サッカーのワールドカップが始まった。変則的な睡眠をとりながら、地図や国旗、日本の勝敗や星取表、LiveやReplayと慌しい日々を過ごしていたところへ、1人の水先案内人の死去を船友から知らされた。4月15日急性肺炎で享年57歳とあった。
最後の水先案内人林豪勲(リン・ハオシュイン)さんである。「啄木鳥人ISAO歌舞団」のメンバー5人は、フィジーから乗船してきた。台湾の伝統音楽演奏団として、先住民の一つであるプユマ音楽の復活、伝承活動を行っていた。キ・ツ・ツ・キとは事故による頚椎損傷で全身不随ながらも口に棒をくわえてキーボードを操作し演奏していた林さんを例えたものであった。
12月5日は鮮やかな民族衣装をまとった歌舞団の講座だった。林さんの姉きよみさんがユーモアたっぷりに原住民ダンス「恋する2人の踊り」を、足と足を合わせてキスを意味すると紹介し、酒を造りましょう、飲みましょうと、手つきも鮮やかに踊りながら聴衆を巻き込んで輪を広げていった。
講座の中で林さんときよみさんは日本語だった。台湾には植民地支配により日本人として戦地へ向かった人や、その時代背景を生きた人々がいる。先住民から日本、日本から中国と国は大きく変わった。27歳で事故に会い、「音楽との出会いで絶望の永く暗いトンネルを抜け出せた。音楽は2番目の命」と言っていたのに。風邪でもこじらせたのだろうか。障害を持つ体は抗い切れなかったのだろう。30年間一度も辛いと思った事はないと発言していたきよみさんの悲しみはいかばかりか・・・。写真1の奥が林さん。