最近、グラフェンナノ粒子について調べていましたが、人体に危険があっても、それを調べる学者は出てこないか、出てきても握りされそう。
昔、コールタールの発がん性を発見して、ロックフェラーを怒らせた日本の医学者がいました。
2人の野口・ロックフェラーが潰した研究、応援した研究-山際勝三郎という医学者 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
彼はノーベル賞受賞は認められず、歴史に名を残すことはできませんでした。
抜粋:
山極は1925年、1926年、1928年と没後の1936年の4度、ノーベル生理学・医学賞にノミネートされている[7]。1925年と1936年は日本人からの推薦のみであったが、1926年と1928年はいずれも海外からで、フィビゲルとの連名での推薦であった。
この中で最も受賞の可能性が高かったのは、フィビゲルが受賞した1926年である。ノーベル財団所蔵の資料によると、同年の選考過程は以下のようなものであった[8]。
ノーベル委員会は、フォルケ・ヘンシェン(Folke Henschen、1881 - 1977)とヒルディング・バーグストランド(Hilding Bergstrand、1886 - 1967)の2人のスウェーデン人医学者に、フィビゲルと山極についての審査を依頼した。ヘンシェンは過去にフィビゲルを推薦したことがあり、当初作成した報告書ではフィビゲルと山極の両方に高い評価を与え、「人工癌はノーベル賞に値し、もし寄生虫による発見者であるフィビゲルと、タールによる発見者である山極の両名で賞を分けるとすればそれは当然である」と述べた。バーグストランドは人工癌の意義は認めたものの、すでに知られていた煙突清掃員や放射線科医の職業癌(煙突掃除人癌も参照)を例に出し、それらの事実を追認したに過ぎず、癌の起源に関しては少しも新たな事実に光を当てていないとした。彼は新しい知識や手法の価値は、長期間にわたる臨床的な事実による知見でのみ実験的に確認されると考えていた。バーグストランドはオットー・ワールブルク(1931年受賞)による癌組織の嫌気性代謝に関する研究(ワールブルク効果も参照)の方が将来の癌研究には重要であるという立場から、フィビゲルと山極の人工癌の研究はノーベル賞には値しないと結論づけた。一方で、バーグストランドはバクテリオファージ研究者のフェリックス・デレーユを強く推薦し、この点を巡ってもデレーユの研究の独創性を疑問視するヘンシェンとの間で対立した。ノーベル委員会はデレーユについて別の専門家に助言を依頼し、ヘンシェンの意見が認められた。しかし、バーグストランドが人工癌への授賞に反対していたため、ヘンシェンは「フィビゲルは山極が科学界に入ってくる以前に、発見の根拠となる素晴らしいアイディアを持っていた」として、共同受賞という当初の意見を変更し、フィビゲルについてのみ受賞に賛成する新たな報告書をノーベル委員会に提出した。
コールタールが発がん性リストに上がるまで、これが元で癌で亡くなった人達はどのくらいいたのか。メイヨークリニックもFDAも、ロックフェラーの息がかかっていたか。
抜粋:
世界保健機関の下部組織IARCの発がん性リストでは、コールタールは発癌性があるグループ1に分類されている(発癌性も参照)。
コールタールは最初に確認された発癌性物質である。1916年、山極勝三郎と市川厚一は家ウサギの耳にコールタールを塗擦する実験を行い皮膚がんの発生を確認したが、これは世界ではじめての化学物質による人工での癌の発生例(実験発がん)として知られている[1]。
一方、メイヨー・クリニック でゲッケルマン療法を行った乾癬患者280人を25年間追跡調査した結果、皮膚癌の発生率は一般と比べて増加していなかった。アメリカ食品医薬品局 (FDA) もまた、治療レベルでリスクの上昇は認められなかったとしている。
いやいや、ゲッケルマン療法こそがメイヨークリニックは発見した療法でしたか。
【コラム】ゲッケルマン療法[特集:今、話題になっていること ─皮膚科編]|Web医事新報|日本医事新報社 (jmedj.co.jp)
抜粋:
ゲッケルマン療法とは,乾癬患者に対してコールタール軟膏を塗布し,紫外線を照射する治療法である。1925年にMayo clinicのGoeckermanが報告1)した。ゲッケルマン療法はステロイド外用薬を必要とせず,安全性が担保され,約1カ月で効果が発現し,長期にわたり寛解状態を維持できるとされ,乾癬治療の一翼を担った時期もあった。しかしながら,コールタールの悪臭,発がん性の問題などから,市販粗製コールタール軟膏(ソリオン®軟膏)が製造・販売中止2)となったため,最近ではまったく行われなくなった。