玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*あの人のこと

2007年10月10日 | 捨て猫の独り言

 私は幼い頃泣き虫だった。親とのわずかな時間の別れや、見知らぬ人との対峙や、夜の暗黒などが不安の原因だった。今でも泣き虫だった自分のことを誇りに思うことができない。一歳と五ヶ月のあの人はそんな私とはまるで違っている。外に出て走り回ることが好きだ。今は歩くと前のめりに倒れることが多い。しかしすぐに立ち上がり両手を後ろに揃える愛らしいフォームで走り出す。外で転んでも泣くことがほとんどない。二日ほど親と離れて暮らしても平気だ。「ダダとマミーは?」 と問うと こちらが教えたのだが 「イナ~イ」 と答えるだけである。私はいろいろあるその図太さが羨ましい。

 ちょうど一歳になった頃だった。私が食事中にあの人のちょっとした仕草を真似した。その時のことである。まるで手旗信号を送る人のようにあの人はいろいろな動きを始めたのである。今度は思わず私があの人を真似る番になった。両の腕や指を駆使してそれを対称あるいは非対称に動かした後で、さらにその手を頭の上や、顔の上に置いたり前方に突き出したりする。難問に挑戦する受験生のように私が本気で相手の動きを真似していくと何かに追われているかのようにあの人の動きはますます激しさを増し甲高い笑い声の後にゲームは終息する。この支離滅裂で原初的な豊かな表現力がいつまでも失われなければいいと思う。この楽しい 「真似ゲーム」 はふとした弾みでいつでも始まる。

 爺婆っ子状態の度が過ぎてないか心配なくらいである。今のところ言語に関しては完全に日本語圏の住民だ。母親は日本語で父親は英語と明確に分担すると子供は混乱しないと聞いたことがある。あの人がそのうち二つの言葉を自由に話せるようになればいいのにと願う。

 学生時代を除くと私には居酒屋であれ理髪店であれ馴染みの店というものを持たずに来た。そんな場所が持てるとどんなに楽しいだろう。その場合には店の主やら、店の他の客とは適度の距離が保たれないと長続きは難しいだろう。互いに介入しすぎると足が遠のく。そんなものではないか。それと同じように私とあの人の間にも適度の距離を置くことが必要だろう。現在あの人はその柔らかい頬に私が口づけすることを許してくれている。しかし心しなければならない。

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