玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*7割の憂鬱

2009年06月22日 | 捨て猫の独り言

 今年の3月に出版された 「7割の憂鬱」 を偶然手にしました。副題は 「松井秀喜とは何か」 です。著者は 「私はプロレスの味方です」 や直木賞受賞作品 「時代屋の女房」 などの村松友視です。著者がこれまでに 「ぞわぞわ」 したスーパースターの系譜は、力道山、プレスリー、モハメド・アリ、長嶋茂雄そして松井秀喜といいます。高校球児のときの松井秀喜の五打席連続四球のシーンがその出発点のようです。「べつに気にしません。ボクがピッチャーでもそうするでしょう」 と敬遠した相手ピッチャーに対する気遣いと、自信に満ちた大人びたコメントに多くの人達は舌を巻きました。

 ここ数年ほどの間に私の関心は日本のプロ野球からメジャーリーグに移りました。私のようなぼやけた移行ではなく、著者は松井秀喜という一人の日本人選手を通してヤンキースにのめりこんでいきます。松井秀喜のヤンキース2年目の04年には120近い数の試合をテレビ観戦し、分厚いノートにメモをとりながら松井秀喜ウオッチング続けたといいます。その度外れた入れ込みように私は励まされます。

 松井秀喜は、06年にはレッドソックス戦で左手首骨折、07年には右膝の損傷、08年終了間際の左膝の内視鏡手術をするなど重苦しい時間が続いています。打者は打って三割なんぼ、残り七割を消したいというのが普通ですが、大人びた松井秀喜にはその七割の憂鬱に滋味があり、雅味があり、奥行があると怪我をかかえながらのプレーに声援を送り続けるのです。

 インタビューに見る日本人選手の個性についてつぎのように表現しています。野茂の屈託、伊良部の苛立ち、佐々木の緊張、イチローの言葉のワザのようなものが松井秀喜にはない。この人だけはインタビューで炙り出すことができぬ、不可解ともいえる類まれなる自然体、平常心の持ち主といいます。そこにはインタビューをする者とされる者同士が、互いに相手の気持ちを忖度し同じレベルでの心の交流が一瞬にして生じていると著者は解読しています。

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