三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小野さやか『アヒルの子』

2011年05月20日 | 映画

小野さやか『アヒルの子』は日本映画学校の卒業製作に作られたドキュメンタリー。
ヤマギシ会批判かと思って見に行ったら、自分探しの映画だった。

『アヒルの子』のHPにはこのように紹介されている。
「カメラの前に自らをさらけ出した監督・小野さやかが撒き散らす自己嫌悪の衝動は、親子の価値観の違い、姉妹間の愛憎、性的虐待・・・様々な[家族]の問題をえぐり出します」
「小野さやかは、自らの内面に巣食う生きがたさに悶え苦しんでいた。
自分は価値がない、誰にも愛されていない、必要とされていない、生きる意味がない」

生きづらさの原因は、5歳の時にヤマギシズム学園幼年部に一年間入れられて、自分は「親から捨てられた」と思い、二度と捨てられないためにいい子を演じてきたからだ。
このように考えた小野さやか氏は、家族に今までの鬱憤をぶちまけるのだが、そのあまりにもの生々しさにドキュメンタリー風のフィクションかと、最初は思った。
というのも、カメラの前で、長兄に性的いたずらされたことをとがめ、次兄へ愛情を訴え、ぐれたことのある姉と話し、夜中に両親をたたき起こして自分を捨てたと責める。
その横にカメラがあって、すべてを撮っているのだから、何だか不自然なわけで、ドキュメンタリーの虚構性を感じた。

で、ヤマギシ会のことだが、
『アヒルの子』HPには当たり障りのない説明がされている。
一部を引用。
「60年代後半以降、学生運動経験者が多数参画し始め、鶴見俊輔や四手井綱英、新島淳良等著名人も賛同していた。
80年代に入ると、子育て問題や環境問題などに関心の高い人たちに循環型社会のモデルとして好意的に受け容れられ始め、健康食ブームの時流に乗ったことで無添加・無農薬の農産物、畜産物の生産が伸び、三重県が中心だった拠点が全国各地に拡大していった。
「我執」を捨て去り「無所有一体」の生活を基盤とした幸福社会」を目指すことを信条とするため、参画するには一切の財産の供出を求められる。このことで脱会した参画者から財産返還を巡る訴訟が起こされることもたびたび報道された。90年代後半以降は健康食ブームも落ち着き最大時に比べて規模も縮小、従来の急拡大路線から徐々に変化していっている。
85年、ヤマギシズム(ヤマギシ会の思想体系の総称)を体現していく子どもたちを育てることを目的とした、ヤマギシズム学園幼年部が発足した(後に初等部、中等部、高等部が発足)。幼年部では、小学校に入る前の5歳の子供を対象に、1年間親元から離して学園の母親係と共に集団で生活させる。自然の中でのびのびと、争いのない中で子どもを育てるという方針に、受験戦争や校内暴力で荒れていた当時の教育環境全般に疑問を感じていた教育熱心な多くの親たちが惹きつけられた。監督・小野さやかはその5期生に当たる。最近では、村上春樹著『1Q84』に登場するコミューン団体のモデルとして再注目されている。」

小野さやか氏はヤマギシズム学園幼年部の同級生たちに会いに行き、話をする。
みんなヤマギシや幼年部での生活に肯定的なんですね。
そして、そのころのビデオを「お母さん」(子どもたちの世話役)から見せてもらう。
子どもたちはみんな楽しそうにしてて(子どもたちの笑顔がいい)、そんな悪いところではなかったんだ、と小野さやか氏は思う。
これならヤマギシ会が協力したのもわかる。
もっとも、子どもたちが「家に帰りたい」と泣いていたとしても、そんなビデオは残しておかないと思うが。
『アヒルの子』を見て、子供をヤマギシ会幼年部に入れようと思う人がいるんじゃないかと、映画を見て、いらぬ心配をしたわけでした。

コメント
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