先のブログの末尾で、日本窒素の名前を上げましたが、日本窒素肥料を作ったのは、野口遵氏。
ウィキペディア
野口遵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%81%B5
野口 遵(のぐち したがう、したごう、通称:じゅん、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。
朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。森矗昶、鮎川義介などと共に当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた。
(ウィキペディア
日窒コンツェルン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AA%92%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%B3)
財界新人三羽烏は、現在も影響力は大きいですね。
ところで、「野口」といえば、「野口英世」
ダブル野口でも、出身地も違ってお互いの接点はないとはいえ、共に貧しい家からパトロンを得て、日本や世界に影響を与える人物になったという点では同じ。(遵氏は1873年石川県生まれ、英世は1876年福島県、生まれ)」。
野口英世関連ですが、こんな記事がありました。
山際勝三郎という医学者の研究は闇に葬られた。
るいネット
ロックフェラーと野口英世の関係~野口の研究のほとんどは捏造だった
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=307418
(前略)
「アメリカとカナダの医学教育」エイブラハム・フレクスナー編1910年
この100年以上前に書かれた論文は「フレクスナー・レポート」と名付けられ、これが現代まで続く西洋医療を蝕む元凶といわれているのです。実はこのレポートは、石油を利用して医療支配を企んでいたジョン・ロックフェラーが依頼したレポートだったのです。その内容を一言でいうと、「コールタール医療への提言」ということになります。
コールタールのようなものを薬として使えるのか疑問を持つ人は多いと思いますが、欧米では非常に患者数が多い「乾癬(かんせん)」という皮膚疾患の治療に使えるのです。
コールタールはともかくとして、多くの薬は、石油の副産物であるといえます。農薬とか、化学肥料とか、食品添加物とかは、すべて石油でできています。現代ではバイオテクノロジーによって錠剤、カプセル、粉薬、塗り薬、注射などすべての化学薬品は石油から作られています。そういう意味においてロックフェラーは先見の明があったといえるのです。
ところで、フレクスナーのコールタール医療に疑問を持った日本人の医学者がいます。山極勝三郎です。彼はコールタールを長期間にわたりウサギの耳に塗り付け、その経過を調べたのです。その結果、コールタールが原因でがんが発生することを発見したのです。1915年、今からちょうど100年前のことです。
当時、がんの発生については、ヨハネス・フィビケルという医学者の「寄生虫原因説」が主流だったのです。山極勝三郎は、その寄生虫原因説を覆し、コールタールががんの原因になることを自ら実証して見せたのです。
これに腹を立てたのは、ジョン・ロックフェラーです。コールタールが発がん物質とわかってしまうと、薬として使えなくなってしまうからです。
そこでロックフェラーは、政治力を使ってマスコミを押さえ込み、山極勝三郎の研究を黙殺させ、ノーベル賞の推薦委員会の制度を悪用して、「寄生虫原因説」のヨハネス・フィビケルにノーベル賞を受賞させたのです。1926年のことです。ロックフェラーがその財力と政治力を使えば、このぐらいのことは簡単にできたのです。
(後略。全文リンクからどうぞ。)
参考:
陰謀論で隠れてしまう、ワクチンとロックフェラー財団の関係
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c6f0cd697c31ccdf01f5d402cbcfd361
なお、野口英世のパトロンの1人は、星一でしたのでついでに―
日本軍の財源となったアヘン売買・戦争と製薬業界
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/2d1849832a3cf8d8594a67b5422a5dd9