あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

座間・さくら百華の道2021/4/7現在3

2021年05月06日 05時29分06秒 | 桜散歩
昨日の続きです。小田急線の南側へ移動。
座間・さくら百華の道は全長1600メートルの緑道に、64品種の桜が植栽されていて、2月から4月下旬まで咲き繋がれていきます。
トップ画像は思川という品種で、例年ならばソメイヨシノのすぐ後に咲く感じ?今年は3月下旬が暖か過ぎたので、開花時期はあてにならない。


舞姫は今年も見頃を逃しちゃったなあ。盛りの時は花いろがもっと濃いんだよね。
2021/4/30撮影
(葉っぱの先に害虫が巣をかけてます。この中にいるのだ。時間が経つと出ていって、駆除が難しくなる。なぜかこいつは舞姫が大好きなのね)。

けど後日、去年に続き舞姫の葉には寄生する害虫がいたので、見頃過ぎというよりは、木が弱ってるのかも?
座間・さくら百華の道は周辺住民のウォーキングに最適なように、緑道には様々な花が植栽されている。
とはいえ、まさか4月7日にハナミズキが咲いてるとは思わなかったんだけどね。
有明は画像ではわかりにくいのですが、ソメイヨシノより大きな花です。桜としては結構長い間見頃が続くのですが。流石に今年はもう見頃すぎてました。撮影画像は綺麗なところを探して撮影しました。
やっちゃった!画像に携帯電話の影が映り込んでしまいました。
これ、何の花かわかります?
答え:お正月の飾りといえばこれ。葉牡丹です。まさかこんなに綺麗な花が咲くとは!

既に盛りを過ぎてるためか、芳香はありません。

画像増量で記事作成してるので今日はここまで。明日に続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座間・さくら百華の道2021/4/7現在2

2021年05月05日 04時38分16秒 | 桜散歩
昨日に引き続き、八重桜が見頃を迎えた座間・さくら百華の道を紹介します。

白妙は八重桜より前に見頃を迎えます。今年は3月下旬が歴史的に暖かったので、開花順は当てになりませんが。既に白妙は見頃すぎてす。記録として撮影しました。







ここは行幸道路の北側。上の画像右側が西となります。う〜ん?何か作ってますね。背の高い建物は勘弁して欲しい。桜だって植物なのです。開花時期は影とか温度に左右される訳で。来年も咲けるのだろうか?
不穏な工事に心配は尽きないが、小田急線の南のさくら百華の道に移動です。(続く)

昨日は記事を2本投稿しました。1本目が「さくら百華の道」です。今日の記事より北側の1600メートルあるさくら百華の道の八重桜です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今そこにある危機

2021年05月04日 05時03分02秒 | 健康
本日2本目の記事になります。
トップ画像は2021年4月22日の我が家の冷蔵庫に貼り付けてある温湿度計。
時刻17:46分に、温度26、4度。湿度Lo%という意味。
ん?
湿度Lo%てどういう意味??
あれ?湿度計壊れた??
不思議に思って撮影したのですが。
気になったのでしばらく観察していたら、そのうち湿度21%と表示されました!
げっ!!ゲゲゲげ〜〜!!!
Lo%の意味がわかった時、私は戦慄した!
つまりだね。トップ画像を撮影した時点で部屋の湿度が20%未満だったということです。
ここで少し冬の頃を思い出して欲しい。
湿度80%以上はカビが活発になる。
湿度40〜60%は快適です。
湿度20%以下はウイルスが活発となる。
と、テレビで盛んに啓発してたと思うんだ。それが。春が来て、暖かくなったので、「湿度」チェックをやってなかった私。そういえば、4月も晴れた日が多かったわ〜。
我が家では片付けた加湿器を再び出しました。
で〜〜??
気になるのは最近のコロナ感染症陽性者の激増です。
確かに変異株の増加はある。
けどさ?みなさん、最近加湿計を確認してますか?
それを油断というと私は思いました。
ちなみに、もう一つ確認していただきたい画像がこちら。
私が通院してる病院のゴールデンウィークの診療予定表です。
当たり前ですが、ゴールデンウィークは病院もお休みになります。
踏まえて。2021年5月3日のコロナ感染症陽性者の数は?
東京→708名 大阪→847名。
わ〜い!感染者が1000人切った〜!!コロナ減ってきた〜。遊びに行こう!
と考える愚か者は自分に甘い人だ。
テレビの報道を見てると、わかっているのに伝えないのは、何が何でもオリンピックを開催したい行政の上の上の上の人の方針でしょ?
報道には忖度があります。視聴者の思考を誘導するテクニックも彼らは持っている。
言葉って選び方次第で受け取り方に雲泥の差が出るものです。そこを利用した歴史上の為政者がいかに多いことか?ぶっちゃけヒトラーの戦略はこれでした。菅さんがヒトラーだと言ってはないよ?小池さんも同じく。けどさ。
「判断が遅い!」
と。後に世界中から笑われる日本にはしないで欲しい。いや、この記事の書き方で言葉を飾るのはよくないね。
浮かれて。我慢はもういっぱいしたからゴールデンウィークの1日くらいならと。子連れで遊びに出かけたり、彼女とデートに出かけたり。おじいさんおばあさんが普段一人にしてるからたまには孫と一緒にお出かけくらい。と。油断してる皆さんにお願いです。私を義父の四十九日の法事に田舎へ帰らして!もう切実なんです。今のままでは帰れる気がしない。
「神奈川からコロナを持って来るな!」などと。田舎の義母に言うアホがいる限り、私は義父の四十九日の法事に帰省出来ない。ってなことでぼやきです。
いやさ、ちょいと自分ちの湿度計をチェックするくらいなら。湿度が40%未満だったら加湿するくらいなら一般庶民はすぐに対応できると思うの。
お願い〜。感染リスクを減らすのです。
やれることがあるなら、すぐやるのだ!お願い〜〜。お願い〜〜。
ちなみに、今回の緊急事態宣言と蔓延防止等重点措置は5月11日までとなってます。
うん。
確かこれらは「延長はない!」とゴールデンウィーク開始ギリギリで発令された訳ですが。
確か確か。その後バッハ会長が来日するから、ここでコロナ発生数を減らすための全く隠れてない本音での発令でしたが。
ゴールデンウィーク明けに、医療機関が通常の営業状態に戻った時、コロナの感染者数がどれだけ減ったか?に延長するかどうかがかかってる気がする。まあぶっちゃけ緊急事態宣言もまん防も現状守られてないから延長したところで効果はほぼないとわかちゃいるけども。
ならば!
お願いだからさ。菅さん、小池さん、大阪の人。せめてワクチンを早く配ってくれ。
今は絵に描いた餅状態。
ワクチンさえ打てば、例えコロナに感染しても重症化しないんだよね?
ワクチンさえ打てば、コロナ感染リスクが下がるんだよね?
私はそういう解釈なんだけども。今のゴールデンウィークに出歩いてる人は、ノーガードでコロナウイルスに体を晒してるのだよ?日本が明日のインドになる未来は見たくないのだ。
帰らせて〜。義父の法事参加者は高齢者が中心なのだ。聞けばコロナワクチン注射の予約は取れてない!と言われた。
「高齢者の私たちがワクチンさえまだなのに、神奈川からコロナを持って来るな!」と言われそうなんだよ!?勘弁して欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

