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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

品川の光福寺さんのイチョウ2019/12/8

2019年12月18日 05時26分39秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/12/8の東急線・東急バス1日乗車券を使って紅葉さんぽ。3箇所めは品川区大井町の光福寺さんです。今年2月17日に巨木探訪で立ち寄った際、高さ40メートル・幹回り7、2メートル・樹齢約800年のど迫力で迎えてくれた大イチョウ。東急1日券があるので、黄葉したお姿も拝見したい!と思ってのチョイスです。
12時過ぎ。大井町駅に到着。前回は徒歩で向かいましたが、今回は東急バスも使える1日券なのでJR大井町駅前から発着する井05系統に乗車して大井第一小学校前バス停で下車。徒歩数分で大イチョウが見えてきた。
見えて来たんだけども〜〜あ〜れ〜???
黄色に葉をたくさんつけた姿を思い浮かべてたのですが。
もしかして、既に落葉すみなのか?がっかりしつつよく見れば、ちょっとだけ枝先に葉っぱが残っている。
じっくり見上げてみれば、ちょっぴりしか残ってない葉っぱの色が黄色くない。
これはどういうことなのか?
もしかして潮風でやられたか?
逆光でだいぶん明度を上げましたが、裏側は垂乳根がいっぱい。そしてこの角度から見ると、イチョウが画像中央先と左先で大幹がぷっつん切れてるのが分かる。過去に一度ここで切断されたようだ。何があったのかなあ?
前回撮影画像と見比べてみよう。
こちらが2019年2月17日に撮影したもの。なんか、今回撮影画像と比べて枝が多い気がする。もしかして今年剪定したのかも?ならその時に葉っぱもつけられなかっただろうから。にしても黄葉した巨木を見たかった〜。残念〜。
さ、次行ってみよう!時刻は12時半を回りましたよ。バス停に戻る。けど、あれ?なんか系統が違うバスが来た。
東急大井町駅から次に向かったのは九品寺。東急線の紅葉の名所といえば、一番に上がるお寺さんです。時刻は13時15分。いいペースだね。
光福寺のイチョウ:区内最大樹で、麻布善福寺の「さかさイチョウ」と兄弟といわれ、整った木の姿は壮観である。幹と大枝からは古木であることを示す乳根をたらしている。明治時代まで、沖合の漁師たちは、航行の目標にしたといわれている。 平成28年8月31日 品川区教育委員会。
あ。ここが九品仏駅から徒歩1分の九品仏寺の参道入り口です。けど参道の石柱には「浄真寺」と石彫してあります。人が大勢同じ方向に歩いていくので、間違えようがないと思いますが念のため。
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巨木探訪、神奈川の名木百選影向寺のイチョウ

2019年12月16日 05時21分42秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/12/8鑑賞。
昨日に引き続き川崎市の影向寺(ようごうじ)さんを紹介。このところハマってる巨木探訪シリーズです。今年の関東の紅葉は全体に遅かった。だからか、12月に入ってもまだイチョウの葉っぱが残ってました。
巨木探訪なので、ダンナにタバコのハイライト代わりに木の横に立ってもらう。
この木の根元。先日訪問した町田市薬師池公園の薬師堂にあるイチョウと全然違う。本来、巨木はこれくらい根元がごつくないと数百年も立ってられないのか?それともここの地質が硬くてごつい根張りが必要なのか?
ンなことはともかく、巨木の幹にそっと手を当ててみた。日が当たってるというのもあるけども、イチョウの幹は暖かいなあ。まだまだ元気な巨木だ。頑張ってね。
説明板発見:影向寺の乳イチョウ
乳柱を削って汁を飲むと乳が出るようになるという伝説があり、当寺の絵馬に乳しぼりの図柄が多い。堂々たる古木である。
樹高:28メートル 胸高周囲:8メートル 樹齢:約600年(推定)
かながわの名木100選 昭和59年12月選定
イチョウは、中国原産の落葉高木で、その仲間は古生代から中生代にかけて栄え、日本にも化石が産出する。1科1属1種の雌雄異株の裸子植物である。
樹高45メートル、胸高周囲14メートル、樹齢約2000年に達するものもあるといわれている。」
いいものを見た!時刻は10時12分。気分よく次行ってみよう!
バス停までは下り坂。道の両側に坂。いわゆる尾根道です。途中でウォーキング案内図を見つけた。影向寺さんだけでなく、たちばな古代の丘緑地まで橘樹郡衛遺跡だったのね。
バス停に10時24分到着。今日は東急線・東急バス1日乗車券を利用しての紅葉散歩です。鷺沼駅から鷺02系統を利用したけども、東急バスは他にもあるね。次は小杉駅に行きたいんだが。
やってきたのは杉06系統だった。小杉とは台風被害でニュースになった武蔵小杉駅です。着いたけど、駅には台風の被害跡は残ってない。東急線へ。向かったのは日吉駅。
10時59分日吉駅に到着。チェックさせていただいているブログで慶應義塾大学のイチョウ並木が見頃とあったので寄ってみた!本当に見頃です!凄い〜〜。(続く)
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巨木探訪・山王日枝神社の大銀杏2019/12/3

2019年12月06日 05時47分00秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
赤坂にある山王日枝神社さんの大イチョウは今年3月9日に鑑賞済み。けど3月にはまだ葉っぱが出てなかった。
どうせなら黄葉した姿を見たいと思い溜池山王駅で途中下車。7番出口を出ると、目の前は首相官邸だった。
官邸の木々も紅葉中。
APAホテルそばの階段を上がると、日枝神社さんの石段前に出る。
はい!まだ全然黄葉してない〜。ここは東と南にビル。西側に神社のこんもりとした高台があり、大イチョウにほとんど日差しが届かない。まあ予想通りだったなあ。引き返す。正味10分弱の日枝神社さんでした。参拝もしてないしね。
次は溜池山王駅から日比谷に移動。日比谷公園にある首かけイチョウが黄葉に色づてるといいなあ。この木は大きいのに見頃が早く、大概葉っぱが散ってがっかりしてばかりなんだ。今年は紅葉するのが例年より遅めらしい。期待出来るかも?

