Various Topics 2

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LGBTとミシェル・フーコー-「生の権力」ならぬ「性の権力」

2023年07月12日 | LGBT、ジェンダー、小児愛

LGBTQの、実は当事者の中にも戸惑いがある「権利運動」。

これがどうなっていくかを大げさに捉えて描いているのが、アメリカのテレビシリーズの『AJLT-セックス・アンド・シティ新章』。

『AJLT/セックス・アンド・ザ・シティ新章』-LGBTQの先進国アメリカの変化と「変わらぬもの」 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

「こういう世界は良いですか?」と問うために、このドラマは「教材」として観てもらうのが、ひょっとしたら良いのかもしれません。

私は、このシーズン2の4話までu-nextで観ましたが、この回では「女2人のカップル(1人はトランスジェンダー+バイセクシュアル)と男1人の性交渉しようとする乱交場面」まで出てきてしまいます。

今はもう「歯止めのない性の世界」を望んでいる人たちがきっといるのでしょう。

 

「歯止めのない性の自由」と言えば、私は「フランキスト」が真っ先に浮かびます。

オーストリア・ハンガリー帝国のユダヤ人-2(ジャコブ・フランク、エヴァ・フランク) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

タデウシュ・ボーイ・ゼレンスキー(ジェレンスキー) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

タデウシュ・ボーイ・ゼレンスキーの母親とザモイスキ家の家庭教師をしていたNarcyza Żmichowska - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

とはいえ、「サンシモン主義」も後継者が変わっていき、たまたま道徳観の低いアンファンタン派主流になっていったように、「フランク主義(フランキスト)」も、道徳観の低い派、高い派と別れて行って、道徳観の低いものが生き残った可能性もあるように思います。

「一般から見ると道徳観が低いだけの人」にとっても、こういう宗教や運動は「道徳観が低いことの免罪符」に使えます。


「宗教家と大差ない」と私がこの15年くらいで感じるようになったのは、「ネットのオピニョンリーダー」と、「思想家」を名乗る人たち。


今回はミシェル・フーコーについて。

ミシェル・フーコー - Wikipedia

彼は『性の歴史』を1976年に発表しています。

性の歴史 - Wikipedia

抜粋:

『性の歴史』(原題:L'Histoire de la sexualité)は、フランスの歴史学者・哲学者ミシェル・フーコーが西洋世界におけるセクシュアリティについて研究した、四巻に及ぶ書物である。フーコーはこの本で、言説的な対象としての、あるいは生活における分断領域としての「セクシュアリティ」の出現を調査し、あらゆる個人がセクシュアリティを有するという考えは、西洋社会において比較的新しい発達であると主張する。第一巻『知への意志』(La volonté de savoir)は1976年に出版され、第二巻『快楽の活用』(L'usage des plaisirs)および第三巻『自己への配慮』(Le souci de soi)は1984年に出版された。第四巻『肉の告白』(Les aveux de la chair)は死後の2018年に出版されている。 第一巻でフーコーは「抑圧的な仮説」—西洋社会は17世紀から20世紀中葉にかけて、資本主義やブルジョワ社会の発達の結果として、セクシュアリティを抑圧してきた—という考えを批判する。フーコーが主張するのは、性にまつわる言説は実際のところ、この期間において増殖していたということである。この期間というのは、専門家たちが科学的手法によってセクシュアリティを調査し、人々に自らの性に関する気持ちや行動を告白するように促し始めていた時期なのである。フーコーによると、18世紀、19世紀の社会では、夫婦の関係には収まらないセクシュアリティに対する興味が増大していた。「倒錯の世界」—子どもにおけるセクシュアリティ、精神疾患、犯罪や同性愛といったもの—が、告白や科学的な聴取を通して次々に暴かれたのである。

 

彼は、「ゲイ」で「未成年との性交」を認める運動をしていた人です。

ミシェル・フーコーのウィキペディアには、『性の歴史』の未完成部分について、2018年に刊行される(された?)ことが書いてあります。

今、彼が反対する「生の権力」は確かに出来上がっていると思いますが(コロナワクチン騒動でもわかる)、これとは別に「性の権力」が出来上がっている気がします。

ミシェル・フーコー - Wikipedia

抜粋:

未完に終わったフーコー最後の著作は、『性の歴史』である。この著作は、発刊計画が発表されており、当初は全6巻(第1巻『知への意志』、第2巻『肉欲と身体』、第3巻『子供の十字軍』、第4巻『女、母、ヒステリー患者』、第5巻『倒錯者たち』、第6巻『人口としての住民と人種』)の構想であったが、実際には構想は変更されたうえで、第1巻『知への意志』(1976年)、第2巻『快楽の用法』(1984年)、第3巻『自己への配慮』(1984年)の3巻が刊行された。第4巻『肉の告白』の完成直前にフーコーが死去し、遺稿が残されたが、遺言により長い間刊行されなかった。しかし遺著管理者らがフーコーの思想を世に問う機が熟したと判断したとして、2018年2月9日に死後34年を経て刊行される[5]。この一連の著作においてフーコーは、西洋社会の人間が自分たちを性的存在として理解するようになる諸段階を追究し、性的な自己概念を個人の道徳的・倫理的な生活に関係づけた。

(中略)

晩年のフーコーは、どの著作においても、西洋社会で「生の権力」という新しい権力、つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することも想像することもできないような管理システムが発展しつつあることを示そうとした。従来の権力機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であった。これに対して、この新しい「生の権力」は、抑圧的であるよりも、むしろ生(生活・生命)を向上させる。たとえば、住民の生を公衆衛生によって管理・統制し、福祉国家という形態をとって出現する。フーコーは、個人の倫理を発展させることによって、この「生の権力」の具体的な現れである福祉国家に抵抗するよう呼びかけた。

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