学校の図書室から借りてきたDVD小津安二郎 「東京物語」 を自宅で見ました。小津作品をじっくり見るのは初めてのことです。ごくごく平凡な家族の物語です。血湧き肉躍る活劇でもなく、また奇想天外な夢物語でもありません。「1953年の日本の家族を記録した映画」 という印象でした。俳優は常にカメラを向って話すので、その眼差しにこちら(観客)がたじたじとなるのです。
尾道に住む笠智衆と東山千栄子の老夫婦が東京の子供たちを訪ねて上京します。しかし長男も長女も仕事で忙しく両親をかまってやれません。二人を慰めてくれたのは戦死した次男の妻の原節子でした。尾道に帰郷してすぐに東山千栄子が死去します。葬儀が終わると原節子以外の子供たちは即座に帰ってしまいます。笠智衆は上京した際の原節子の優しさに感謝を表し、そして原節子に再婚を勧めるのでした。
随筆「羽化堂から」に小津作品全般について述べた文を偶然見つけました。喜び勇んでその箇所を読んだのはいうまでもありません。「小津安二郎の作品はなんとも退屈にすぎると、若者はいう。率直な感想だとおもう。複雑な世界ではないが、決して単調ではない。今日から見ればすこぶる単純ではあるが、単調ではない。その単純にみえる世界は、意味に変えがたい陰翳や明暗や情趣が、日常性を超えた時間を創造している」
小津作品の「家族」というテーマと関連して思い浮かんだのが 「全世界を愛することは簡単だが、隣人を愛することは難しい」 という皮肉のきいたことわざです。家族こそは逃れることのできない隣人ゆえに、たびたび困難さが生じることは誰もが感じています。家族よりもゆるやかな関係として族(うから)があるといえます。現役を引退して同窓会という集まりが盛んになるのは、家族でないゆるやかさの中に遊んでいるのでしょうか。