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歴史の教科書に載らない偉人-義務教育の父ロバート・オーウェン

2020年01月17日 | 歴史の教科書に載らない偉人

1月上旬に

ドラマ『ポルダーク』・フランス革命とマダムタッソー、そしてフリーメイソンhttps://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/7d6631de70d01f7b3945ae4b8b633a49

 から始まり、             

世界の発展に寄与したユグノーと国連や社会活動家たち-1
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/9ddbc6d10091ef50c09639c92ab7d6e4

世界の発展に寄与したユグノーと国連や社会活動家たち-2
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/b55ac61e2555fdb8cbe4e88755fffed5

 へと繋がる記事を書いてきました。

 

『ポルダーク』の主人公ロスはコーンウォール地方の一領主ですが、彼がアメリカの独立戦争に従軍しているときに、父親は死に、家は没落。かつての収入源であった銅を求めて鉱山の発掘を再開。事業を再開したのはもちろん自分の家の再建のためでもありますが、もう一つは、領民に仕事を与える為です。

鉱山でも自ら働き、家の付近で畑を耕し、豚や鶏も育てる。

子どもをできた未婚のカップルのために、家を用意したり、領民のためなり、領民の為に牢屋に入ることもあるロス。 

それに対し、地元の上流階級の人々は、貧しい人々が不満をつのらせ、フランス革命のような暴動を起こすのではないかと心配するだけ。加治屋から成りあがった資産家ジョージ(ロスの学友)は。そうした貧しい人々を助けるどころか、領地に入ってきた村人を鉄砲で追い払うことも。

 この主人公ロスを彷彿とさせる人物が、当時の英国にいました。

 

ウィキペディア
ロバート・オウエン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%B3 

ロバート・オウエンRobert Owen、1771年5月14日 - 1858年11月17日)は、イギリスの実業家、社会改革家、社会主義者。人間の活動は環境によって決定される、とする環境決定論を主張し、環境改善によって優良な性格形成を促せるとして先進的な教育運動を展開した。協同組合の基礎を作り、労働組合運動の先駆けとなった空想社会主義者。「イギリス社会主義(英語版)の父」とされ、初めて本格的な労働者保護を唱えたとされる。ロバート・オーウェンあるいはロバート・オーエンの表記ゆれがみられる。 

(中略) 

1771年、ロバート・オウエンは、北ウェールズ地方モントゴメリーシャーのニュータウン(ポーイス)で、小手工業者の子として生まれ、10代で商店に奉公して各地を転々とした。この間に産業革命のにともなう労働者の困窮を目撃する。 

1790年、マンチェスターの紡績工場の支配人となって、数々の技術改良を進め、工場経営に成功、資本家となっていく。ついで、1800年以降、スコットランドのニュー・ラナーク紡績工場の共同経営者となって最新技術の導入を図り、優れた経営手腕で2000人の労働者を雇用する「綿業王」へと立身出世を果たしていく。同時に、労働者の生活改善やその子弟の教育に尽力して、工場に幼稚園や共済店舗を設けた。著述を通じて労働立法の必要を説き、1819年の紡績工場法の制定に貢献した。 

1817年には、貧民階級救済のために協同主義社会の創設を提案した。1825–1827年には、私財を投じてアメリカ・インディアナ州に協同村ニューハーモニーを建設したが失敗に終わった。帰国後、1839-42年にクイーンウッドでも同様の試みをしたがやはり失敗する。財産を失って庶民へと身を落した後は、社会運動や言論活動を通じて私有財産制度・宗教・財産結婚、金属貨幣制度を厳しく糾弾した。 

(抜粋はここまでとしますが、全文リンクからどうぞ。) 

教材 産業革命 その6 ロバート・オーエン
https://www.youtube.com/watch?v=e5477SPv8QM

彼はロスと違い労働者階級出身でしたが、貧しい人達の生活を改善しようとしたところが同じです。 

さて、「義務教育の父」と呼ばれた彼は、co-op(生活協同組合)の祖でもありました。 

(私が2005年に初めてフィレンツェに行ったとき、空港からの途中でCOOPと書かれた看板をつけた建物を見つけ、日本の生協がイタリアに出店しているのかと思いました。

そのフィレンツェからボローニャ県の山の上のドーアさんのお宅に伺い、そこから小さな町Vergato(岩倉使節団が通った町でもあります)に買い物をしに降りてきたときに、再びCOOPを発見。
「何で生協ががイタリアにあるのですか?」と、建物を指さして質問した私にドーアさんは、

「COOPは共産党が作りました」と説明。これはイタリアのCOOPがイタリア共産党によりつくられたということだったのでしょうか?)

※次回に続く

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