今日の記事は短いので8時頃にもう1本日比谷公園の首掛けイチョウの記事を投稿します。
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巨木探訪・町田市薬師堂のイチョウ

2019年12月03日 05時33分11秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/11/29参拝。
今年の夏、薬師池公園の蓮の花を見物し、薬師堂を抜けて町田ダリア園で鑑賞した。その時も大きなイチョウだなあと思ったけど、その時はじっくりとイチョウを見てなかったので、改めて見上げる。
高い。ってか、イチョウなのに葉っぱがあるのは随分上だ。これ、黄色になってるのかなあ?
実はブログを書くにあたり、撮影画像を明るさと色を調整しました。実際見上げた時は葉っぱの色もよくわからなかったんだよね。画像を最大明るくしたけど葉っぱはまだ黄色くないなあ。まだ黄緑。ほんのり黄色くなりつつある感じ?
見下ろす。木の大きさ太さに反し、根元はショボい。ってか、この程度の根元でよくこの大木が立ってられるなあ?
あ!理由が書いてある。
「町田市指定 NO.2 保護樹木 イチョウ
樹高35メートル 幹回り4、8メートル
このイチョウは、明治9年の崖崩れで3メートルほど埋まり、大木特有の堂々だる根張りは地中に隠されています。このイチョウは、雄木なので実はつきません。はるか薬師池を見下ろす豪壮たる樹冠はすばらしい。 2000年7月13日指定」
高い高いと思ったけど、35メートルもあるのね。しかも地中に3メートルは埋まってるとか。すごいです。
説明板発見:野津田薬師堂 
開山:行基 開創:天平年間
縁起:普光山福王寺と号し、聖武天皇御宇天平年間の草創にして本尊薬師如来は開山行基が彫ったもの。その時華厳経の一部と若干の封戸を賜り勅願所となる。
光厳帝の正慶2年殿宇宝経が戦乱で焼失。勅書と医王大士、夜叉神像のみ残る。(後略)
説明文をブログに転載するにあたり、だいぶん手を加えましたが、途中で挫折しました。
説明板は古字を現代の字に直し、言葉遣いも現代文で優しくしてください。(魂の叫び)説明板は読まれてナンボじゃないの!?「嚴」とか表示するの大変なのよ!「寳」とかもそうよ〜。
薬師堂から公園に戻る。
参道を降りてきた。
画像左奥にある建物はトイレ。なのに素敵な画像になった。紅葉マジックです。
蓮池チエック。今年は殆ど花がつかなかったらしい。私が訪問した時も花はほとんどなく、蕾も同じく。こういうのって年でばらつきがあるのかなあ?
薬師池に戻ってきた。上の画像中央奥、高いところで一番高いのが薬師堂のイチョウです。やっぱりまだ黄色くなってなかったよ。ちなみに、分かりにくいけど中央奥に茅葺き古民家の屋根が写ってます。手前に葉のない低木は梅林です。

11月17日に八王子いちょう祭りでいただいた花の種をベランダのコンテナに植え付けてました。ある日、窓の外が騒がしいな?と思ったものの、寒いので窓は閉めたまま。で、気づいた時にはコンテナが荒らされてました。おそらく犯人は鳥です。鳥にベランダのコンテナを荒らされるのはこれが初めてではない。こぼれた米を捨てるのも勿体無いな〜?と。コンテナで肥料になってくれ!と入れてあった時も鳥が来た。
今回のコンテナは11月初旬に去年腰痛でできなかったコンテナの土を全て入れ替た時、コンテナの中で増えすぎたグラジオラスの球根を綺麗に咲かせようとコンテナを1個増設したんですよ。だから表面に他の植物がまだ出てない1個にいちょう祭りで配ってた花の種を2列に植えたんですよ。で、それが鳥に荒らされた。コンテナから肥料に入れた腐葉土がベランダにばらまかれてましたよ。ええ。ちきしょ〜!!その時に花の種もやられたんだろうとほとんど諦めてたのですが、芽が出てました。一部。
つまり一部残ってた。11月中の植え付け可な種ですが、早くも最高気温が10度程度の日がやって来ちゃった。もう少し芽が育っててくれてればよかったんだけどな。残った芽が来年咲けるように手入れ頑張ろう。去年は腰痛で手入れが出来ず、だいぶん諦めちゃったからね。手入れさえ楽しめる。
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箱根神社のけけら木と面白自販機と箱根登山電車

2019年08月29日 05時10分53秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/8/3参拝。箱根神社の巨木・矢立スギと安産スギを見物後、社務所に向かう。
私「けけら木はどこにありますか?」
社務所「石段を降りて、駐車場の側のお札所の裏手にあります」
私「駐車場って、矢立スギの前の道を進めばいいですか?」
社務所「そうです」
ってなことで移動。
ありました!これがけけら木です。けけら木というのは、箱根神社のHPによりますと「芦ノ湖中にある湖底木のひとつです。太古の昔、巨大地震で陸上から芦ノ湖の底に地滑りした樹木の化石で、当神社の縁起には「目代木」(計計良記と訓む)と記され、この木が、古来、伊豆・駿河・相模の界域を示したことから、平安・鎌倉時代、国守の代理となって任国に赴いた役人の名称「目代」にちなんで名付けられたといわれます。
また「けけら木」は湖水の心なる木ゆえに、「こころ木」ともいわれ、鎌倉幕府三代将軍源実朝公が当神社に初詣した恒例の「二所詣」の折には次の和歌を詠んでいます。
たまくしげ 箱根のみうみ けけれあれや ふた国かけて なかにたゆたふ 源実朝
(歌中の「けけれ」は、上代東国の方言で「心」の意)
この木は、先年、夏の湖水祭り・例大祭の翌日、この地方を襲った台風の影響により、芦ノ湖が荒れ、浮遊したもので、この地に遷されました。
湖中には今なお千古の謎を秘めて、「目代木」のほか、萬巻上人が九頭龍を調伏して繋いだ栴檀伽羅木、錫杖木、故杉、影向杉があり、芦ノ湖の五名木と呼ばれています。」
あれ?五名木って何?〜〜〜〜時間がない!今回はここまで!
あ。1個忘れてた!食事処で売られてる龍神あんパン(170円。箱根の天然水と酒種・自家製酵母を使用し、丹念に作り上げました。毎月13日の月並み祭には箱根神社に奉納し縁結びの神様、九頭龍神社の参拝客に振舞われる大変縁起のいいあんパンです。 箱根ベーカリー)を買わねば!!
「龍神あんパンください」
「すみません。午前中に売り切れました」
や、やっちまった〜。やっぱさ、箱根関所を後に、先に箱根神社を参拝すれば良かった〜。後悔するももうあんパンはない。肩を落としつつ箱根神社を後に。時刻は早くも午後2時半。
あ。面白自販機発見!エヴァンゲリヲンとピカチュウ!
そんなこんなで箱根神社前バス停に到着。けども先客が並んでます。この時点で大分ヤバヤバです。やってきたバスは既に立ち客がいる。やっぱりか〜。
つまりだね、箱根神社前から乗る客はすべて立ち客になる。うそ〜ん。この路線はほぼ山道なのだ。つ・辛い。最近ずっとぼやいてる30000円の靴の中敷と7月末に買い換えたばっかりのニューバランスを履いてるので、足がもう限界なんです!4月にあきる野市で桜散歩した時の、6月に東村山市で花しょうぶ散歩をした時の靴ならば、この程度なんてことなかったのですが。
途中で箱根小涌園で大勢が乗り降りしてバスは満員状態。もうどないもならん!ってなことで小涌園駅で降りちゃった!
これが大間違いでした〜〜!!
箱根登山鉄道小涌園駅。箱根1号線きっぷがあれば、バスでも箱根登山鉄道でも利用可なのです。なので!と向かいのホームへ。
時刻は15:11。
やってきた登山電車は、2両編成&冷房なしの車両だった。ということで、満席なので立たねばなりません!(爆)
嘘っそ〜んっ!!
座りたいから満員バスを降りたのに〜。やっちまったぁ〜〜!!
しかもしかもですね。満員バスより登山鉄道の方が箱根湯本駅までの所用時間が長い!15:13発小涌谷駅→箱根湯本駅15:46着。
15:59発箱根湯本駅→入生田駅16:03着。つまり既にゲームオーバーです。
この日の最終目的地の入生田駅そばの神奈川県立生命の星・地球博物館『アオバトのふしぎ』を見物するのはもうできないんです。生命の星・地球博物館の入場は16時までなんですう〜〜〜!!
あの時バスを降りなければ、14時33発箱根神社入り口バス停→箱根湯本駅15時35分着。
15時45分発箱根湯本駅→入生田駅15時49分着。徒歩3分でギリギリ生命の星。地球博物館見学に間に合ってたんですううううう〜〜〜!!もうやっちまった感ハンパない〜〜。それが標高が下がるにつれどんどん暑くなっていく登山鉄道の車内でわかった時。しかも立ちっぱなし。足もどんどん痛くなる。こんなに締めの悪い散歩は久々だ。

こちら、登山鉄道の名物スイッチバックの出山信号場駅の車窓。ここは外に出られない駅です。
長い車内でダンナに「実はもう生命の星・地球館の入館時間に間に合いません。それでもダメ元で行ってみる?入り口で『アオバトのふしぎ』展だけ見たいって言ってみる?」と聞いたら、ダメ元で行く。とのこと。そっか〜。
ダメ元で行ってみたものの、入り口には「本日の入館は終了しました」と札が出てて入り口がもう開きません。交渉すらできませんでした〜。がっくり。
『アオバトのふしぎ』展は11月10日(日曜)までやってるので、再訪しよう。でないと、なんか(終)マークがつけられへんわ。

せっかくなので、入生田駅そばのかながわの名木百選を確認へ。
やっぱり枝を切り詰め過ぎた模様です。
こちらは今年の3月の終にこの木を見物に来た時の様子です。
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箱根神社の安産スギ

2019年08月28日 05時52分06秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.8.3参拝。箱根神社の巨木は2本。かながわの名木100選の矢立スギと安産スギ。巨木サイトで見つけました。けども、旧東海道の杉並木や箱根神社の境内にも巨木はあります。
矢立スギそばの石段を上がる。途中に兄弟スギの残骸を見つけました。
 
場所は赤い社のそば。説明板発見:兄弟スギ
大きい方を十郎杉、小さい方を五郎杉という。筥王(五郎時致)は、17歳まで当所箱根権現の稚児として奉仕中、亡父の仇討ちを果たしたい一心で境内の杉木立を師匠として修練。剣の道を自得したという神木の一つ。かつては武運めでたい「剣難避けの杉守り」として信仰されていたが減失し、今は根株に名残を留めている。仇敵駆動左衛門尉祐経が参拝の折、五郎に与えた赤木柄の短刀は、国指定重要文化財として当社に現存する。右の社は、曽我神社である。」
ということで、石段を挟み武道場があるのも、曽我兄弟の仇討ち成功にちなんでるのかも?私が訪問した2019年8月3日は、武道場で弓道大会が開催されてました。
ところで、曽我兄弟の仇討ちはご存知ですか?日本三大仇討ちの一つ(赤穂浪士の仇討ち・伊賀越の仇討ち・曽我兄弟の仇討ち)です。軽く説明しますと、時代は鎌倉。出店は「吾妻鏡」。曽我兄弟の仇討ちは、歌舞伎や能、人形浄瑠璃として上演されてきた。
物語は、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎と曽我五郎兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件。
https://blog.goo.ne.jp/arare_002/e/4612fc97c75ea913a4f46ce5e6e6a62a こちらは2017.2.15の曽我の里史跡めぐりの記事です。曽我兄弟のお墓は小田原の曽我梅林の近くの城前寺さんにあります。
さて、石段を上がると本殿(トップ画像)があるのでまずは参拝。
狛犬も苔が背中についてますね。
ついでにいつもの絵馬チェック
龍です。んん?
龍といえば龍神水ありました。なんか、ごくごく飲んでるおじさんがいる?あれ??手水舍は石段のしたにあったし何やろか?進んでみれば、九頭龍神社新宮があった。ついでにこちらも参拝。なんかね。恋人達のパワースポットなんだって!へえへえへえ〜???
あ。見つけた!安産スギ。
全景を写せる場所は?
難しい〜〜!!巨木なのに、周囲に空間がない〜。
こんなんやで?
あ。説明板発見:安産杉の由来
この大杉は、古代山岳信仰の名残をとどめる幸運の栄木です。遠い神代の昔、高天原から降臨された皇孫瓊瓊杵尊が、この地上で初めて出会った容色婉美な木花咲耶姫命(富士山の神様)と結婚して、日継の皇子、彦火火出見尊が誕生させたという神話に由来します。
箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしていますが、この木は古代祭祀の象徴さる神籬(ひもろぎ)栄木として崇めてきたものです。これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになりました。かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して実朝(三代将軍)が無事誕生しました。爾来武家や庶民の間にもこの風習が広く行われるようになったと言われます」
奥に伸びる道があったので、そこから木を撮影してみる。
周りに木があってなかなか全景は撮影できない。
帰りに振り返ってみた。画像奥中央に聳えてる木が安産杉です。
さてと、実はもう1本みたい木があるのだけど、場所が安産スギ以上にわからんので、社務所に聞きに行こう。
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箱根神社の矢立のスギ