座間・さくら百華の道2021/4/7現在

2021年05月04日 03時26分06秒 | 桜散歩
香川から戻る。慌ててマンションを出たものだから。キッチンがすごいことになっていた。炊飯器に炊くだけにしてあったお米が。腐っていた。
とりあえず乾かしてせめてベランダのコンテナの植物の肥料として再生できないものか?と思ってコンテナに撒いたらば、スズメがせっせと食べてる模様。喜びの舞と囀りを奏でてくれるので、毎朝目覚まし代わりになってます。まあ。これはこれで。春先は一番食料が減るそうなので。しばらくこのまま観察を続けよう。ベランダに糞を撒き散らすようになったら君達のご飯は撤去しますから!
*4月下旬に撤去しました。ベランダの柵の足元というか際に糞を見つけて撤去しました。ご飯食べて身体が重くなった鳥が、飛ぶ前に軽くするために糞した模様です。君達のせいだ!朝から囀ろうとももうご飯は出さないよ?

さてスーパーへ。ついでに久々に座間市のさくら百華の道(1600m)を通ってみれば?既に八重桜の季節となってました!画像増量で紹介します。
トップ画像と上の1枚は相模原市の散策路、さがみ仲良し小道に咲く八重桜。この散策路を南進すると座間市に入りさくら百華の道になるのです。
ではさくら百華の道を北から南に向かって見物開始。










須磨浦普賢象はもう少しすれば花いろがピンクに変化する。まだ変化してないね。


関山は桜湯に使われる桜です。
撮影時刻は正午近く。既に西側に太陽が移動していて、散策路の西側の桜が逆光で撮影しづらい。真っ黒になってしまうのだ。けど八重桜が見頃。今回の散策が座間・さくら百華の道を紹介できる今年最後になるかもしれんので、小田急の南へも行ってみよう。(明日に続きます)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢の親がいたらマイナンバーカードは作っておけ

2021年05月03日 06時28分18秒 | 雑記
お葬式の翌日。義父の死亡手続きに義母と旦那と私と朝イチで市役所の出張所の窓口へ。香川県では市町村合併時にあっちもこっちも行政が整理されました。以前は町の役場だった場所が、今は市の出張所となりました。田舎の市役所は遠いんです。けど大概の行政手続きは出張所でできるらしい。しかも現在のIT・マイナンバーカード大臣の平井さんは香川県の議員さんです。ちなみに、香川県の総人口と相模原市の総人口はかろうじて香川県が多いて程度でして。どうもあれこれの制度をテストしてる模様です。窓口のおばさんは慣れないパットにぽちぽち入力しつつ「あ〜、全部消えてしまったぁ」と大騒ぎしてましたが、ほぼ窓口で死亡手続きのほとんどが可能でした。出来なかったのは介護関係かな?あと急に帰省したのでダンナの印鑑証明カードや印鑑は相模原に置いたままだったことですね。でも慣れないPC機械にあたふたしつつも12時半にはほぼ可能な手続きは全て終わりました。
そこで一つ。
義父の印鑑証明カード・保険証・障害者手帳・介護保険証などあれこれは返還しましたが、マイナンバーカードは「銀行や農協でも使いますので、全て終わったら返還してください」と一旦戻してくれました。マイナンバーカードを作った当初は使えないなあ?と思いましたが。行政においては使えるようです。特に義父は高齢でしたが、マイナンバーカードを作ってくれてたのよね。もし家族にまだマイナンバーカードを作ってない人がいたら。それが高齢者ならば、子供は親の側についてあれこれ世話を焼いてもマイナンバーカードは作るべきだ。と思いました。特に万一の場合。自分のために。作ってくれててありがとう義父さん!
実はこんなに手続きに時間がかかると思わなかったので、義姉は婚家のお昼ご飯を作りに帰宅せねばなりません。出張所の前で義姉とお別れ。私とダンナは徒歩で帰宅することに。先週帰省した時は、家にこもって出歩かないことを心がけましたが。もうね。誰〜も歩いてないの。田舎は移動はほぼ車だからね。歩く人がいない。密?何ソレ状態ですよ。そんでもって田舎は情報が回るのが早い。義父は高齢でしたが、地域のあれこれをまだ現役でやってまして。亡くなったのはあっちゅー間に情報が回りました。すでにみんな知ってるからさ。隠れるようにして家に籠る必要は亡くなった。まあマスクして距離を保って。誰もいないけども。
ポヤポヤと歩きつつ。田舎の風景を眺める。
橋を渡るとダンナがこっちの細道を通ろうと。
草花が咲いてますなあ。これはナヨクサフジですなあ。うちの田舎にも咲いてたのね。
でこれは、見事なナズナです。
そんで?何だっけこれ?
歩いてると日常が戻ってくる感じがする。
田舎の里山は既に若葉で彩られてました。
ノボロギクがまるでタンポポのようだ。最早タネを飛ばしている。
おお!白色のスミレ!立派な株だ。
こ、これはっ!!
火葬場の正面玄関前で群生して咲いてたやつ。何だろうか?
マツバウンラン(松葉海蘭):オオバコ科の1年草または2年草。葉の形は松葉。花がウンランに似ていることからこの名がついた。
花期:4−6月。高さは20−60センチ。北アメリカ原産の帰化植物。日当たりのいい場所に生える。
さて帰宅。お昼ご飯を手早く作って食べる。その後しばらく。洗濯物などを取り込んでいると、義姉が再びやってきた。これからもう一度出張所に義父の年金番号のわかる書類を持参(午前中に忘れたので)して再訪後、銀行と農協に行って話を聞いたりせねばならんのですが。
行ってみたら銀行も農協も閉まってた。銀行も農協も閉まるのこんなに早いのか!!と3人して呆然。
どないもならんので翌日に再びあれこれすることに。
ところで、役所の窓口で出来なかったことに、寡婦年金手続きというのがあったのですが、手続きは香川県の場合、善通寺市の窓口に義母本人が行く必要があります。その際に義父の死亡が記入された戸籍謄本が必要なのですが、ソレが出来るのはあと数日かかるとか。で、滞在中には手続きが進まないので、義姉に後を託してお願いしましたらば?
後日分かったのですが、県で窓口が一つしかないということは混むのですよ。コロナ禍ですから密を避けるためか寡婦年金手続きは予約制だったとか。しかも最短の予約日は2週間以上先でした。
ってな事で銀行も農協も閉まってしまい、この日はどうもならんので、義姉に義母の好みや好きなものを尋ねつつスーパーで買い物することに。
食べてくれるかなあ?と思いつつあれこれ料理した。作り置きの保存食も合わせて作る。

そして翌日、朝から義父の位牌や遺影や遺骨周りを義母の指示に従いながら整える。
義母:「後からお父さんが亡くなったと知った人がお参りに来るかもしれないから。急がねばならん!」と言う。
んな訳ない!と思ったけど、早い人は整えてる間にやってきた。田舎の情報網ってどうなってるのだろう?
そして午後。義姉がやってきた。市役所の本庁舎に寄って一人残った義母の介護関係の話をからきたので、時間がかかったのだ。急がねば。農協と銀行がまた閉まってしまう。
私:「義母さん、私ら銀行と農協に行ったらそのまま相模原へ戻るから」
手続きは他にも多々残ってるのですが。手続きに必要な印鑑や印鑑証明カードは相模原なのです。戻らないと先に進みません。んでもって香川の役所で出来るあれこれは、義父の戸籍謄本が新しくならないともうできない。
私:「冷蔵庫にあれこれ作って詰めてあるからね。食べてね」と。
「あれこれは次にゴールデンウィークに戻るから!」と言い置いて、急いで出発する。
車内にて。
前日、義姉に「父の部屋に母を移したい。説得して欲しい」と指令されていたのですが。流石に義父の死が急すぎて、前夜義母に言うは言ったものの。
義母:「まだお父さんは生きてるみたい」と言って、とても父の荷物に手がつけられなかった。
ダンナ:「こういうのは時間がかかるから」と。
私:「と、義母さんが言ってて。まだ無理です」と義姉に伝える。
この日やったのは、せめて義母の望むように遺骨周りを義父の趣味のサボテンのトロフィーや賞状を飾った位です。お参りに来た人に見てもらいたいと義母の希望。
そして農協と銀行を周り、手続きの書類をもらい駅まで送ってもらう。
最寄りの観音寺発の特急は、自由席が空いていた。まあ平日だし。
けど新幹線ののぞみの自由席も空いていた。大阪・神戸・京都でコロナが増えたのだ。わずか1週間前には、人の移動もコロナ以前に戻りつつあったのにね。こんな短い時間でまさかの状況ですよ。やはり日本人だし桜に浮かれちゃったのかなあ?それとも歓送迎会のシーズンで気が緩んだか?後の祭りという奴ですね。はあ。。
ってな事で、てんやわんやの数日を終え、相模原に到着。
何はともあれお風呂です。
服を脱いで大きな打身が両膝に出来てるのをみてびっくり!気づいてませんでした。着替えもしてたのに、両膝をみてなかったのね。気づけば痛みにも気づいちゃった。まずは日常に戻らないといけない。

