中学の頃、コンピューターの手相占いというものをしたことがありました。
その中の一文「あなたは年上の良い援助者を得るでしょう」という言葉-「私、将来パトロンでも持つのかな・・」生真面目な中学生は、複雑な思いでそれを読んだものです。
ところが社会人になってから、「あの占いは当っていたのかも」と思うようになりました。パトロンは出来なかったけれど、その代わり何人かの良き年上の人々-上司、先輩、同僚はじめ、未だに私をサポートしてくれる年上の人々がいるからです。
そして、今も出版、講演と活躍されている80代のある著名なイギリス人社会学者もその一人です。
彼、D氏は某新聞にも月に1度日本語でコラムを書いていますが、数年前に私がそれに対して感想を送ったのをきっかけに、時々メールを交わすようになりました。彼は外国人でありながら、日本のことを親身に心配しています。(研究の為とはいえ、若い頃東京の下町に暮らしたことが影響しているのか、視線はいつも一般人に向いています。)
イタリアに住むD氏を2年半前に突然思い立って尋ねたとき、夫と私はまるで「田舎に住む伯父さん」を訪問しているような居心地のよさを感じました。
帰ってから書いたD氏との思い出を今読み返していますが、その中でD氏の人柄が特に偲ばれる箇所を抜粋(編集)してみました。
“○○○駅に列車は予定時刻を15分遅れで到着する。ここは山に囲まれた田舎の駅で、プラットフォームが数本あるだけの無人のような駅だ。ホームを見渡してもD氏らしき姿は見当たらない。
とりあえず駅の外に出てみようと地下に続く階段を下る。するとポケットに手を突っ込み、今来ましたというようにこちらに向かってくる人影がある。かすかに口笛を吹いてやってきたその人物こそまさしくD氏その人だった。(おそらく彼は時間通りに迎えにきてしばらく待っていたけど、気を使わせない為に列車が到着してからホームに来てくれたのだろう。)
私たちが時間が遅れたことを詫び、握手を交わすと彼は夫に目をやる。
「こちら息子さんですか?」D氏は私の息子が中学生(当時)だと知っているので、どうやら夫は中学生に間違えられたらしい。なるほど夫は年より若く見られるのだが、まさか中学生に見られるとは・・。
「いや、これだけの年齢になると、若い人の年齢が分からなくなってしまうんですよ。失礼、失礼。息子さんはどうされましたか?」自分の間違いに苦笑しながら、息子を祖父母に預けてきたことを頷きながら聞く。息子は私のメールに時々登場しているので興味があるらしい。“
“「ちょっとうちの“よろずや”へ寄らせてください」古そうな煉瓦のアーチの前の農家風の家の前にD氏が車を止める。庭には犬が繋がれ、猫が車のそばまでやってくる。D氏がガラスの引き戸を覗くが、人の気配がないので皆で玄関の方にまわる。
木の扉からふっくらした白髪交じりの女性が顔を出して親しげにD氏と言葉を交わし、中に招き入れてくれた。扉を入ってすぐ右側の部屋はお店になっていた。日本の昔のパン屋さんやお肉屋さんにあったような小さなガラスケースがあり、生ハムから野菜、洗剤まで売っている。
品数は少ないがいわゆるイタリアの山奥のコンビニエンスストアである。D氏は彼女に私達をイタリア語で紹介しながら「日本から会いにきてくれました」とそれを日本語でも言う。女主人は私達に微笑みかけると「あら、人気者ね」とでもいうような感じにD氏に2,3言言いながら、大きなパンを袋に詰める。
「あとバナナも貰おうかな。それとこれは猫のかな?」ガラスの引き戸のそばに詰まれたペットフードを指差しながら、日本語で言ってからイタリア語に切り替える。
普段D氏が、日本語で独り言を言ってからイタリア語に訳し直して話すわけではないはずなので、ここでもさりげないD氏の心遣いを感じる。“
D氏が居心地の良い存在というのは、この日本的(現在の日本人が失いつつある)気配りがあるから特になんでしょう。書くものにも、人柄が偲ばれるものだな、とも思います。