あられの日記

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田舎に1泊2日で帰省してお見舞いした

2021年05月01日 06時18分12秒 | 雑記
昨日の続きです。
3月、緊急事態宣言明けの最初の週末に相模原から四国は香川へ帰省しました。
相模原を土曜の早朝に出発し、翌日曜の夕方に香川を出る。1泊2日&密回避の時間帯で親の顔をみに帰るだけの帰省を計画しましたが、予定通りにはいかなかったのです。
出発の前日にまさかの事態、義父が入院したのですよ。
世の中はコロナ感染防止です。病院は面会者を断ってます。香川でも入院患者への面会は基本無理!前日に義姉より連絡があったものの、早朝出発なので既に切符を購入済みでした。
「もう切符買ってるので、予定通りに帰ります。義母にも会いたいです」と伝えるので精一杯。

もしかしたら義父に会えないかもしれない。
3月27日早朝、不安の中の出発になりました。
香川に到着。まずは車で迎えに来てくれた私の母に、弟の娘の大学入学祝いを手渡す。田舎なので最寄駅からタクシーを使うと高額の支払いになるので、うちの田舎では家族や知り合いに車で送ってもらうのはよくあることなのですよ。
せっかくの大学入学なので、直接会ってお祝いを言いたいところ。けれど、タイミング悪く私が帰省した日は姪っ子の引っ越しに重なってしまった。まあそうでなくても、コロナ患者の多い神奈川から帰省した私が、香川県全体でも連日わずか0−3人しかコロナ陽性者が出てないのです。もとより気軽に人と会えないのでした。これは3月27日時点です。香川でもクラスターが発生し、4月7日より時短営業が開始となりましたが。道々、全てのお店は普通に営業しててびっくり。
「香川って時短営業してないの?」
「してないよ〜」
「香川ってコロナのせいで閉店した店ってないの?」
「聞いたことないねえ」と。マンションの向かいの台湾屋台の店も中華スナックもかばん屋も閉店してる相模原とは異世界に来たように感じました。
「姪っ子は京都の大学に合格したんだよね。コロナ対策大丈夫なの」と聞けば。
「弟の嫁の実家に下宿するからコロナの対策レクチャーしてくれると思う」と返答。安心しました。そんなこんなで短い会話を終えてダンナの実家に到着。
まずは手洗いとうがい。コロナ感染予防対策は大切です。それから久々に会った義母にご挨拶してからのお話を。
の前に、義姉から伝言があった。
「今日はお父さんと面会出来ない」
それは予想してました。
いくらコロナ感染者の少ない香川でも、入院患者を預かる病院は、免疫力の落ちてる患者を外部の人間に合わせなられない。面会禁止のハズですからね。
「義姉が先生に頼んでね。『東京から戻るならばと10分だけ面会許可が出た』」と。
そうか!義父さんに会えるんだ!義姉さんには感謝しかないです。
嬉しいっ!とりあえず会えるんだっ!
「明日、午後に義姉さんが来るから。一緒に病院へ行けばいい」
でもなんで入院することになったんだろうか?
「お父さんてば、固形物を食べないように先生に言われてたのに、お見舞いにもらった柿の和菓子を食べてねえ。喉が詰まらせちゃって」
柿か。お父さんの好物だ。
「で、傷つけたのか血を吐いたってんで、かかりつけ医まで自分で運転して行ったの」
かかりつけの病院へ私は行ったことがないけれど。そこで対応できないから大きな病院へ転院させられたっぽい。
「車は義姉に連絡して取りに行ってもらったわ」
義母はご立腹です。けど心配なんだよね。となると、今出来ることは?
お掃除です!
義母は腰が曲がってしまい、身体をあまり自由に動かせないのだ。けど住居は古い農家の作りです。ならばと。私は台所を徹底的に拭き掃除。ダンナは他の部屋の掃除です。

翌日。午前にも何かしたのだけどな?記憶が既に朧。ポンコツな記憶力。あ。そうだ!思いがけず長い間帰って来れなかったので、和服の樟脳を入れ替えたのを思い出した。他にもあれこれ。あれこれ。確か母用に柔らかご飯をいっぱい作ったわ。
午後、義姉さんがやってきた。まずは父の状況を話してくれた。
それが。
本当に良くなかった。
昨年末、具合が悪くなったので義父が手術をしたのは知っていた。
喉に腫瘍が出来て細くなってるから、食事を取れるように管?をつける手術だったかな?それ以後、固形物はほぼ食べれないので、食事する時はミキサーにかけている。食べるのに時間がかかると義父がぼやいていた。だから今回の手土産を義父が食べてる会社の介護食のレトルトをあれこれ買ってきた。少しでも食事を楽しく取って欲しいので。あれこれ義母とアレンジ介護食を作って、義父に食べてもらい、お気に入りのレトルトを大人買いして送ろうと思ってたんだよね。まあ計画倒れになってしまいましたが。
義母は「お父さんは医者に食べたらイカンと言われてるのに、贈り物の柿の和菓子を食べたんや。で、喉が詰まったんや」と言ってたのだけどね。だからね。そこまで心配してなかったのですが。そうじゃなかったのです。
義姉が言うには「お父さんは血液サラサラになるお薬を飲んでるから、出血が止まらなくて輸血した」と。の前に、腫瘍と言うのは転移したガンだった。足が浮腫むと義父がぼやいてたのも、私は心臓のペースメーカーの電池交換の時期が近いからかな?と。気楽に考えてたけども。それは心臓が弱ってるかららしい。
お正月のユニクロのセールで、暖か下着やソックス他いっぱい送った所、すごく喜んでくれて嬉しかったんだけどな。
義父は高齢だから。例えガンだとしても進行がゆっくりなので大丈夫と言った。それに対し、その先生信用出来ない!と私が言ったらば。
いや、大丈夫じゃないけども、手術とか抗がん剤とかやるより長生き出来ると言われたと。電話で義父から聞いた時はそんな感じだったんだよね。
だから。まさか!こんな突然に具合が悪くなったと知らされるとは!!!
義姉は続ける。
「医者が言うには『すぐどうこうではないけども、あまり長くない』と言われた」と。
涙が溢れる。ダンナも無言。
コロナさえなければ、去年の正月から帰省出来ないという事態はなかったハズだ。
「先生が『東京から戻ってきたなら10分だけ面会を許可します』と許可が出てるので今から面会できる」と伝えられた。
ならば会うしかない。
「お義母さん、私達面会してそのまま相模原に戻るからね。あれこれ作って冷蔵庫に入れてあるから食べてね」と伝えた。
義父が入院して、腰が曲がった義母が一人でこの家で生活出来るんだろうか?
心配は心配だけど、今は義父に会うのが優先だ。
田舎です。義父が入院してる大きな病院は、ダンナの家からそこそこ遠い。車でないとお見舞いも出来ない。義姉さんに案内してもらわないと、私たちは義父の入院してる部屋もわからないし、許可を取ってるのは義姉だ。
ともかく。ともかく今は義父に会いたい。
それが最優先。
トップ画像は義父が入院してる病院の受付の窓から撮影しました。
マスクを駐車場で新しいものに取り替え。手指を消毒。エレベーターで8階へ。受付で面会の申し込みをする。
面会はまずは義姉さんから。コロナ対応で3人同時に病室に入れないのです。
待ってる間、他の入院患者さんに面会申し込みに来た方を、受付の看護師さんが断っていた。
「入院患者さんの面会はお断りしています」
「今日は誕生日なのでプレゼントを渡したいんです」
「申し訳ありません」
私達が義父に面会出来るのは特別な事らしい。
特別は嬉しいけれど、なぜ特別なのか?嫌な想像が浮かんで消えた。
考えると怖い。
すぐに義姉が戻ってきた。
いよいよ。ようやく義父に会える。
嬉しいけど怖い。
一昨日はウキウキで義父のために介護食のレトルトを探してドラッグストアを梯子してたのに!
義父と会う。
巨人戦を見てた。
病院で借りた患者さんの服を着てる。余裕あるように作られてるからか?そうは思いたくないからか?ベッドの上の義父は去年の正月に会った時とそう変わってないように思えた。
で。まず義父は私の血圧が年末来とても高かったことを心配してくれた。優しい人なのです。
けど今は。面会時間は10分しかないのだ。
それより言いたいことあるだろう?
実は帰省に際し、義父にお手紙を出してあった。義父も義母も耳が遠くなってて、電話ではなかなか会話が成り立たない。で。お手紙です。ブログに貼り付ける画像を写真屋でプリントアウトして絵ハガキにして送るんだ。今回は封書で長文だった。
「緊急事態宣言が明けたので一回顔を見たいです。コロナ感染予防には最大限注意します。すぐに帰るので1泊だけさせてください。
追伸:長い事会えなかったので、お義父さん達が言いたいこと伝えたいことがあれば、私たちはちゃんと聞きますので」と言う内容だったハズ。
けどまさか。病院のベットでそれを聞くことになるとは!!
まさかまさかの言いたいこと。伝えたいことを聞くのが怖かった。だって〜〜〜!!!
これは個人情報なので書けませんが。私とダンナは義父の言葉を確かに聞けた。
それは幸いだった。
最後に。
「〇〇さん(私の名前)から(私に)聞きたいことはあるか?」と義父に聞かれたが。
この時私はすでに号泣してた。泣いてると話せないんだよ。それにこの状況で何が聞けるというのか?
混乱の中で義父に会ってしまった。
「今はないよ。次に5月のゴールデンウィークに帰ってくるから。その時にゆっくり話そう」
と伝えるので精一杯。
(出来たら5月にはお父さんと家で会いたいんだ)が心の声。病院のベットで会うのは嫌だ。
視界の病室の入り口に義姉の姿がある。時計を見ると既に20分が経っていた。面会は10分程度でと言われていたのにだ。
早くもお別れの時間である。
元気でいてね。といつも義父に別れ際に伝えていたけど。今回は言えない。だから。攻めて。
「アロエの根が出ないの」
と呟けば。義父はすぐに「水をやり過ぎじゃ。大事にし過ぎるとそうなる」と教えてくれる。
「もう少し詳しく。アロエの育て方を、次に戻った時に少し教えて欲しい」
義父の趣味はサボテンだ。県知事賞を何度も受賞してるサボテン栽培の達人だ。私が相模原で育てているのも父にもらった奴がほとんどで。
そんなこんなで涙顔で義姉の元へ。面会は3人同時には出来なかったのだ。コロナのせいで。
帰り道は重い足取りで駐車場へ。
「義姉さん。話せなかったわ」謝罪を込めて伝えると。
うなづかれた。
実はダンナの家から病院までの車内でだったか?義父の会う前に、私達は既にある程度の覚悟が決まっている義姉に「父のお葬式は家族葬か普通のにするか考えておいて」と言われ。それに「お父さんに聞く?」と私は答えたのだ。義父はとても理性的な人で、全てを論理的に行動する。だから本人に聞けばいいと思ったんだ。
だってさ?今は入院してるけど、義父はすぐに退院してくると思ってたのだ。
だってだってさ。義父は2日前に、かかりつけ医の病院へ自分で車を運転して行ったんだよ?だからさ。
駅に着いた。次の特急は午後4時過ぎに出る。私達は今から義姉に一人家で過ごす義母と義父をお願いして相模原に戻るのだ。
待ち時間が30分ほど。観音寺駅で面白自販機を見つけた。
いりこだしはうどんの出汁に使います。
香川県はうどん県と名乗ってます。
自販機のデザインは、下部に三環橋と寛永通宝。観光スポットです。わかる人にはわかるデザイン。
やってきた特急しおかぜはアンパンマン列車だった。
途中で他のアンパンマン列車とすれ違う。
しおかぜは瀬戸大橋を渡る。
雨模様。幻想的な風景ですが。夕暮れ近くとあっては光量が足りない。
新幹線の自由席はほぼ満席だった。流石に通路には立ってないけれど。1号車と2号車を繋ぐ空間には立ち乗り客が数名いる。
やがて2人の幼い子供連れのお母さんが席を探して1号車までやってきた。空き席はひとつしかない。それを見て若い二人連れの男性が譲って席を立つ。タイミングよく私の席をお母さんとトレードすれば、3人並び席が空く。けど次の駅で乗ってきた客はもう空き席はない。そんな混み具合にげんなりです。大阪は関東より先に緊急事態宣言が開けたからね。人の動きも激しい模様。
大勢が新大阪駅で下車したけど、入れ替わるように新しい客が乗ってくる。コロナ禍が始まる前に戻りつつある。そんな3月28日でした。