あ。書きたくないから書き忘れていましたが。
義父の直接の死因ですが、誤嚥性肺炎です。
入院した時に医者は「すぐどうこうならない」的な事を言っていたのに、面会後1週間で突然の訃報となったのはこういう事でした。もうね。本当に突然で。毎日義父に面会に行ってた義姉も、間に合わなかったのだ。
前の日かな?義父は義母に「水が飲めるようになった」と嬉しそうに電話をかけてきたらしい。
義姉も「随分元気になってきて、本人は退院する気満々だった」と言ってました。
誤嚥性肺炎って怖いですね。芸能人や往年のスポーツ選手が「誤嚥性肺炎で亡くなりました」的なニュースを見ることはあるのですが、まさかこんなに急に!!でした。

あ〜、ここでこれを書くのもどうかと思うのですが。お知らせです。
7月に引っ越します。相模原を引き払い、香川へ戻ります。
義父がいるならば、義母と二人でなんとかやってたけど。もう義父はいないので。
義姉があれこれ助けてくれてますが。義姉だって婚家の生活があります。いつまでもお願いできません。あと3ヶ月の時間があるのは、ダンナの仕事の関係です。

田舎はソレなりに不便です。まずは引っ越したらすぐに車に乗れるように自動車学校に行かねばなりません。車が運転できないとことには生活できないので。
あれもこれも不安ですが。もうやるしかない。
実は今、(この記事は4月14日に作成)5月の連休は香川に戻ってます。戻ってるハズです。
ハズでした!お察しの通り、日々大阪と東京は競うようにコロナ陽性者が1000人を超えており、田舎の義母から「帰って来ないで!」の連絡が入りました。
どうも近しい人に「神奈川からコロナを持ってくるな!」と厳しいことを言われたっぽい。近しい人が近所なのか親族なのか確認してないけど。
田舎は高齢者が多いので、コロナは怖いよね。義母や義姉にヘイトが集まるのは私達も本意ではない。
香川に帰れません!またしてもです。
今回は引越しに向けて帰りたかった!書類もあれこれ書かねばならぬと言うのに。ダンナ曰く「今はコロナ予防が優先です。自分のやりたい事は後回し。諦めろ!」と言われ、現在相模原にいます。
引っ越すにはまず田舎の家の荷物を移動しないといけません。それをやったり。お葬式の後できなかった手続きのあれこれを進めたりしてるハズ。頑張るんだ自分。とはいえ、脳梗塞発症者&高血圧&糖尿病患者の私は健康には全く信用ならんのですが。
記事投稿はぼやきながら続けますが。投稿数は減ると思います。通常に戻せるのはおそらく引っ越し後しばらく経ってから。だって田舎にはWEB環境自体ないのですよ。どれだけおくれてるのだろうか?IT担当大臣に環境整備を期待したいけど、調べてみないとわからないなあ。
ってな事で。
実はようやく記事を書けるようになりました。義父の葬式で田舎から戻ってしばらく、何も手につかず、何も書けなくなってたんだよね。記事の予約投稿をやってなかったら途切れてたよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月、義父が死んだ

2021年05月02日 05時53分15秒 | 雑記
どこから書こうかなぁ。いろいろ突然で。いろいろありすぎた。
4月3日午前、私は桜散策のブログ記事を書いていた。お昼ご飯を作り、携帯を充電する。午後も引き続きブログ記事を書いていたら義母から電話がかかってきた。
義母「お父さんの病院に行こうと思うんだけど」
私「いいと思う。会っておいでよ」
義母「弟に車でつけて(送って)もらおうと思う」
私「おじさんが急に行っても病院が入院患者の義父さんに会わしてくれないじゃないかな?義姉さんと一緒に行けば?」
義母「あんたらはかえってこないよね?」
私「無理よ。新幹線は大阪・神戸とコロナが増えてる所を通るし。今から戻りたくないなあ」
先週帰省したばかりだしねえ〜。
義母「そうだよねえ」と。こんな感じで電話を切った。
ちなみに、義母も耳が遠くて、書き出した会話は普通に見えますが、実際の私は大声で怒鳴ってます。会話になるまで数度の聞き直しが必要でした。毎回義父や義母から電話がかかってくると恒例なのですが。「電話したら疲れた」と毎度義母がぼやいてます。

その後午後3時過ぎ。今度は義姉から電話がかかってきた。
義姉「〇〇(ダンナの名前)の本籍地を教えて」と。
先週帰省した時に、義父の預金が全部定期に入れてあるから変更しないといけないと言ってたので、てっきりその手続きかな?と思ったので。電話をダンナに変わる。

携帯の充電が完了してたので、回収してコードを抜く。ふと何気なくメールをチェックした。
私の携帯に届くメールは、ほぼユニクロ・携帯会社・クレジットカード会社からの利用通知です。重要でもないものが大半なので、しょっちゅうチェックしません。あなたのスマフォはどうですか?
その時たまたまメールを開いたらば。
「もうすでに聞いたかもしれませんが、父は1時間ほど前になくなりました。連絡をもらって行った時は、すでに息を引き取った後でした」と義姉から来てた。
着信時刻13時9分
ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!!!
大号泣です。
何でそうなる?
何でメールで報せる?
せめてさっきの電話で教えてくれよ!?
義母さんも義姉さんもなんで肝心要の事を言わないんだ!(まあ、二人とも信じたくなかったのだろうけども。私もこの文章を書きながら義父の死について書けないんだけど)
即電話。ギャン泣きの私。もう話にならん有様。
義母「どちらさんかなあ?」
私「今がらがえるう〜〜!!ぎゃ〜〜んっ!!!おうおうおうおう」
義母が忙しく手配してる義姉に電話をチェンジ。
私「今知った〜〜〜!!すぐに帰るからぁあああ」
義姉「知らなかったのね」
私「だっでぇ、言っでぐれないじぃ〜〜」
聞けば今晩がお通夜で。明日がお葬式。コロナ感染者が香川でも増え始めているので、家族葬にして。近しい人だけ連絡済み。とのこと。
すでに義姉はほぼ手配を終えてました。
ダンナがおりにつけ「姉さんはスーパーマン」と言いいますが。その通りでした。
私「今すぐ用意したら、今日中には帰れると思う」(読みづらいので普通の文章に戻します)と伝言して電話を切る。
すぐさま実家へ電話。
私:「義父が死にました」
もうびっくりですよね?
私:「家族葬にするって言ってた。連絡だけした。ついては今から帰るから遅くなるけど駅に迎えにきてほしい」と。
慌ててあれこれ準備したものの。実際はあれもこれも忘れてしまった。
まずは取り急ぎの喪服に着替える。気ばかりが急いて。小田急相模原駅の駅前の交差点で派手に転んでしまった。この時に両膝と右肩を負傷したのですが、気づいたのは数日後。相模原に戻ってからという。

ともかくカードです。あと手持ちの現金。これは一年前、コロナが増える前にコロナの心配がない安全なお金が手元に欲しくて、まとまった現金を用意してあったもの。結局この現金は滅茶苦茶役立ちました。田舎ではいざという時は現金です。
そんなこんなでトップ画像です。新幹線の車窓から。午後5時半過ぎ撮影。多分三島駅手前かな?
そんなこんなで何とか当日のうちに観音寺駅に到着。弟が駅まで迎えにきてくれてた。家族葬であっても葬式の手伝いに婚家に来てくれてたらしい。で、そのまま明日の葬儀の打ち合わせを車内でやった。コロナがあるから注意を十分すぎるほどしても注意のしすぎということはない。神奈川在住の私たちが田舎でコロナ感染の震源になってはダメなのだ。なにしろ自分たちはコロナ感染無症状者(かもしれない)行動が常に必要です。

翌、葬式当日。葬式は午後から。けど家は朝から静かだった。なぜって近所の人の手伝いは全て断ってある。人が集まるのは避けねばならない。だから死去を知られる町内放送の有線もやらないと義姉と義母は決めていた。
更に言えば、亡くなった義父は高齢です。葬式に参列する近しい親族も高齢なのだ。高齢となり免疫力が落ちてる人が葬式に参列するのも本来は避けねばならんのですよ。
葬祭会館の車が床の間に安置していた義父を連れにきた。家族葬であっても葬祭会館でやるのだ。密を避けるためと、家に万一のコロナを持ち込まないためらしい。

葬式は慎ましやかな参列者のみでしたが。葬祭会館は大きなホールでした。休憩室も大きい。そもそも小さいホールが元々なかった模様。それはいいのですが。
まさかの!僧侶が2人来た。
聞けば院号つけは30万円。お経は1回5万円。これがお通夜・葬式・火葬場・初七日で×4回で20万円。それと御膳代が1万円。お寺への支払いは計51万円。更にプラス一人分のお坊さんへの支払いがプラスされた!もう寺もコロナ禍で大きな葬式や法要が減ってしまい、資金繰りに困ってるらしいので、取れる時に取れる場所から最大限搾り取る!って感じ?
相手を見てやれよ!こっちは超高齢者のリタイヤした農家やで??けど神奈川在住の私達には口出し出来ないのだ。なにしろ義母は信心深いので。
後日義姉さんがお寺さんへ51万円を包んで支払いに行ったらば、謎のお経代がプラス1回請求され、更に棺の上に細長い豪華な布がかけられてたのですが、それはお寺がかけてくれたもので、その貸し出し代も請求されたとか。
ふえええええ〜〜〜!!!
家族葬やぞ!?人が弔問に来ないので香典もほぼないの!
真言宗は怖いわ〜〜。
そういえば実家の父が亡くなった時、今回とは別の葬祭会館でやったのですが。葬祭会館の人に聞いたらば、一向宗と真言宗でお寺に支払う金額が相当違うと教えてもらってたけども。倍額とは言わないけれどもどの宗派より真言宗は本当に金がかかるのだ!と悲しいのにお寺のやり口に腹が立つという状況でした。
火葬場でお骨上げ。マイクロバスで往復し、葬祭会館へ戻る。
今から初七日の法要です。一連のあれこれが終わり、最後に法要御膳を持ち帰れるように用意してもらいました。ご時世なので会食は避けねばなりません。
3月末はYHAOO!ニュースになるほど香川県では黄砂が襲来してた。けど葬式のあった4月4日は雨でした。黄砂まじりの雨が喪服に落ちてくる。泣きっ面に蜂!です。そもそも家族葬。動ける人数が少ないので駐車場と葬祭会館を何往復かして、荷物や生花を詰め込み帰宅。翌日の打ち合わせ(主に義父の死亡の手続きについて)を義姉とするともうヘロヘロ。疲れ果てていた。
晩御飯は法要御膳です。が、途中でお腹は減ってても食べれなくなりバタンキューです。(記事の内容が重い。書く気力が必要です。記事を分けます)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎に1泊2日で帰省してお見舞いした

