さんが返事を持ってやってきた。胃癌で手術が必要と書いてある。「何度も本当に触っただけかと聞かれました」。触っただけで分かるはずがないと信じられなかったようである。
 私を教育してくれた先輩達は腹部触診のコツをそっと教えてくれた。それぞれ先輩の先輩から教わったコツに自分の経験を合わせて編み出した簡単ではあるが独特の方法だった。たぶん、私が耳を傾ける良い生徒だったこともあると思う。最近の研修医は腹部を触る時はこうやってと教えても興味を示さない奴が多い。確かにエコーやCTのある時代に、腹の触り方など何を勿体を付けてと思う気持ちも分からぬではないが。
 一昨日も高血圧でいつも来ているT婆さんが腹が痛いとやってきた。触診すると急性虫垂炎の所見なので、入院手術が必要と思いますと紹介したら、CTで急性虫垂炎の所見がありましたので、手術させて頂きましたと返事が来た。ああそうした時代なんだと改めて思った。問診や触診に依る診断はその正確度では画像診断に敵わないが、私の年代の医者には問診と診察が診断の根幹で画像診断はそれを確認補佐するものという印象がある。勿論、症状や所見のない初期の病変は画像診断の独壇場であるのだが。
 それともう一つ、日本人の悪い性向だが、診察所見での診断が画像診断で覆された時、何となく馬鹿にしたり恥ずかしいと思ったりする習性があるので、余計に診察の腕を磨く努力がおざなりになってきているのだろうと思う。
 引退したりもう居ない先輩達はお前程度でと言うだろうが、なんだか絶滅危惧種になっていくようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二月は逃げる

2009年02月27日 | 身辺記
 今日は雨がやんで曇り空の下を出勤した。青空は見えなくても穏やかでさほど寒くなく、良い気分で歩けた。雨が続いたせいか風邪の患者さんはほとんど居なくなり、花粉症も一段落だ。
 診察が始まる前にのんびりコーヒが飲める。何気なくカレンダーに目をやると二月はあと二日しかない。母がよく言っていた「二月は逃げる」と。
 確かにたかだか二、三日のことだが他の月より随分短く感じる。短い月を西向く士と教わったが、二月だけ飛び抜けて短い。私が思うにどこかのあまり賢くない皇帝か妃が寒いのが嫌いで、寒い二月を短くしたのではないか。なんたって、ローマ皇帝は七月をJuly八月をAugustにしてしまうくらいだから。これは全くの思いつき。
 人間の感覚はいろんなことに影響されるから、子供心に残った逃げる二月の暗示効果もあるかも知れない。個人的には六月と九月はあまり短く感じない。四月と十一月はやや短く感ずる。一月と八月を長く感じるような気がする。
 月を数字で表すと計算はしやすいが、情感に乏しい。なんで昔の月の呼び方を捨ててしまったのだろう。父や母はこういった話題が好きで、きっと話に花が咲いたと思うが、今はコーヒのお茶菓子代わりに一人で連想するばかりだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする