雨の中、友人とエコール・ド・パリの美術展に行ってきました。
この美術展でのメインはジュール・パスキン(1885~1930年)、ついでマルク・シャガール(1887年~1985年)。
シャガールの絵といえば、二十数年前に、ニューヨークのメトロポリタン美術館に行った時、白人の中高年の来館者が数名、「シャガールの絵はどこかしら?」と探している姿を見て、不思議に思ったものでした。
「ちょっと不気味な絵が多いけど、アメリカ人(実のところ、彼らがアメリカ人であったかどうかは不明)の小父さんや小母さんは、シャガールファンが多いの?私は、あの良さは分らないな・・。」と。
絵の好みは「子供の頃」「若い頃」そして「中年」となってからと変化していきましたが、基本は清涼感のある写実的な絵が好き。故にシャガールの絵はずっと興味の対象外。
しかしここ数年、欧州の大聖堂のステンドグラスや天井画の彼の作品をいくつか見たのと、昨年のパリ旅行中のオランジュリー美術館でのクレーの特別展を見て「色の魔術」に引き寄せられたせいもあって、今回の展覧会で観たシャガールの鮮やかな色彩の作品は強い印象を残しました。
年齢、そして経験とともに、趣向の許容範囲が広がってきたのか。(好みは変われども、一度好きになった画家や絵は嫌いにならない。)
「シャガールの絵、作風は様々だけど、残っている絵は物理的には何も変わらない-しかし、見る側の内側では、それらはいくらでも変わる。」
そんな当たり前のことを感じながら、好きなものが増えたことで、幸せを感じたひと時でした。
さて、こじつけっぽいですが今日はこの『(ささやかでも大きい)幸せ』という言葉に関連させて、昨年のインタビュー記事を一つ;
Asahi com. (2010年7月13日)
『経済の成長は人を幸せにしない 経済哲学者・ラトゥーシュ氏に聞く』
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007130317.html
本文:
「脱成長」を掲げて経済発展や開発のあり方を問い続ける仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ氏(70)が、日仏会館の招きで来日した。初の邦訳書『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社)が今月刊行されたラトゥーシュ氏に、あるべき経済政策などについて聞いた。
地域社会の自立こそ必要
同書は欧州を中心に広く読まれており、日本での出版は13カ国目になる。「脱成長(デクロワサンス)」は、「だんだん弱く」を意味する音楽用語「デクレッシェンド」と同じ語源をもつ。経済の規模を徐々に縮小させ、本当に必要な消費にとどめることが真の豊かさにつながると氏は説く。
「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」
資源や環境の問題が深刻化する中で、「持続可能な成長」という考え方が国際的に広く受け入れられるようになった。だがラトゥーシュ氏は、「持続可能な成長」は語義矛盾だと指摘する。「地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ」
世界経済が長期不況にあえぎ、日本でも貧困問題が深刻化しはじめた。経済成長こそが貧困を解決するという経済学の「常識」が力を得ていく中、「脱成長」は旗色が良くないようにも見える。
この点に関してはラトゥーシュ氏も、今の社会システムのままでマイナス成長に転じても事態はかえって悪化するだけだ、と認める。
「より本質的な解決策は、グローバル経済から離脱して地域社会の自立を導くことだ。『脱成長』は、成長への信仰にとらわれている社会を根本的に変えていくための、一つのスローガンだ」
物質的な豊かさを達成した「北」の国々だけでなく、「南」の貧しい国も成長を拒否すべきなのだろうか。
「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方による成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるようにしなければならない」
就任間もない菅直人首相は、経済成長と財政再建は両立できると訴えている。だがラトゥーシュ氏は、「欧州の政治家も同じようなことを言っているが、誰も成功していない」と批判する。
「彼らは資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ」(樋口大二)