2021年05月01日 06時18分12秒 | 雑記
昨日の続きです。
3月、緊急事態宣言明けの最初の週末に相模原から四国は香川へ帰省しました。
相模原を土曜の早朝に出発し、翌日曜の夕方に香川を出る。1泊2日&密回避の時間帯で親の顔をみに帰るだけの帰省を計画しましたが、予定通りにはいかなかったのです。
出発の前日にまさかの事態、義父が入院したのですよ。
世の中はコロナ感染防止です。病院は面会者を断ってます。香川でも入院患者への面会は基本無理!前日に義姉より連絡があったものの、早朝出発なので既に切符を購入済みでした。
「もう切符買ってるので、予定通りに帰ります。義母にも会いたいです」と伝えるので精一杯。

もしかしたら義父に会えないかもしれない。
3月27日早朝、不安の中の出発になりました。
香川に到着。まずは車で迎えに来てくれた私の母に、弟の娘の大学入学祝いを手渡す。田舎なので最寄駅からタクシーを使うと高額の支払いになるので、うちの田舎では家族や知り合いに車で送ってもらうのはよくあることなのですよ。
せっかくの大学入学なので、直接会ってお祝いを言いたいところ。けれど、タイミング悪く私が帰省した日は姪っ子の引っ越しに重なってしまった。まあそうでなくても、コロナ患者の多い神奈川から帰省した私が、香川県全体でも連日わずか0−3人しかコロナ陽性者が出てないのです。もとより気軽に人と会えないのでした。これは3月27日時点です。香川でもクラスターが発生し、4月7日より時短営業が開始となりましたが。道々、全てのお店は普通に営業しててびっくり。
「香川って時短営業してないの?」
「してないよ〜」
「香川ってコロナのせいで閉店した店ってないの?」
「聞いたことないねえ」と。マンションの向かいの台湾屋台の店も中華スナックもかばん屋も閉店してる相模原とは異世界に来たように感じました。
「姪っ子は京都の大学に合格したんだよね。コロナ対策大丈夫なの」と聞けば。
「弟の嫁の実家に下宿するからコロナの対策レクチャーしてくれると思う」と返答。安心しました。そんなこんなで短い会話を終えてダンナの実家に到着。
まずは手洗いとうがい。コロナ感染予防対策は大切です。それから久々に会った義母にご挨拶してからのお話を。
の前に、義姉から伝言があった。
「今日はお父さんと面会出来ない」
それは予想してました。
いくらコロナ感染者の少ない香川でも、入院患者を預かる病院は、免疫力の落ちてる患者を外部の人間に合わせなられない。面会禁止のハズですからね。
「義姉が先生に頼んでね。『東京から戻るならばと10分だけ面会許可が出た』」と。
そうか!義父さんに会えるんだ!義姉さんには感謝しかないです。
嬉しいっ!とりあえず会えるんだっ!
「明日、午後に義姉さんが来るから。一緒に病院へ行けばいい」
でもなんで入院することになったんだろうか?
「お父さんてば、固形物を食べないように先生に言われてたのに、お見舞いにもらった柿の和菓子を食べてねえ。喉が詰まらせちゃって」
柿か。お父さんの好物だ。
「で、傷つけたのか血を吐いたってんで、かかりつけ医まで自分で運転して行ったの」
かかりつけの病院へ私は行ったことがないけれど。そこで対応できないから大きな病院へ転院させられたっぽい。
「車は義姉に連絡して取りに行ってもらったわ」
義母はご立腹です。けど心配なんだよね。となると、今出来ることは?
お掃除です!
義母は腰が曲がってしまい、身体をあまり自由に動かせないのだ。けど住居は古い農家の作りです。ならばと。私は台所を徹底的に拭き掃除。ダンナは他の部屋の掃除です。