2019年08月27日 06時04分57秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/8/3訪問。
説明板発見:箱根神社 道中安全・開運招福の神 関東総鎮守
御祭神:箱根大神・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花咲耶姫命
御由緒:当神社は悠久の昔から、箱根の霊山と景仰された神山、駒ケ岳におまつりされた古代山岳信仰に起源し、奈良時代の天平宝字元年(757)箱根三所権現として現在地に奉遷されました。
爾来、源頼朝を始め徳川家康など歴世の武将たちが崇敬した関東総鎮守の社として名高く、かつまた修験の霊場として栄え、箱根の権現様と親しまれ、厄除開運・交通安全・心願成就に御神徳の高い神様として庶民の信仰を集めてきた古大社です。
御皇室の尊崇も殊の外めでたく近年では、明治天皇、大正天皇に続き昭和55年には天皇皇后両陛下の御親拝を仰ぎました。」
芦ノ湖沿いに旧杉並木から元箱根港へ。湖沿いの遊歩道を赤い鳥居目指し更に移動。
トップ画像の鳥居に13時55分に到着しました。鳥居越しの芦ノ湖を撮影したいと思ったのですが、すごい行列があり諦めた。
だってこうなんだもの〜〜。なぜにこんなに人気の撮影スポットになってるのか??
あ。説明板発見:平和の鳥居の由来
鳥居扁額の題字は前宰相の吉田茂氏の墨蹟であります。
氏は平和条約を締結して太平の基を開かれその偉勲は(中略)箱根神社は鎮座1200年世界平和祈願祭に当り適う。オリンピック東京大会開催に際し、特に平和の二字を題して奉献せられたものであります。
扁額は湖上正面大鳥居に掲げこの平和鳥居を新日本発揚の記念として永く後世に伝えるものであります。1964年10月25日
そうか〜。平和鳥居は前回の東京オリンピックの時に建てられたのですか。並べばよかったかもな。
列を横目に石段を上がる。と目的の巨木が見えてきた。
いつもの。残念ながら周囲を囲ってあり、幹の大きさがわかりにくい。
箱根恩賜公園で雨と霧が多い。とパンフレットに書いてありましたが、この巨木にもがっつりコケに覆われてます。
説明板発見:かながわの名木100選 箱根神社の矢立のスギ
平安時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎(蝦夷平定)に、また陸奥守源頼義が安部氏追討に際してこのスギに⚫︎(表)矢を献納したと伝えられている。幹はまっすぐに高く伸びて樹勢も旺盛である。
樹高:33メートル 胸高周囲:⚫︎(6)、0メートル 樹齢:⚫︎⚫︎(1200年(伝承)」
〜〜〜〜〜!!!説明板は石板のハズですが、痛んでて読めません〜!!どゆこと??
しかもですよ。実は2019年8月3日に訪問したのですが、箱根神社はお祭り週間でして、木の全景がちょうちんに遮られ写せない〜。え〜〜。
なんとかならんものか!!
WEBの海を巡り、読めなかった文字を埋めました。赤字の部分です。
広場のはしっこから撮影してますが、上が映らない。
実は鳥居の奥、ちょうちんの向こう。中央に見えてる大きな木が矢立スギです。祭りのちょうちんなのでどないもならん〜。
さて、もう1本の巨木を探さねば。石段を上がります。
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箱根旧街道杉並木

2019年08月26日 05時53分55秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/8/3訪問。大磯照ケ崎海岸でアオバトの飛来見物→箱根関所跡・資料館→恩賜箱根公園→箱根旧街道杉並木13:00到着。
最初入り口がわからなくて、恩賜公園の駐車場の端から箱根神社方向へ探しつつ国道1号線を移動。無事に入り口を見つけ旧街道へ。するともう別世界。江戸時代へタイムスリップです。
トップ画像(奥が江戸方面)では杉並木の杉の1本1本の大きさが分からないかも?ということで、いつもの。
恩賜公園の一押しはコケだと紹介しましたね。雨や霧の多い公園では、147種類のコケが観察されてます。その公園と国道1号線を挟んで杉並木があるのですから、杉並木もコケやシダが多くて当たり前。
コケを観察してるところをダンナに激写されてました。ちなみに、足元は土道でして、ところどころぬかるみが残ってます。
(奥が京都方面)
わかりにくいですが、杉の根元に紫陽花がまだ咲いてます。
説明板発見:箱根旧街道杉並木
江戸と京都を結ぶ「東海道五十三次」は、江戸時代の元和4年(1619)
頃に、それまでの湯坂道を廃し、湯本・畑宿・箱根を廻る街道に改められました。この杉並木は、徳川幕府が、旅人に木陰を与えようと道の両脇に植えたもので、東海道では唯一のものです。
第二次世界大戦中、伐採されそうになぅったこともありましたが、現在では、国指定史跡として保護され、芦ノ湖湖畔周辺の4地区に、約420本の杉が残されています。
残された杉には、人々の愛護の心が込められています。杉並木を大切にしてください。 文化庁・神奈川県教育委員会・箱根町教育委員会」
実は箱根って今火山活動が活発で、ロープウエーが止まってるでしょ?だからもっと閑散としてるだろうと思ったのですが、元箱根は観光客が多かった!国道1号線を歩いてる外国人もそこそこ見かけたのですが、杉並木はほとんど人がいない。たまに年かさのおじさんとすれ違ったくらいです。巨木ファンとしてはぜひ杉並木も見て欲しいけどなあ。これを素敵だと思うのは、巨木ファンくらいなんだろうか?残念〜。東海道53次が1619年に整えられ、箱根関所も作られたなら、杉並木も同じ頃に整備されてたハズ。その頃に植えられた杉が杉並木の杉の中に現存してるなら、樹齢400年ですよ!巨木ですよ?見ましょうよ。まとまって巨木が残ってる場所ってもう国内にあんまり残ってないよ。それも楽に見物出来る場所はそうないよ?おすすめだよ〜。と巨木ファンは嘆いてみる。
保存された杉並木の終点で国道1号線に合流。少しだけ1号線を歩いてみたけど、交通量が多い。歩道も狭いのであんまりウォーキングに向いてないと思ったので、芦ノ湖沿いの遊歩道へ。そのまま元箱根の船着場に移動。豪華な海賊船が、桃源台に向けて出航していきました。あ!赤い鳥居が見えてますね。あそこが次の目的地の箱根神社です。
何かあった。
説明板発見:賽の河原町指定史跡
この地は地蔵信仰の霊地として、江戸時代東海道を旅する人々の信仰を集めたところです。その規模は大きく、多数の石仏、石塔が湖畔に並んでいました。
しかし、明治時代に入ると、仏教の排斥から多くの石仏が失われ、また芦ノ湖湖畔の観光開発の中でだんだんとその規模が縮小し現在のようになりました。
現存する石仏、石塔の中にも鎌倉後期と推定される艘塔を始め貴重なものがあります。(昭和61年6月)箱根町教育委員会」
遊歩道を進む。道にはベンチもあるけど、木陰のベンチは全部先客が。ようやく空いてるベンチを見つけておやつ休憩。けど直射日光が辛くて早々に休憩終了。元箱根は標高720メートル。5度は確実に自宅のある小田急相模原より低いハズ。けど暑いものは暑い。おかしいなあ〜。下界はどんだけ暑いんだ。
箱根神社の参道に木陰のベンチを見つける。芦ノ湖を眺めて小休憩。水筒が一つ空になってしまった。用心で水筒2個持ってきたのは正解だったらしい。
そこへ外国人さんが地図片手に聞いてきた。迷子らしい。
指差して「箱根シュライン」と答える。神社=シュラインというのはかろうじて覚えてた。それが聞いてきた外国人さんの求める答えだったようで安心した。今時の日本の観光地では英語くらい話せばならんのね。私は無理〜。さて、次は箱根神社の巨木です。
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武田信玄ゆかりのさいかちの木

