ルクセンブルクに住む日本人の友人が、前回のブログ『目白駅、視覚障害者の事故は防げたはずなのに』を読んで、感想を送ってきてくれました。
彼は、日本社会から思いやりや暖かさといった人間性が失われていることを嘆くと同時に、
「柵の設置よりも監視カメラは設置されていないのですかね。パリのように監視カメラでホームを監視していれば、放送で注意を呼びかけることができたはずですし、また、駅員が見守ることもできたはずです。
ベルギー国鉄では、身体障害者には、駅員に乗降時の介添えを依頼するよう呼びかけています。
日本もバリアリーフで設備面の改善だけでなく、鉄道会社側でもっと気をつけるべきだと思います。」
と近隣国での様子を紹介してくれました。
以下は、私が彼に出した返事です。
「障害者や高齢者ではなく、普通の小母さんである私なども、東京よりパリやフランクフルトの方が、居心地がよくなる面があります。
それは、日本の大都市がアメリカのように、健康である若者が中心の町になってしまっているせいもあるのでしょうね。
また、日本人は身内(友人、知人を含む)+一部の外国人には優しいですが、それ以外の人達は大変冷たい、という特徴があると思います。
障害者といえば、先月、バスに乗ったとき、たまたま視覚障害者の方3名が乗ってきたのですが、彼らのために席をあけさせ、甲斐甲斐しくお世話をしていた女性2人(2人共赤の他人で、視覚障害者の方達とも面識なし)に出くわしました。
私はバスの後部座席に乗ってみていたのですが、この内一人は、視覚障害者の方がバスを降りたあとも気にして面倒をみて、乗り換えバスのところまで案内しようとしていました。(実のところ、そこまで面倒を見る必要はないと思われましたが、視覚障害者の方は、ありがたく手を引かれていました。-視覚障害者を誘導するときは、手を引くのではなく、相手に自分の上腕を握らせる。)
その女性とたまたま目が会ったので、「慣れていらっしゃいますね。」と声をかけてしまいましたが、彼女は視覚障害者と接したことがないものの、「何とかしてあげなきゃ」と思ったそうです。
こういう人もいるにはいるし、いろいろな問題を気にかけている人はいるんですが、残念ながら、『目立つ行動を嫌う日本人』が多いですね。
タイガーマスク寄付があっと日本に広まったように、『障害者や弱者を気遣うことはかっこいい』という風潮も広まってほしいものです。」
ルクセンブルクの友人は、このあともまた下記の意見を寄せてくれました。
「障害者ではないですが、欧州では、行き倒れの人がいて、手助けせずに無視して歩き去った場合には、犯罪になります。
日本のように無視した場合は、訴えられると罰金になります。交通事故でも、加害者だけでなく、そばにいる人も手助けが義務付けられています。人間として、生命に危険をさらされた人を助けるのは当然との考えがあるからです。
目白の事件も、そばにいる人が駅員に急報するなり、非常ベルを鳴らすなど助ける行動に出なかった場合には、犯罪として警察に訴えられる可能性が欧州では大です。日本では、なぜこのような基本的なモラルの法律がないか不思議です。」
私には、『基本的モラルの法律』があるのが当たり前の社会は不自然に思えるのですが(そもそもモラルも思想と同じで、法律で縛れないと思う。)、たとえば今回の事故のコメントで「視覚障害者は他の人の迷惑だから電車を使うな」といったような非人間的な言葉を見たりすると、「もうそこまでしなければならない時代になったのかな」とも思えてきます。
最後に、視覚障害者の誘導方法の説明があるリンクを参考までに貼り付けます。
(「何かお役に立てますか?」と訊いてくだされば、彼らがどうしてほしいか教えてくれるでしょう。)
http://home.c00.itscom.net/t2oho4no/fukusitaiken/yuudou/yuudou.htm