翌日。午前にも何かしたのだけどな?記憶が既に朧。ポンコツな記憶力。あ。そうだ!思いがけず長い間帰って来れなかったので、和服の樟脳を入れ替えたのを思い出した。他にもあれこれ。あれこれ。確か母用に柔らかご飯をいっぱい作ったわ。
午後、義姉さんがやってきた。まずは父の状況を話してくれた。
それが。
本当に良くなかった。
昨年末、具合が悪くなったので義父が手術をしたのは知っていた。
喉に腫瘍が出来て細くなってるから、食事を取れるように管?をつける手術だったかな?それ以後、固形物はほぼ食べれないので、食事する時はミキサーにかけている。食べるのに時間がかかると義父がぼやいていた。だから今回の手土産を義父が食べてる会社の介護食のレトルトをあれこれ買ってきた。少しでも食事を楽しく取って欲しいので。あれこれ義母とアレンジ介護食を作って、義父に食べてもらい、お気に入りのレトルトを大人買いして送ろうと思ってたんだよね。まあ計画倒れになってしまいましたが。
義母は「お父さんは医者に食べたらイカンと言われてるのに、贈り物の柿の和菓子を食べたんや。で、喉が詰まったんや」と言ってたのだけどね。だからね。そこまで心配してなかったのですが。そうじゃなかったのです。
義姉が言うには「お父さんは血液サラサラになるお薬を飲んでるから、出血が止まらなくて輸血した」と。の前に、腫瘍と言うのは転移したガンだった。足が浮腫むと義父がぼやいてたのも、私は心臓のペースメーカーの電池交換の時期が近いからかな?と。気楽に考えてたけども。それは心臓が弱ってるかららしい。
お正月のユニクロのセールで、暖か下着やソックス他いっぱい送った所、すごく喜んでくれて嬉しかったんだけどな。
義父は高齢だから。例えガンだとしても進行がゆっくりなので大丈夫と言った。それに対し、その先生信用出来ない!と私が言ったらば。
いや、大丈夫じゃないけども、手術とか抗がん剤とかやるより長生き出来ると言われたと。電話で義父から聞いた時はそんな感じだったんだよね。
だから。まさか!こんな突然に具合が悪くなったと知らされるとは!!!
義姉は続ける。
「医者が言うには『すぐどうこうではないけども、あまり長くない』と言われた」と。
涙が溢れる。ダンナも無言。
コロナさえなければ、去年の正月から帰省出来ないという事態はなかったハズだ。
「先生が『東京から戻ってきたなら10分だけ面会を許可します』と許可が出てるので今から面会できる」と伝えられた。
ならば会うしかない。
「お義母さん、私達面会してそのまま相模原に戻るからね。あれこれ作って冷蔵庫に入れてあるから食べてね」と伝えた。
義父が入院して、腰が曲がった義母が一人でこの家で生活出来るんだろうか?
心配は心配だけど、今は義父に会うのが優先だ。
田舎です。義父が入院してる大きな病院は、ダンナの家からそこそこ遠い。車でないとお見舞いも出来ない。義姉さんに案内してもらわないと、私たちは義父の入院してる部屋もわからないし、許可を取ってるのは義姉だ。
ともかく。ともかく今は義父に会いたい。
それが最優先。
トップ画像は義父が入院してる病院の受付の窓から撮影しました。
マスクを駐車場で新しいものに取り替え。手指を消毒。エレベーターで8階へ。受付で面会の申し込みをする。
面会はまずは義姉さんから。コロナ対応で3人同時に病室に入れないのです。
待ってる間、他の入院患者さんに面会申し込みに来た方を、受付の看護師さんが断っていた。
「入院患者さんの面会はお断りしています」
「今日は誕生日なのでプレゼントを渡したいんです」
「申し訳ありません」
私達が義父に面会出来るのは特別な事らしい。
特別は嬉しいけれど、なぜ特別なのか?嫌な想像が浮かんで消えた。
考えると怖い。
すぐに義姉が戻ってきた。
いよいよ。ようやく義父に会える。
嬉しいけど怖い。
一昨日はウキウキで義父のために介護食のレトルトを探してドラッグストアを梯子してたのに!
義父と会う。
巨人戦を見てた。
病院で借りた患者さんの服を着てる。余裕あるように作られてるからか?そうは思いたくないからか?ベッドの上の義父は去年の正月に会った時とそう変わってないように思えた。
で。まず義父は私の血圧が年末来とても高かったことを心配してくれた。優しい人なのです。
けど今は。面会時間は10分しかないのだ。
それより言いたいことあるだろう?
実は帰省に際し、義父にお手紙を出してあった。義父も義母も耳が遠くなってて、電話ではなかなか会話が成り立たない。で。お手紙です。ブログに貼り付ける画像を写真屋でプリントアウトして絵ハガキにして送るんだ。今回は封書で長文だった。
「緊急事態宣言が明けたので一回顔を見たいです。コロナ感染予防には最大限注意します。すぐに帰るので1泊だけさせてください。
追伸:長い事会えなかったので、お義父さん達が言いたいこと伝えたいことがあれば、私たちはちゃんと聞きますので」と言う内容だったハズ。
けどまさか。病院のベットでそれを聞くことになるとは!!
まさかまさかの言いたいこと。伝えたいことを聞くのが怖かった。だって〜〜〜!!!
これは個人情報なので書けませんが。私とダンナは義父の言葉を確かに聞けた。
それは幸いだった。
最後に。
「〇〇さん(私の名前)から(私に)聞きたいことはあるか?」と義父に聞かれたが。
この時私はすでに号泣してた。泣いてると話せないんだよ。それにこの状況で何が聞けるというのか?
混乱の中で義父に会ってしまった。
「今はないよ。次に5月のゴールデンウィークに帰ってくるから。その時にゆっくり話そう」
と伝えるので精一杯。
(出来たら5月にはお父さんと家で会いたいんだ)が心の声。病院のベットで会うのは嫌だ。
視界の病室の入り口に義姉の姿がある。時計を見ると既に20分が経っていた。面会は10分程度でと言われていたのにだ。
早くもお別れの時間である。
元気でいてね。といつも義父に別れ際に伝えていたけど。今回は言えない。だから。攻めて。
「アロエの根が出ないの」
と呟けば。義父はすぐに「水をやり過ぎじゃ。大事にし過ぎるとそうなる」と教えてくれる。
「もう少し詳しく。アロエの育て方を、次に戻った時に少し教えて欲しい」
義父の趣味はサボテンだ。県知事賞を何度も受賞してるサボテン栽培の達人だ。私が相模原で育てているのも父にもらった奴がほとんどで。
そんなこんなで涙顔で義姉の元へ。面会は3人同時には出来なかったのだ。コロナのせいで。
帰り道は重い足取りで駐車場へ。
「義姉さん。話せなかったわ」謝罪を込めて伝えると。
うなづかれた。
実はダンナの家から病院までの車内でだったか?義父の会う前に、私達は既にある程度の覚悟が決まっている義姉に「父のお葬式は家族葬か普通のにするか考えておいて」と言われ。それに「お父さんに聞く?」と私は答えたのだ。義父はとても理性的な人で、全てを論理的に行動する。だから本人に聞けばいいと思ったんだ。
だってさ?今は入院してるけど、義父はすぐに退院してくると思ってたのだ。
だってだってさ。義父は2日前に、かかりつけ医の病院へ自分で車を運転して行ったんだよ?だからさ。
駅に着いた。次の特急は午後4時過ぎに出る。私達は今から義姉に一人家で過ごす義母と義父をお願いして相模原に戻るのだ。
待ち時間が30分ほど。観音寺駅で面白自販機を見つけた。
いりこだしはうどんの出汁に使います。
香川県はうどん県と名乗ってます。
自販機のデザインは、下部に三環橋と寛永通宝。観光スポットです。わかる人にはわかるデザイン。
やってきた特急しおかぜはアンパンマン列車だった。
途中で他のアンパンマン列車とすれ違う。
しおかぜは瀬戸大橋を渡る。
雨模様。幻想的な風景ですが。夕暮れ近くとあっては光量が足りない。
新幹線の自由席はほぼ満席だった。流石に通路には立ってないけれど。1号車と2号車を繋ぐ空間には立ち乗り客が数名いる。
やがて2人の幼い子供連れのお母さんが席を探して1号車までやってきた。空き席はひとつしかない。それを見て若い二人連れの男性が譲って席を立つ。タイミングよく私の席をお母さんとトレードすれば、3人並び席が空く。けど次の駅で乗ってきた客はもう空き席はない。そんな混み具合にげんなりです。大阪は関東より先に緊急事態宣言が開けたからね。人の動きも激しい模様。
大勢が新大阪駅で下車したけど、入れ替わるように新しい客が乗ってくる。コロナ禍が始まる前に戻りつつある。そんな3月28日でした。

