玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

37)ギリシア・紺碧の空

2006年06月07日 | ピースボート世界一周

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 10月8日昼前ギリシアのピレウス港に入港す。22時半には帰船という短い時間だったので、近郊の車窓見学が主であったがアクロポリスの丘にあるパルテノン神殿は歩いて登った。夕方は異国情緒タップリの街を買物がてら歩いた後夕食を囲む。

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 何といっても強く印象に残ったのは、透明感のある美しさだった。紺碧の深く澄み切った空。キラキラと輝く海面。カラリとしてはいるが強い陽光。日射をはね返す真っ白の建物。アクロポリスの丘から眺める市街は青、白、緑のコントラストも眩しく、果てしなく連なっていた。

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 市街は海から丘状に緩やかな形状をなしていた。片側が地中海に面した通りをバスで走ったせいか、さほど過密と言った印象は受けない。海岸沿いは係留された船舶、コヒーショップ、木立、海がチラチラと臨まれて穏やかな昼下がりといった風景であった。

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 アクロポリスの丘はさすがに世界遺産だけに、次から次に観光客が訪れて石畳は擦り減り、足元に注意が必要だった。パルテノン神殿は大きかったがイメージしていたよりは小さい。大きい=モット大きい(巨大)と摺り込まれるのだろうか。公開と修復の様子が見て取れたがその日は修復の作業は見られなかった。傾斜を利用した半円形の立体劇場もし設えられ、カラヤンの演奏会や日本の能が披露された様だ。当日も何やら準備中であった。地形による音響効果は抜群なのでは?

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 マラソン発祥の地などの見学を済ませた後、街の散策と夕食。観光客ばかりではなかろうと思える多くの人々が街に繰り出し、屋内、外のテーブルで賑やかに歓談しながら食事をする。この辺が日本とは事情が違いそう。日本では若者ばかりが目立つ。ところでチョットお疲れ気味のサラリーマンの「立ち寄り所」はヨーロッパでは「パブ」なのだろうか?

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ゆりかもめ

2006年06月06日 | 捨て猫の独り言

 山道を汗だくになりながら山頂に着く。360°の展望が開ける岩場で風に吹かれて一息つく。古新聞で包まれた弁当をひろげる。海苔で包まれたおにぎりと卵焼きはうまい。下山し終わるまでは水筒を空にしてはいけないと教えられた。足が棒になるまで歩いた。それが私の遠足だった。

 6月2日の遠足は臨海副都心だった。新交通システムのゆりかもめの 「台場駅」 に集合した。私は 「新橋駅」 から初めての乗車である。無人運転ですべての操作はコンピューター制御である。レインボーブリッジを突き進んだ。台場駅近くではフジテレビの球体展望室、パリ市にあるという自由の女神像のレプリカなどが見られる。潮風公園というところでバーべキューのあと 「青海駅」 まで移動してパレットタウンというところでボーリングというのが今回の遠足の計画だった。

 英語科の講師の方と2人で高校3年生の遠足の付き添いをした。大学時代は都電荒川線で通学したという。その方から荒川線についてつぎのようなことを教えてもらった。荒川線は立派な黒字路線だそうだ。浅草まで延長の話が古くからあるがいまだに実現していない。あの荒川線のバラはやはり地域のみなさんの善意の結集である。私はこの6日間で対照的な交通システムをたて続けに体験したことになる。荒川線で 「6月10日は路面電車の日」 という標語を見たことを思い出した。

 遠足の企画運営はすべて生徒諸君が行う。こちらは支払いとけが人などの不測の事態に対応するだけである。ボーリングの2ゲーム目を私は辞退した。そして5時に大音響の中ボーリング場で解散した。テストの採点を抱えて教師は憂鬱であった。

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36)寄港地上陸説明会

2006年06月03日 | ピースボート世界一周

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 上陸日の2、3日前になると全員に召集がかかる。全員集合できる会場がないから時間を前後して2班に分かれ気候、服装、両替法や物価の目安、交通、安全情報などの説明を受ける。その後更に5~10ケに及ぶツアー毎にツアーの行程や見所、食事に関する説明や注意事項を聞いた。

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 もちろんツアーに参加せず、1人やグループで行動する人も沢山いたと思う。私自身はイタリアは以前旅行した事があったので、自由行動としたが他は殆んどツアー参加とした。

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 オーバァーランド・ツアーといって離れた地域に向かい、寄港地を何箇所かスリップして船に戻るツアーもあった。地球大学と称するツアーも2つ組まれており、宿泊しながらアフリカで植林活動をしたり、キューバで農業事情を見聞して船内でその成果をまとめて発表する機会も設けられていた。

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 南洋諸島を除く上陸説明会で最も強調された事は、安全上の問題であった。要は日本人は「安全ボケ」しているということだ。確かにパスポートを取られて乗船できず、後日次の寄港地にたどり着いた話や、カメラなど盗まれた話も何度か聞かされた。今や日本においても空気、水、安全はタダではなくなりつつあるのが現状である。写真1はピラミッドの裏側、2はパルテノン神殿から、3は夕暮れに染まり行くイスラム寺院、4は日没後の残照。

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