2019年08月10日 05時33分49秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/7/8訪問。
7月6日に公民館の歴史講座相模原の戦国史〜北条氏・武田氏の三増合戦〜に参加。
少し詳しく書きますと、『1569年(永禄12)10月、小田原の北条軍と甲斐の武田軍が激突した「三増峠の戦い」。北条早雲没後500年を迎え、この合戦に至るまでの北条氏・武田氏たち戦国武将が繰り広げた駆け引きを紐解き、合戦にまつわる相模原の史跡等を紹介します』という講座でした。
北条氏・武田氏の敵対との章に武田氏の小田原攻めと三増合戦というのがあって、三増合戦は永禄12(1569)10月にありました。三増峠は相模原市南区下溝とは相模川を挟んだ向かい側の愛川町にあります。
で『甲陽軍艦』には信玄公が相模原下溝周辺に陣取りしてたとか。で、下溝に信玄が小田原攻めの際、戦勝のさい先を祝って植えたと伝わるさいかちの木があると紹介されました。
マイ巨木ブームな今、歴史好きとのコンボの木が近所あるなら見たい!と思った私。資料に貼り付けてある木の画像だけでたどり着ける気が全くしなかったので、講師の先生に尋ねました。ええ、それはしつこく。行ける!と確信するまで何度もたずねましたよ・
最初の解凍は「八景の棚の近く」だったけど、それでたどり着けるものか!八景の棚なら年2度程度は見に行ってる。それでも木の存在は知らなかったんだ。
もっと具体的にと重ねて聞いたら「スナックさいかちの向かい側」と分かりやすい答えを引き出したので、それを目印にやってきました。
ご覧の通り、きわまで道路で、歩道がない!ちなみに、目的の木はもう見えてます。道路の向こう側です。
道を渡って見上げる。え〜と、永禄12年は1569年だから信玄がさいかちの木を植えたのが今からちょうど450年前。
え??この木が本当に450年前からここに立ってる木なの?それにしては一見ショボいんだけども?
分かります?幹にがっつり空洞があります。これがあるから木は高くなれなかったんだろうね。何しろさいかちの木の裏は崖なんです。相模川の段丘の上にさいかちの木が立ってるんだ。高さがあったら倒伏してただろう。
幹の中央にでっかい穴があるのに、よく450年も立ってるなあ。それに感動します。
さいかちの木のぎりぎりまで道路になってて、無理やり石碑を設置してます。
なんとか読めるかなあ?
さいかちの碑 この地は⚫︎く雨降 丹沢の霊峰⚫︎⚫︎ 相模川の清流を望む景勝さいかち原とある。
その名称の由来は崖上敬⚫︎のさいかちは⚫︎⚫︎武田信玄小田原進攻の際戦勝を祝い植えたものといわれる。そして中腹の横穴は敗軍の将士の自刃の処と伝えているがそれはまた横穴式古墳の跡でもあり遺物遺骨が発掘されている。(後略)
昭和43年戌申十月三日」
お願いだから説明板を設置して欲しい。石碑は読めないと意味ないと思うんだ。
木のたもとにも古い石碑がある。
ちなみに、歴史講座の先生いわく「さいかちを戦勝のさい先を祝って植えたというのは珍しい。この木くらいしか出てこない。」とおっしゃってました。
ちなみに、さいかちの木ってご存知ですか?
wikiによりますと、サイカチ:マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木。樹齢数百年というような巨木もある。木材は建築、家具。器具。薪炭用として用いる。
豆果は生薬で生痰薬、利尿薬として用いる。
またサポニンを多く含むため古くから洗剤として使われている。さやを水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。豆はおはじきなど子供の玩具としても利用される。」ですって。
あれだ。ラノベで流行りの転生モノによく出てくるやつ。昔日のお手軽石鹸ですね。
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巨木探訪・万年橋のケヤキ

2019年07月24日 06時07分21秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.6.16訪問。13:37出発。久米川辻から最短コースで南下。長閑な田園風景を見ながら散歩と思ってましたが、道中はずっと新興住宅街で、歩いて楽しいという場所じゃなかった!
途中、こんもりとした森があったので、何だろうか?と道をそれたらそれはご当地ソース・東村山黒焼きそばソースポールスタアさんでした。欲しいっ!お店を探す。あった!けど店には「移転しました」と地図を貼ってある。行こう!と思ったら、日曜日は休日なんだって。残念〜。
さらに南下。トップ画像の空堀川の脇の石橋供養塔に14:06到着。直進してすぐ、かつて地蔵庵に吊るされていた半鐘を見上げる。
今半鐘がかかってるのは消防団の壁です。北山公園の菖蒲まつり会場で配布していた『ココミテ東村山』オススメコースその4野火止用水を歩き木漏れ日に癒されるコースに合流したので、解説通りに歩いてみる。
14:19、ようやく目的の万年橋のケヤキが見えてきた。久米川辻から徒歩40分もあった。だいぶん、いやこの日は猛暑日で相当に疲れた。
上の画像に信号が写り込んでるので、巨木の大きさが分かるかと。
巨木の本によりますと、「万年橋のケヤキ:東村山市の天然記念物。
樹高20メートル・幹の直径2メートル・推定樹齢500年の巨木で、幹は真っ直ぐ立ち、地際から7メートルから上の幹に交互に直径20センチほどの中枝が伸びています。その先端には小枝が密生、枝張りは東側に7メートル、西側に6メートルあって、樹冠は縦に長い卵型です。樹高20メートルという高さ、道の太さと中枝のバランス、密生する小枝、樹冠の形から、樹勢の衰えた老木ではないことがわかります。」とある。
けどもこの巨木の見どころはそこではない。
分かりますかね?なんとか撮影できないか?と撮影ポイントをさぐったのですが。
ケヤキが野火止用水のギリギリに立ってるのだ。いや、違う。根っこが浮いてるの。
うお〜〜〜!!ひとめで木が立ってる環境を表現出来る撮影ポイントはないものか?
む、ムズイ。

根っこが野火止用水をまたいでます。それはもう橋の幅を渡すほどに根があります。巨木の下を川が流れてる光景はなかなかに見応えがあります。
ちなみに、1996年の台風で地上4メートルで折れた枝跡。この折れた枝を使った賽銭箱がある大岱(おんたい)稲荷神社へ行こう。野火止用水をたどると5分程で行けるハズ。
あ。説明板発見:万年橋のケヤキ東村山市指定天然記念物
指定:昭和44年3月1日指定
所在地:東村山市恩多町1丁目1−1先(私がこの木の所在地を探すのが大変だったので、所在地の住所も書いておきますね)
野火止用水は承応4年(1655)川越藩主人松平伊豆守信綱が。領地である武蔵国新座郡野火止新田(埼玉県新座市)の飲料水として、同国多摩郡小川村(東京都小平市)で玉川上水と分水した用水です。別名伊豆殿堀とも呼ばれます。
万年橋のケヤキは、この用水岸にあります。用水を掘る時このケヤキが大木であったため、その根の下を堀りすすんだ話や、また用水ができたときケヤキが植えられ、土橋づたいに根が延びた話などいろいろありますが、根が向かう岸に達しあたかも橋のようだったことから、万年橋のケヤキの名で、地元に親しまれています。」
上の画像左側は橋の上です。橋いっぱいに根が覆ってます。
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巨木探訪・梅岩寺の大ケヤキとカヤ

2019年07月22日 05時19分32秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.6.16東村山市の梅岩寺さんに13:10到着。
説明板発見:梅岩寺のケヤキ 東京都指定天然記念物
指定:昭和37年3月21日
曹洞宗梅岩寺境内の南、塀の内側に列植えされているケヤキの大木のうち、表門の脇にある一際大きい木が都の天然記念物に指定されているケヤキです。
樹高:27メートル 幹回り7、3メートルあり、都内でも有数の巨樹です。
幹は地上約3メートルのあたりから数本の大枝に分かれ、分岐部にはシュロなどの着生植物が生育し、古木に趣を加えています。
『新編武蔵風土記稿巻之121』、久米川村梅岩寺の条には「門、芳林山ノ三字ヲ篇ス 周囲二条許ノ古槻(にじょうばかりのこっき)、或ハ一丈二尺許ノ椵樹(かじゅ)、門ニ入テ左右ニアリ」と記されています。当時から有名な巨木であったことが窺われます。」とある。
実はだね、大きな木ではあるのだけども周囲を囲ってあり、いつものハイライトになるダンナのていで撮影できない。

なんとかサイズ感のわかる構図を探す。
なんとかわかるかなあ?
ちなみに、上の画像左手が大ケヤキで、右に写ってるのがもう一つの巨木カヤです。

こちらはハイライトになるダンナの構図で撮影できました。
説明板発見:梅岩寺のカヤ 東村山指定天然記念物
指定:昭和44年3月1日
梅岩寺のカヤは都内でも有数のカヤの大木で、目通り幹囲約5メートル。高さ約30メートル。樹齢は概ね600年です。
新編武蔵風土記稿・久米川村梅岩寺の条に「周囲二丈許の古槻、或いは一丈二尺の椵樹、門に入て左右にあり」とありますが、槻はケヤキ(東京都指定天然記念物)であり、椵はこのカヤを指すと思われます。
カヤは一位科に属し、常緑樹で枝も多く、うっそうとしています。」とある。
これさ、ダンナが横に立ってないと、木のサイズ感が伝わらないだろうなあ〜。ダンナがまるで小人みたいです。身長175センチあるんですが。
なんとか、カヤのてっぺんまで入る場所を探しました。
こちらは旧参道から見た画像です。もうちょい先で振り返り撮影しとけば、大ケヤキに並んで立つ他の大きなケヤキも写せたのになあ。失敗した〜。
さて、正福寺さんでであった歴史ガイドさんに教えていただいた梅岩寺さんの4つの紋を探さないと。
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巨木探訪・東京国立博物館のユリの木

2019年07月05日 05時25分18秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019/5/18訪問。上野の国立博物館の巨木。あるのは知ってたけど、博物館に入館する時に見よう!と思ってた木です。
5月18日は、国際博物館の日です。wikiによりますと、国際博物館の日とは、博物館が社会に果たす役割を広く普及啓発するため、ICOM(国際博物館会議)が1977年に制定した記念日で、毎年5月18日と決まってます。ここでいう博物館とは、博物館のほか美術館・科学館・動植物園・水族館なども含みます。日本は2002年から参加。毎年同日には、無料開館や講演会、記念品贈呈などの記念事業が行われています。ってなことで、今年の5月18日は休日に当たったので、上野の国立博物館ことトーハクを訪問。忘れないように最初にユリの木を鑑賞しました。
説明板発見:ユリノキ:モクレン科。 半纏木(はんてんぼく)Tulip Tree 
北米原産の蜜源樹 春、チューリップによく似た花が咲く。
樹齢:140年 幹周り:約5、9メートル 樹高:約24メートル
訪問時、花が咲いてました。
ユリノキの由来:明治8、9年頃渡来した30粒の種子から育った1本の苗木が明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。東京国立博物館は、時に「ユリノキの博物館」「ゆりの館」などといわれる。
へえ〜。
周囲を囲ってるので、いつものハイライトになるダンナな撮影ができません。
木の大きさがわかるかな〜?
帰りに木の下のベンチにたくさん人が休憩してたので、木の大きさが分かるていで撮影した。
さて、本館内へ。国際博物館の日は、一般展が無料見学出来ます。久々に訪問したら、あれこれ変更されてて興味深々。まずは1階からだ!楽しみ〜。
おまけ:ユリの木の紅葉画像
2017年11月7日撮影。 ユリの木は紅葉しても赤くならない。
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巨木探訪・広徳寺のカヤとタラヨウ

2019年05月21日 05時21分27秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019.4.13秋川渓谷の春・広徳寺さんの巨木を見に坂を上る。

説明板発見:広徳寺境域 東京都指定史跡 昭和53年3月6日指定

臨済宗龍角山広徳寺は、応安6年(1373)正応長者の開基で、またその妻、龍智智雲尼が鎌倉の建長寺70世である心源希徹禅師を請うて開山したと伝えられています。その後、天文年間(1532-55)に北条氏康によって堂舎が再建され、江戸時代には幕府から40石の朱印地が与えられ、約12000坪(39600㎡)の境内地を有しました。寺は五日市盆地西縁の秋川右岸の山麓に立地しています。

境内は地形状の制約から、東向きに総門・山門・本堂が東西の中心軸上に配置され、山門と本堂の間の参道を挟んで北側の鐘楼と南側の経蔵とが対置する禅宗伽藍で構成されています。
現在は、18〜19世紀代再興の伽藍と、総門の前面と北側の土塁や貯水池などの遺構が残っています。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
トップ画像は、寺社標のすぐ奥にあった総門から奥に山門を配置して撮影してみた。
説明板発見:広徳寺総門 市指定文化財
切妻造の一間一戸四脚門・桁行は3、64メートル。梁行は3、01メートルある。
中央の2本の柱は円柱、前後の柱は四角柱で、いずれもケヤキ材を使用し、腰貫がしつかり通っており、全体の作りは簡素にして堅固である。
カエル股等も素朴で、室町期の面影を残し、当町内の建築物としては最も古式をとどめている。
正面に掲げられた「龝留禅窟(あきるぜんくつ)」の大額は「前雲国主松平不昧治郷書(さきの国主松平ふまいはるさと)」とあり江戸後期の文化人として高名な出雲の殿様松平不昧公の筆になる。
昭和59年秋より解体修復がされ、さきの扁額が裏面の墨書により文政2年(1819)に作られたことが明らかになった。不昧没後1年を経ている。 昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」

散策直後、まだ桜が残ってるうちにと4月15日に散策をダイジェストして記事を投稿してます。
説明板には広徳寺の配置図がありました。

総門から山門の間は参道で結ばれており、広徳寺さんは桜の名所でもあるので、しだれ桜越しに山門を撮影したいところですが、残念ながら参道の桜の見頃が過ぎてました。
なんとなく雰囲気を感じられるように撮影してみた。
説明板発見:広徳寺山門 市指定文化財
茅葺、寄せ棟造の三間一戸二重門である。桁行は6、36メートル、梁行は3・64メートルあり、礎石は自然石。下層より上層の方が大きく、ときょうは綺麗に組まれ、垂木の線も美しい。前面は通路をふくめ3つに区切られているが太い柱と腰貫が安定感を保っている。足の礎盤は木製である。
階上は回廊がめぐり、中央が四扉にあけられ、左右に花灯窓が一つづつある典型的な禅宗(唐様)の山門である。
楼上に「正眼閣」の横額が掲げられており、その額、ならびに建物全体の状況から江戸中期をさかのぼらない建造物と推測される。簡素で調和のとれた建物で、境内に落ち着いた雰囲気をあたえている。
平成3年秋より永く保存し、公開することができるように全解体修復工事がされた。
昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」
山門に感激し、満足して振り向いてびっくり!

迫力のイチョウが2本並んでいた。大きさを感じれるように左のイチョウの真下にダンナに立ってもらう。樹齢100年越えは間違いなさそうですが、調べてもこのイチョウの樹齢・樹高・目通り幹囲の資料が見つかりませんでした〜。
大きな茅葺屋根の本堂に参拝。広徳寺さんに立ち寄ったのは巨木のため。本堂の裏手へ向かいます。
画像左にあるのが目的の都内最大のタラヨウです。本堂が大きいので、タラヨウの大きさを感じにくいのが残念。
4月15日の記事に紹介しましたが、タラヨウは葉に字を書くと黒く浮き出る特徴があります。もう一度同じ画像を貼り付けてみる。



説明板発見:広徳寺のタラヨウ 東京都指定天然記念物 昭和27年11月8日 指定
龍角山広徳寺は、五日市の古刹として著名な寺院であり、その本堂の裏手にこの都内最大のタラヨウがそびえています。
タラヨウはモチノキ科の樹木で、主に東海地方から近畿地方以西の日本と、中国大陸の暖帯に分布する高木の常緑樹です。
本樹はほぼ自然形を保っており、主幹は直立し、幹周り2・5メートル、樹高は19・1メートルに達します。その枝張りは東西約14・2メートル、南北15・5メートルの威容を保っています。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
広徳寺には巨木がもう1本ある。

説明板発見:広徳寺のカヤ 東京都指定天然記念物 指定:昭和27年11月8日
広徳寺の北側にそびえるこのカヤは、目通り幹囲5・35メートル、樹高24・45メートルを測る多摩地域で最大のカヤです。このカヤの枝張りは東西13メートル、南北約19・4メートルですが、樹冠下方の大枝は南方向に伸び、北側には大枝がありません。
カヤはイチイ科に属し、暖地の森林中に散在する常緑の高木です。東北地方中部から屋久島までと、韓国の済州島にその分布が見られます。
材は、建築、器具、土木用に利用されるほか、種子から採られる油は、食用油、整髪油、薬用駆虫剤として利用されます。 平成22年3月設置 東京都教育委員会」
巨木の周囲には囲いがあり、木に触れない。残念だ。
見上げて満足する。さて時刻は14時46分、出発だ。
その時強めの風が吹いた。

一斉に桜の花びらが舞う。画像に移る白い点は全て桜の花びらです。
来た時とは別の坂を下りる。
坂道の途中にベンチを見つけあられでおやつ休憩。
再び坂を下りる。画像左手の緑の壁。そこにも桜が植わってて、上に道がある。そこを通ってきたのだ。
ガードレールの向こうに枝をバッサリ切り詰めた木があった。

よく見れば、細い枝に若葉が出てた。なんとか生きてるようで安心した。

長い坂を下りたら庚申塚があった。
これが武蔵五日市駅から歩いてくると広徳寺さんへの道の目印になる。
秋川に向かう途中で振り返る。

降りてきた坂道に沿って桜が並んでいた。
15時5分、小和田橋に到着。武蔵五日市駅側の観光案内所でいただいた観光マップには、小和田橋に秋のビューポイントマークがついている。
たぶん川岸の落葉樹の紅葉が綺麗なんだろうなあ〜。
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巨木探訪・都内三大巨大桜の光厳寺のヤマザクラ

2019年05月19日 06時03分33秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019/4/13秋川渓谷の春連載その4。乙津地区から移動。戸倉バス停に12時50分到着。バス停からすぐに上り坂です。さあ、登るぞ〜!!

お昼直後の上りは辛いわ〜。武蔵五日市駅の観光案内所でいただいた五日市・戸倉散策マップ片手に、まずは目印の戸倉しろやまテラスを見つけた。まさかのかつての小学校の校舎がしろやまテラスです。私は揚げパンに心惹かれるものがあったけど、さっき食べたばっかりなのでスルーする。けど、記事を書くにあたり調べたら、学校給食メニューが売りで、せめて画像を抑えるくらいはしとけばよかったと後悔。
トップ画像は光厳寺への道の戸倉給水所側の坂道です。
既に足元はアスファルトから急坂仕様に変わりました。
車で訪問したら画像奥右手の駐車場に停めるのですが、徒歩参拝客は坂道を突き当たりに進んでください。そこにヤマザクラはこちらの案内板があるので、指示に従い左手へ向かってください。
間も無く急斜面に目的のヤマザクラが見えます。
到着時刻は13時。斜面が急過ぎて、ベストポジションから撮影の選択余地があまりない。
巨木の根元あたりは斜面のしたに隠れている。
この角度からが一番青空に見え、花色が分かるかも?
説明板発見:光厳寺(こうごんじ)のヤマザクラ 東京都指定天然記念物 指定:平成5年3月22日
ヤマザクラは、昔から日本人に親しまれてきたサクラで、ソメイヨシノが出現しなかった明治以前は、観桜といえばヤマザクラが主役でした。
分布域は、ホ本州宮城以西から九州、韓国の済州島でも見られます。春には赤茶色を帯びた葉を広げると同時に淡紅白色の花を咲かせます。
天然記念物に指定されている光厳寺のヤマザクラは、光厳寺の門前の東に向いた斜面地にある四株のヤマザクラです。
畑の先にある一番南の株は、日当たりのよい場所にあって、幹周5、33メートル、枝張りは東西25メートル、南北18メートルを測り、樹齢400年は下らないという都内のヤマザクラとして一番な老巨樹です。地元では「光厳寺の大桜」と呼ばれ親しまれています。
他の3株は、招魂碑近くのスギの林に隣接して生育し、幹周2、45メートル。2、75メートル。2、27メートルとどれも十分な巨木です。 平成23年3月設置 東京都教育委員会」
他の3株を探す。
おそらくこれ。でも斜面の向こうにあって近づけない。
満足したのでお寺に参拝していこうと移動する。
上の画像手前右手が登ってきた坂道で、左にヤマザクラの老巨木のある斜面があります。城山に向かい光厳寺の山門があります。
境内も春爛漫です。見所はこれ。
説明板発見:光厳寺扁額 市指定文化財
縦54センチ 横84センチ
「光厳寺」という寺名をしたためた横額で、寺伝によれば、北朝第4代後光厳院より賜った勅額を写したものである。裏面に「元亀元年10月5日英和和尚代造掛之者也」(1570)の銘がある。典雅な書体で、光厳寺の由緒と戦国期の扁額の作例を示す資料(掲示額は複製) 昭和44年7月10日指定 あきる野市教育委員会」
境内には別の説明板もある。
戸倉城跡 東京都指定史跡 指定:平成5年3月22日
戸倉城は、あきる野市戸倉の五日市盆地を眼下に望む山頂に、室町時代から戦国時代にかけて築かれた山城です。
15世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にかけての武士集団)の一員であった土豪小宮氏が築城したとの伝承もありますが、詳細は不明です。その後、天文15年(1546)頃、北条氏康の次男氏照が大石氏の名跡を継いで滝山城主となると、大石定久は戸倉に蟄居したと伝えられています。このことから戸倉城は、大石定久隠居城とも呼ばれています。
北条氏照が滝山城を拠点にして、甲斐の武田氏と対峙するようになると、檜原城が甲州口の押さえとなり、戸倉城は網代城や高月城を経て、滝山城や八王子城へ入ってくる情報を中継する機能をもつ城になっていったと考えられています。天正18年(1590)、八王子城の落城とともに廃城となりました。
枡形・虎口・竪堀等の跡が、現状からでも確認することができます。 平成23年3月建設 東京都教育委員会」
ついでなので、巨木の本によりますと「光厳寺とは?
光厳寺(こうごんじ):宗派は臨済宗。足利尊氏が建武年間(1334-1336)に創建したと伝えられている。南北朝時代に、のちに北朝第4代後光厳帝になる弥仁親王が5年間も隠れ澄んだことがあり、後光厳帝から光厳寺の名を賜った。
東京都三大巨木桜とは?
伊豆大島の「桜株」宮女島の「神着きの大桜」に次ぐのが光厳寺のヤマザクラ。花色が白っぽいので、「光厳寺の白山桜」とも呼ばれている」
時刻は13時18分、出発。あまりの急坂に、自然足元に視線が落ちる。
小さめのマンホールにも秋川を泳ぐ鮎の絵があった。次はどこへ行こうか?迷ったものの、五日市・戸倉散策マップのウォーキングルート通りにしようと思い、戸倉しろやまテラス(旧小学校)沿いに移動。
坂が急なのを利用して、こんな構図で撮影してみた。ちなみに、右手の石垣は、小学校のもの。
見晴らし最高!盆掘川と、大日影通りを望む。この後急坂を降りると、沢戸橋に出る。散策マップに沢戸橋にビュースポットマークがあるので、橋から秋川を見下ろしてみた。
ビュースポットは、秋の紅葉の方が更に輝くだろう。訪問したのは4月13日で、若葉はまだ出始めたばかりです。
さて?ウォーキングコースの降り口はどこだろ?
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巨木探訪・東京で一番でかい杉

2019年05月17日 05時30分55秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽

2019.4.13あきる野市、秋川渓谷の春乙津・養沢さんぽです。

徳雲院の住職に五柱神社さんの詳しい道順を聞いててよかった!
トップ画像は、養沢川にかかる新橋を西へ左折し、しばらく歩くと見つけた五柱神社さんの場所を教える手書きの案内です。まずはこれを道端で見つけてください。
更にトップ画像奥に、二股の道が見えてますね。そこにももう一つ、手書きの道案内があります。ここで、右に見えてる坂を上ります。で、すぐ先の右手の民家の側に細い道がありますので、そこを入ってください。細い道というか、田圃の畦道みたいな道です。
この道です。左奥ににょっきり突き出てるのが目的の巨木です。
上の画像奥、社号標の奥の石段の左に、大きな杉の幹が見えてますが、わかりますか?
絶対ピンボケしてはいけない画像を撮影失敗しました。なんてこったぁ〜。息切れしてたんだよ〜。手ぶれしちゃったんだよ〜。ごめんなざい。
あ。説明板発見:五柱神社のスギ あきる野市指定文化財(天然記念物)
このスギは樹高が約52メートル。地面から1、2メートルの高さでの幹周り(目通り幹囲)が約8メートルと非常に見事な姿を誇り、樹齢は400年前後と推定されています。
周りの集落や山々からも、その姿ははっきりと認められ、地域のシンボルともいえる存在です。 平成14年9月1日設置 あきる野市教育委員会」
するっと読み飛ばしそうになりますが、樹高52メートルは凄すぎです。ビルにして何階建てに相当するのだろうか?見上げる。
けども残念ながら、周囲に木があって、てっぺんは見通せない。ならばせめて全景の見えるポイントはないものか?と、探しましたが、どのポイントからも周りの木が邪魔してます。
ダンナにいつものハイライト代わりになって木の下に立ってもらう。
この杉の大木は、直接触れるので、参拝後私も幹に両手を当てて触ってみた。
すう〜〜っと!
体の中を優しい風が吹き抜けていった。体の悪ものが押し流された気がする。
あちこちで巨木を見て、触れる木には触りまくってますが、こんなにわかりやすく何かを感じたのは初めてです。しかも気持ちいいんだ。そういえば、触れた木肌が暖かかったな。杉には珍しいことです。まさしくパワーツリーってこういうのをいうんだろうなあ〜。ドキドキする。頑張って五柱神社さんに来てよかったよ。この木を知ったのは巨木の本を見初めて最初の方でしたが、大変な場所にありそうで体力に乏しい私には無理だと思ってた木です。まさか来れるとはっ!もう感動ものでした。
五柱神社さんはお社はありますが、社務所はありません。地域の集会所らしき小さな建物はありましたが。人は常駐してません。
木にお礼を述べて10:42に後にする。
説明板に「地域のシンボル〜」とあったので、歩きながら時折大杉を眺める。
さすが樹高52メートルです。
見守ってくれてる感ある素晴らしい大木です。
道は更に上り、この先で杉林になりました。
道端の石垣が面白い。画像ではわからないと思いますが、結構な高さがあります。
大沢にかかる小さな橋がウォーキングコース最高地点でした。
この先は杉林に視界が遮られ緩やかに下る道をしばらく歩く。
一気に視界が開けると、突然大勢の人の気配が先から届く。
乙津花の里と名付けられた龍珠院さんに11:01到着です。武蔵五日市駅から臨時バスも出た大勢の乗客の目的地はここですね。
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