新横浜駅到着。町田駅を経由して小田急線のホームで電車を待っていたら?
え〜と?どっちを先に撮影すべきか?
ロマンスカーを優先しましょう。小田急線の乗り口のドアなんですが、変わってると思う。だってさ、ホームから客が入ると目の前に乗客が座るシートがあるんだよ?普通は車両と車両のジョイント部に乗降口があるよね?
で。こっちは最前列。普通は一番前には運転手がいるのだけれど。ロマンスカーは最前列に乗客が座ってる。ロマンスカーは歴代同じ作りだなあ。
ロマンスカーを見送って。
ミロ200円だってさ。コーヒーが100円なのにミロは倍の売価なのが謎。量が違うのだろうか?ミロが飲んでみたい。なぜに閉まってるのだ?
うん。閉店時間が19時か。え〜と?ただいまの時刻は20時52分!うん。閉店時刻を過ぎていた。
実はロマンスカーとミロのスタンドは私の心のスイッチをパン!と切り替えてくれたようだ。確かに入院してる父は心配だけども。会えたのだ!そこを喜ぼう。だってさ、何度も言うけれどこの前会ったのは去年のお正月なんだ。そうだな。急にどうこういう程ではないならば。昨日、新大阪から岡山までの新幹線の車窓では途切れなく桜が咲いてたんだよね。そういや、相模原でも桜はもう咲いてるんだった。ボロボロの心に栄養が必要だ!ってなことで、翌日の3月29日に米軍住宅の桜・二宮神社の桜・松が枝公園の桜と小田急・相模女子大の100年の桜・芹沢公園の桜・恩田川の桜を見物。
さらに翌日の3月30日は水道みち・麻溝公園・相模原公園を桜見物しつつ散策。
さらにさらに翌日の3月31日は芹が谷公園で桜を眺めつつお昼ご飯・泉の森公園を散策した所で、歩き過ぎて足裏に水膨れが出来た。やり過ぎた。
4月1・2日はブログ記事をまとめて作成し予約投稿。そして4月3日も続けてブログ記事を書いてたのですが。午後、義母から電話がかかってきたのですよ。それがもう〜〜〜!!驚天動地の知らせだったのですが、その時の私は気づかなかったのです。(続きます)
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする