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アルザスの宮廷ユダヤ人Josel of Rosheimとマルティン・ルター - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
でアルザスのユダヤ人のことを書きましたが、
Category:アルザスのユダヤ人 - Wikipedia
の中にアルザス出身の、カトリック修道会を創設したユダヤ人の名を見つけました。
マリー=アルフォンス・ラティスボーン, N.D.S., (男性、1814年5月1日、フランス、アルザス、ストラスブール - 1884年5月6日、オスマン帝国、エルサレム、ムタサリファーのエイン・カレム)は、フランスのユダヤ人で不可知論者であったがカトリックに改宗し、イエズス会のカトリック司祭、宣教師となった人物である。ユダヤ人のカトリック信仰への改宗を目的とした修道会「シオンの聖母会」の共同創設者である[1]。
経歴
1814年5月1日、フランス・アルザス地方のストラスブールに、ユダヤ系銀行家のオーギュスト・ラティスボーンとその妻アデライド・セルフベールの間に生まれた13人の子供のうち11番目として生まれた[2]。父親はアルザス地方議会の議長を務めていた[3]。4歳の時に母親を亡くしたが、彼の天性の魅力に惹かれた家族が彼の養育を担当した。一家はフランスの世俗社会に同化していたが、社会正義の意識が強く、その価値観の中で彼は育った。
兄のテオドールは1827年にキリスト教に改宗し、1830年にカトリックの司祭になった[2]。
カトリックへの改宗
パリで法律を学んだ後、ラティスボーンは家業の銀行に入社し、16歳の姪との婚約を発表した。1842年1月、花嫁の年齢を理由に結婚が延期されたため[4]、ローマに遊学に出かける。この頃、カトリック教徒の友人から「不思議のメダイ」を身につけて祈るように熱心に勧められる。不可知論者であった彼はカトリックを毛嫌いしていたが、その友人があまりにも熱心に勧めるため根負けして彼の言う通りにした[5]。すると、十字架の夢を見るようになり、満足に眠れなくなった[6]。1月20日、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に入り、聖母マリアの幻視を体験する。この体験により、カトリック教会の洗礼を受けるように導かれた。 洗礼の際、自分の洗礼名にマリー(Marie、マリアのフランス語)を付けたのは、自分の人生において聖母マリアが果たした役割を反映させたものであったと考えられている。
アルフォンスはパリに戻り、婚約者に新しく見つけた信仰を宣言し、彼女にも信仰を共有するように勧めた。しかし、姪はこれを涙ながらに拒絶した。同年6月、イエズス会に入会し、1848年に司祭に叙階された[7]。
宣教活動
兄テオドールは、自身が改宗した後、同胞であるユダヤ人のキリスト教信仰への改宗のために働くことに惹かれていた。1842年、ラティスボーンがローマを訪れた際、教皇グレゴリウス16世は、アルフォンスの発案であるこの活動を祝福した。その後、テオドールはアルフォンスから提案された、キリスト教圏にユダヤ人の子どもたちのための学校を設立することを実行に移す。このとき、彼のもとに2人のユダヤ人姉妹が精神的な相談に訪れ、やがて彼女たちもキリスト教に改宗した。彼女たちは、1847年に設立されたシオンの聖母修道会の核となった[8]。
(後略)
「不思議のメダイ」?
不思議のメダイ(ふしぎのメダイ、フランス語: Médaille miraculeuse、英: Miraculous Medal)は、聖母マリアの出現を目撃したフランスのカトリック修道女カトリーヌ・ラブレ(カタリナ・ラブレ[注 1])が、聖母マリアによって示されたお告げとイメージをもとにデザインし[1][2]、金細工師のアドリアン・ヴァシェットが製作したメダル(médaille=メダイユ)のこと。無原罪の御宿りのメダイ、奇跡のメダイとも呼ばれる。
由来・歴史
パリにある奇跡のメダイ教会
カトリーヌ・ラブレ
1830年7月18日、パリ(現在のパリ7区)のバック通りにある修道院でカトリーヌ・ラブレは子供の声を聞いて目を覚まし、そこで彼女は聖母マリアの出現を目撃した。聖母マリアは「神はあなたに使命を委ねます。あなたは否定されるでしょう、しかし恐れてはいけません。あなたは恩寵によってその使命をなしとげるでしょう。フランス、そして世界は今、悪の時代です」と話した[2] 。
同年11月27日、カトリーヌは夕方の黙想の時間に聖母マリアが再び現れたと報告した。聖母マリアは楕円形の枠の中で地上に立ち、様々な色の指輪をしており、ほとんど指輪からは輝く光線が地上に降り注いでいた。楕円形の枠のへりには "Ô Marie, conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous."(原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え)という文字があり、そして楕円形の枠は裏返り、12の星の輪と十字架の上に乗る大きなMの文字、茨に囲まれた王冠を冠したイエス・キリストの心臓(至聖なるイエスのみ心)と、王冠を冠し剣の刺さった聖母マリアの心臓(聖母マリアの汚れなきみ心)が見えた。カトリーヌはまた、聖母マリアが「このイメージを聴罪司祭に伝え、彼らにそのメダイを身に着けるように言い『それを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう』と話しなさい」と言うのを聞いた[3]。
(後略)
聖母像のメダル(ペンダントヘッドのようなもの)の画像を見て思わず「え!?これ、夫とパリに行ったとき、彼がお土産に教会で買ってきたものじゃないの!余ったからまだ家にもある・・・」
2010年パリに行ったとき、私は疲れたのでホテルで休んでいた時に、海外旅行にも慣れず、フランス語はもちろん、英語もほとんでできない夫がサンジェルマンデュプレを独りで散策。
映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観ていた夫はサン・シュピルス教会を見学、そしてガイドブック『地球の歩き方』にお土産として進められていたメダイを売っているという教会も見学して、会社の同僚のお土産に買ってきたものでした。
「クリスチャンでもない人間が、クリスチャンでもない友人たちにそのようなものをお土産にするって、微妙・・」と言いながら、実は私も小学校の修学旅行で京都に行った際、姉にお寺で買った「数珠」(子供がお土産に変える程度なのでおもちゃみたいなものだったと思う。でも半透明で綺麗だったので購入。)をお土産にしたことがあるので、「教会も商魂たくましい。『地球の歩き方』も片棒担いでる?」と思っただけで、気に求めませんでした。
たまたま、半月前に夫と息子のものが入った引き出しがあまりに汚く、その引き出しを整理させているときにこのメダイにご対面(金色のものとブルーのもの両方)。
「これ、捨てるわけにも行かないし、どうするの?とりあえずしまっておくしかないか。そのうち、スペインの友人にあげましょう」と言って、小さな缶にしまったばかりでした。
カトリックはカトリックでも、このメダイはカトリック教徒すべてがあり方がるものではなさそうですね。
さて「不思議のメダイ」のカトリーヌ・ラプレ。
私が1980年代に初の海外旅行で行ったディジョンの出身でした。
当時、彼女のことを聞いても記憶に残っていないでしょうが、ディジョンの奇跡の修道女の話は地元ではどうとらえられているのでしょうか?
参考:
聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会 - Wikipedia
不思議のメダイの商品一覧 通販 - Yahoo!ショッピング
この「不思議のメダイ」の裏はイエズス会のマークの十字架がアルファベットにかかっているのと似ています。