新横浜駅到着。町田駅を経由して小田急線のホームで電車を待っていたら?
え〜と?どっちを先に撮影すべきか?
ロマンスカーを優先しましょう。小田急線の乗り口のドアなんですが、変わってると思う。だってさ、ホームから客が入ると目の前に乗客が座るシートがあるんだよ?普通は車両と車両のジョイント部に乗降口があるよね?
で。こっちは最前列。普通は一番前には運転手がいるのだけれど。ロマンスカーは最前列に乗客が座ってる。ロマンスカーは歴代同じ作りだなあ。
ロマンスカーを見送って。
ミロ200円だってさ。コーヒーが100円なのにミロは倍の売価なのが謎。量が違うのだろうか?ミロが飲んでみたい。なぜに閉まってるのだ?
うん。閉店時間が19時か。え〜と?ただいまの時刻は20時52分!うん。閉店時刻を過ぎていた。
実はロマンスカーとミロのスタンドは私の心のスイッチをパン!と切り替えてくれたようだ。確かに入院してる父は心配だけども。会えたのだ!そこを喜ぼう。だってさ、何度も言うけれどこの前会ったのは去年のお正月なんだ。そうだな。急にどうこういう程ではないならば。昨日、新大阪から岡山までの新幹線の車窓では途切れなく桜が咲いてたんだよね。そういや、相模原でも桜はもう咲いてるんだった。ボロボロの心に栄養が必要だ!ってなことで、翌日の3月29日に米軍住宅の桜・二宮神社の桜・松が枝公園の桜と小田急・相模女子大の100年の桜・芹沢公園の桜・恩田川の桜を見物。
さらに翌日の3月30日は水道みち・麻溝公園・相模原公園を桜見物しつつ散策。
さらにさらに翌日の3月31日は芹が谷公園で桜を眺めつつお昼ご飯・泉の森公園を散策した所で、歩き過ぎて足裏に水膨れが出来た。やり過ぎた。
4月1・2日はブログ記事をまとめて作成し予約投稿。そして4月3日も続けてブログ記事を書いてたのですが。午後、義母から電話がかかってきたのですよ。それがもう〜〜〜!!驚天動地の知らせだったのですが、その時の私は気づかなかったのです。(続きます)
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