3月以降、どこかで何らかの形でご一緒した方々と集まる機会が多々あった。食事会をメインにしたものが多く、往復ハガキやメールが舞い込んだ。知己からの呼び掛けは週末が多く、他用と重なったがそれでもアレコレ工面してイソイソと出かけたのだった。
昨年初参加して今年も念願していたお祭りは、仙台で催された船友との2泊3日の旅と重なり諦めざるを得なかった。例年参加させて頂いてた個人宅での食事会も、他用で断念せざるを得なかった。そして思い出す。今年はどこそこで戦友会、来年はあっちで戦友会と私やツレアイの両親が出掛けて来た事を。そしてそのまま決って我家迄足を延ばしていた事を。
我が家でしばし休息をとる彼らは、戦友会の流れそのままに誰それは元気そうだったとか、聞いてきたばかりの訃報にまつわる続きの話をしながら感慨に耽っていた。今私の両親は既に亡く、ツレアイの両親は健在なれど高齢ゆえに上京は叶わなくなっている。時を重ね、それはイズレ私達の通る道。今しばらく、イヤもっともっとイソイソとセッセと出掛けなくッチャ。