先週末は母の49日。これは家族と叔父夫婦だけでこじんまりの49日。私は欠席し、夫と息子にだけ行ってもらいました。
帰ってきて、息子が、
「叔父さんが、お祖父さん(叔父から見て父親)は脳卒中でなく、お祭りの晩に隣町までお酒を飲みに行って、酔っ払って崖(山間部ではないので、土手のことか?)から落ちて脊髄をやられて寝たきりになった、っていってたよ。」
と報告してくれていました。
この話には皆びっくり。
物心がつくころには、母方の祖父は本家の別棟で寝ていて、東京から母の実家に行くと、まず別棟に挨拶をしに行きました。
私たちを見ると嬉しそうに目を細めていた祖父、確か言葉も不自由だったし、そもそも母が「脳溢血(脳出血)が原因」と言っていたので、まさか事故で寝たきりになったなんて思いもしませんでした。
ただし、この事故があったのは末っ子である叔父が小学生のころ。年齢差を考えると母は小学校高学年から中学生。
お祭りの日の事故はきっと本当でしょうが、幼い叔父に脳溢血と言ってもわからないので、「落ちて怪我して動けなくなった」ということが「脊髄をやられた」となっていったのか、それとも事故で脳出血と脊髄損傷をおこしたけど、小学生には難しいので簡単に「脊髄をやられた」と周りが教えたのか、それとも元は脊髄損傷だけだったのが、後から脳出血を起こしたのか・・・。
祖父は頭はしっかりしていたようでしたが、言語障害があったので、やはり「脳溢血」は患っていたのではないかと、私は思います。(今度、従姉に確認してみましょう。)
ちなみに、祖母は73、4歳で脳出血で突然亡くなり、祖母に苦労を掛けたと泣いていた祖父は、祖母の死から一月後に亡くなりました。
さて、この祖父の話を聞いた夫は、
「叔父さんが小学校の時からお祖父さんが寝たきりになって、おばあちゃんは良く、8人の子を育ててこれたね。」
と感想を述べました。
母の実家は地主(元農家だったと思うんですが、私の記憶では畑は家庭菜園程度)、紡織り(木綿糸、布)の工場も持っていたことと、それと、8人もいると上がもう働いていたことから、祖父が寝たきりになっても大丈夫だったと思うと夫に話しながらも、きっと事故があったのは戦後間もないころだったので、農地改革とか祖母は本当に大変だったろうな・・とその苦労に思いを馳せました。
母から聞いていた祖父は、お祭りも好きで、芝居の女形もやったりする道楽物。
祖母については、「次の空襲が来たらもう命はない。家にあるもち米と小豆でお赤飯を炊いて近所にも配ろう」と言って食物を近所に配った(実際食物はなくなったけど、空襲は来なくて戦争が終わった)という逸話の持ち主。
これだけでは、「お祖母ちゃんは偉い」となりますが、実はよく考えると、「お祖母ちゃんがお赤飯を炊いて近所の人にふるまったのは、祖母だけでなく、やらせた祖父も偉かった」と気が付きます。
お赤飯を配られた近所の人は食べるものがなかったので、泣いて喜んだといいます。
そんな近所の人たちも、きっと寝たきりの祖父と、女手一つで子育て、家計、祖父の面倒を見ることになった祖母を助けて行ってくれたのではないか、そんな気がします。