Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

ハプスブルクのヨーゼフ2世と現代の政治家達

2011年07月15日 | 人物

ハプスブルクのマリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世(マリー・アントワネットのお兄さん)は、18世紀後半、農奴解放令・宗教寛容令の発布、公民権上の平等を認め、貴族勢力の弱体化を目指し、商工業や文化の発展に尽力した君主でした。

以下ウィキペディアより抜粋:

“・・・1772年、母マリア・テレジアの反対を押し切り、第1回ポーランド分割に加わる。1780年、マリア・テレジアの死により単独統治を開始すると、翌1781年に農奴解放令を発布した。また、宗教寛容令を発布して、ルター派、カルヴァン派、正教会の住民に公民権上の平等を認めた。一方で国内の多くの修道院を解散させ、その財産を国家が掌握することで財政を富ませた。その他に皇室の料地であったプラーター公園を一般市民に開放したり、ウィーン総合病院を開設するなどの政策を行った。

貴族勢力の弱体化を図りつつ商工業を発達させ、富国強兵・王権強化を図ったが、その改革の多くは抵抗勢力に阻まれた。1790年、フランス革命が激化する中で病で死去。帝位は弟レオポルト2世が継いだ。

改革の多くが挫折に終わったことから、母マリア・テレジアと比べてヨーゼフは否定的な評価を受けやすい。プロイセン王フリードリヒ2世に「第一歩より先に第二歩を踏み出す」と揶揄され、またヨーゼフ自ら選んだ墓碑銘は「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」という皮肉なものである。しかし、ヨーゼフの提示した改革理念は、いわゆる「ヨーゼフ主義思想」として、その後のオーストリアにおける改革運動に影響を与えた。また、文化の発展にも意を用い、特にイタリア人が占めていた音楽の分野では、ドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていたことでも知られる。“

ヨーゼフ2世は、啓蒙思想の影響を受けた絶対主義の君主であり、反対勢力(貴族)から見れば『独裁者』。その急進的改革ゆえ「民衆王」「皇帝革命家」などのあだ名もあったようです。

さて、『独裁者』といえば、菅首相が「脱原発依存」を表明したことを受けて、西岡武夫参院議長が、

「今の政権は首相の独裁政権のように映るが、本当の独裁者なら具体的な(政策の)裏付けをやる。一番悪い独裁者じゃないか」

と言ったようです。

(参考:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110714/stt11071418440006-n1.htm

菅首相の脱原発宣言は裏を返せば、「脱原発をそのうちするから(公約でもなんでもない)、今はちょっと我慢して、とりあえず原発を動かそうよ」とも受け取れ、原発を動かしたい人たちにすれば願ったりのはずなんですが、彼らは「脱原発を勝手に宣言した」ということでもう頭に血が上ってしまって叩くばかり。

本性、本音が見え見えです。

だいたい菅首相に『独裁』という言葉を使うとは・・・。延命に苦心したり、孤立し、周りのほとんどが敵ばかりでおどおどしている人を『独裁者』とは言いません。

(『独裁者』という言葉に近いのは、近年では小泉元首相くらいでしょう。)

それにしても「独裁者=悪」とよく言われますが、『民衆のことを真に考える独裁者(?)』であれば、逆に選挙の票を気にしていい加減なことを言う民主主義国家の政治家なんかより、ずっと有益かもしれません。

「良き意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」という墓碑銘を選んだヨーゼフ2世。

『良き意志を持った人』を邪魔した18世紀のオーストリアの貴族みたいな人達は現代にも残れども、ヨーゼフ2世のような『民衆王』的リーダーは、皮肉なことに、民主化が進むほどに稀になってしまったように思えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする