駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

同級生来訪

2009年02月08日 | 人生
 同級生のSが当地を訪ねてきた。三十五年前の最初の赴任地再訪、人には年を取るとなぜか来た道をなぞる習性がある。
 「随分変わったなあ、全く面影がないや、ああこの公園は憶えている。いつも酔って帰り、よく途中で寝ちゃったんだ。犬に舐められて目が覚めたんだよね」。
 Sがそんなに大酒飲みとは知らなかった。「もう弱くなった。日本酒は残るんで止めて、今は焼酎にしているよ。若い時はほとんど毎日一升飲んでたよ」。
 学生の時は出席番号が離れていたし、特に親しいわけではなかったのでほとんど一緒に飲み食いはしなかった。なんだか仙人のような奴がいるなあと思っていた。
 「この酒は旨いなあ」。行きつけの懐石料理屋の女将肝煎り、当地一番の吟醸酒だ。「ここから群馬へ回り後期研修して大学に戻り、三重に出張して5年居たかなあ」。
 奥さんにはここは新婚、長男出産の地ということで格別の思いがあるようで、城趾の石垣や古い市役所の写真を撮っておられた。一言もご主人の飲酒に愚痴をこぼされなかった。
 Sは感ずるところがあったか、医局を辞め三重の出張病院から奥さんの故郷四国の病院へ就職した由。そう決めたある日、三重の出張病院に教授がひょっこりやって来られSに「おい、便箋を持ってこい」。と言われた。なんだろとSが便箋を持って行くと「俺が紹介状を書いてやる」。と就職する病院の院長に紹介状を書いてくれたそうだ。それが役に立ったようで、新しい病院に就職してしばらくして部長になった。ある時そこの院長に、「実は医局を追い出されたしょうもない奴が来るんではないかと心配していたが、あの紹介状があって安心したんですよ」と言われたと話してくれた。科が違うので直接Sの教授を存じ上げるわけではないが、厳つく恐い人だったとの印象があり、意外な一面を知った思いがした。「**さんやさしかったんだ」。「いや、やっぱり恐かったよ。二回厳しく叱られた」。
 **教授は確か数年前に亡くなられた。
 「今年も電車に乗って二人で墓参りに行ってきたよ」。
コメント (5)
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