近くの林では二十四節気の小雪の時期におびただしい落葉が始まり、つぎの大雪になって景色はすっかり冬木立に変わりつつある。林に沿った用水の流れは落ち葉で堰きとめられて、あふれんばかりの水位に達して人々をはらはらさせている。自然の確実な営みは、我が生活の惰性をかえりみる機会となっている。庭では「ひがん花科」のネリネが忽然とその可憐な姿を見せた。今年の開花はいつもより遅い。ネリネは線香花火の連続点滅を思い起こさせる姿形だ。私の見るネリネは薄紫色をしている。
私の玉川上水散策はこれからもしばらく続くだろう。散策のよき導き手の存在があるからだ。今年は上水沿いで残念な事が起きた。江戸時代この辺り一帯は小川新田と呼ばれていた。それは短冊形に区画された土地である。そのうちの青梅街道と玉川上水に挟まれて最後まで残っていた農地が消えるのである。小平市では竹内家の大ケヤキを知る人は多い。その竹内さんの農地一帯で土地区画整理事業が始まり畑地はいつでも宅地に変わることができるように整備されて電柱が立ち並んだ。モズたちの絶好の生活圏が失われた。
サタデー講座「玉川上水再発見」の最終回は予期せぬことがあった。公民館で手打ちうどんがふるまわれたのである。今年限りで農業を終える小平の農家を手伝って小麦を収穫した講師がいた。そこで頂いた小麦で生まれたのが今回のうどんだ。つゆは昆布だしでこれも手作りである。私達が散策している間に居残りの講師がうどん打ちをしてくれた。今回の講座を担当した講師たちは、清流復活に取り組んだ「玉川上水を守る会」、野草観察ゾーンの設置を実現した「自生野草を守り育てる会」のそれぞれ中心的人物であり、また私財を投げ打ち玉川上水の四季を紹介するギャラリーを開設した人物などであった。
これらの個性的な人物達には共通点がある。上水沿いにある小学校の4年生を対象に授業を行うスタッフなのだ。子供のうちから玉川上水の自然に目を向けて欲しいという願いからだという。私がよく知る講師の一人は最後の挨拶で、20名近くいる受講生の中の一人である私を目の片隅に置きながら、活動を一緒にやっていける人がいたら協力をお願いしたいと結んだ。最後は女性の講師から「12月生まれの方は挙手してください」と突然の発言があり、私が思わず手を上げると残ったうどん玉をお土産に頂くことになった。