13日には嘉手納町で「核兵器から命を守る県民共闘会議」が発足した。きっかけは9月に放送されたNHKスペシャル「沖縄と核」。最大1300発の核兵器があったとされる。今も貯蔵の可能性があるとして嘉手納、辺野古、ホワイトビーチの立ち入り調査や閉鎖・撤去を求めるというものだ。
また私が那覇空港に向かっていた日曜日に米兵による飲酒運転事故が起きた。19日午前5時25分ごろ、那覇市で酒気帯びの米兵(21)が運転していた米軍トラックが軽トラックに正面衝突し、軽トラックを運転していた平良英正さん(61)が死亡した。
ゲート前にはいろんな人が行き交う。DVD「辺野古ゲート前の人びと」が制作・販売されている。沖縄戦での戦死者数はまだ確定されていないという地道な実態調査の報告、「沖縄戦とPTSD」の講演の案内ビラ、「沖縄の基地問題を理解するために」のパンフレットなどが錯綜する。
県外からの方と促されて発言した。「隣の女性に、ここまで75分歩いて来たと話したら、翌朝は宿まで車で迎えに来てくれました。そして熱いお茶と朝食のお弁当までいただきました。沖縄の人は親切です。私は奄美が沖縄より先に日本に復帰するというので、小学2年時に一年間だけ那覇の壺屋で過ごしました。その時に訪れた南部のガマで死臭を嗅いだような気がします。日本は日清・日露に始まり沖縄戦で戦争を終えました。軍部の独走というより大衆が熱狂的に支持したと考えるべきだと思います。今の本土の状況は心配です。阿波根(あわごん)主義の伝統のうえに、非暴力の抵抗を続ける辺野古の阻止行動は、日本の民主主義を守る戦いだと思います。隣の方に頑張ってくださいと言ったら、叱られました。頑張ってくださいではなくて、頑張りましょうでしょ!」(完)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます