前々回の記事で、で、ビガノ大司教のトランプ大統領への手紙のことに触れました。
彼や、そしてQアノンが批判していることに、国連など国際機関が「世界連邦主義」の傾き、「SDGs」というアジェンダを世界の人に押し付けようとしていることの批判があります。
(サタン崇拝、人身売買、はカルト宗教と犯罪組織としてはあるでしょうが、今の段階では逆に訴える方が、宗教チックに私には思えてしまう。
カトリックの方で、「マザーテレサの偽善」と打って調べてください。ビガノ大司教は、触れているでしょうか?)
2015年に書いた記事をもう一度貼り付けます。
元々国際連携と近い職場にいたからこそ、世界連邦主義やSDGsが「桃太郎」だということに私は気が付きました。
「ぼくのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」の作者と青年海外協力隊の青年の感性を - Various Topics 2 (goo.ne.jp)
6月9日に、
見かけが怖い鬼はそれだけで悪役?・正義の味方(?)桃太郎は制御不能
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/75e4ae3ad0bd02019d4cee42c71d3cbe
という記事を書き、そのなかに芥川龍之介版「桃太郎」の話も書きました。
この芥川龍之介版の「桃太郎」を彷彿とさせるコピ-、
「ボクのおとうさんは桃太郎というやつに殺されました」
の作者のインタビュー記事が昨年のハフィントンポストに載っています。
ハフィントンポスト(2014年6月14日)
『ボクのおとうさんは、桃太郎に・・・』 あのコピー誕生のきっかけは、シリア内戦だった
http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/08bc51a2db31d93129d325aadb6b188e
抜粋:
山口氏はこのコピーで政治的なアピールをしたかったわけでも、反戦運動をしたかったわけでもない。伝えたかったのは、ものごとを様々な側面から考えることの大切さ、私たちの社会生活で"相手の立場に立って考える"こととの大切さだ。自分の価値観で見えている世界と、ほかの人の立場で見えている世界は全く異なる。それをひとつの側面からだけで判断してしまっては、誰かの幸せの裏で誰かが不幸になるかもしれないということに気が付いて欲しかったのだ。「物語は、"めでたし、めでたし"で終わってはいけない。本当にそれがめでたいのかを考える必要があるはずだ」(山氏)。
この太字、政治家だけでなく、人間であるからには皆心に留めてほしいものです。
さて、実はこのコピーを見て、青年海外協力隊の青年がこれをもじって作ったものを思い出しました。
「ボクのおとうさんは、ボランティアというやつに殺されました。」
内容はこちらから↓
Jibri.com
http://jiburi.com/seigi/
このコピーや説明には、国際協力やボランティアに関わる仕事をしてきた私としては言いたいことがたくさんあります。
ただし、この作者の青年は、
「上の物語に出てきたボランティアとは、僕のことである。 僕がやっていることは、満ち足りた幸せな暮らしをしている山奥の村人に「不幸な人生を送っている」という劣等感を植えつけ、彼らの食文化や伝統的な暮らしをぶっ壊すことではないか、と悩んでいる。
さらに言うと、国際協力とは「小さな親切、大きなお世話」だとも思っている。
国際協力活動を行うボランティアは「途上国の幸せのために」という正義を振りかざしているが、その活動は本当に途上国の幸せのためになる行為なのか。正義という言葉は、恐ろしく危険な凶器かもしれない。そんなことを、モヤモヤと悩んでいる。
モヤモヤと悩んでいると、タンザニアに住んでいた先輩から、協力隊に参加する前にもらった言葉をふと思い出した。 「協力隊に参加すると国際協力の意義について悩むだろうが、そんな時は焦って答えを求めずに悩み続けたらいい。実は、俺もまだ答えが出せずに悩み続けている」
とも書いています。
この気持ちは私もよくわかるし、こうした疑問を持てる若い人こそが今(国際協力の現場に限らず)必要とされているのではないかと思います。
参考:
世界連邦運動の目標
- 全世界の諸国、諸民族を全部加盟させる。
- 世界的に共通な問題については、各国家の主権の一部を世界連邦政府に委譲する。
- 世界連邦法は「国家」に対してではなく、1人1人の「個人」を対象として適用される。
- 各国の軍備は全廃し、世界警察軍を設置する。
- 原子力は世界連邦政府のみが所有し、管理する。
- 世界連邦の経費は各国政府の供出ではなく、個人からの税金でまかなう。