三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

飯田哲也・鎌仲ひとみ「自然エネルギーの社会へ再起しよう」

2011年05月14日 | 日記

東電1号機「メルトダウン」認める  
 東京電力は12日、福島第1原発1号機で、燃料棒(長さ約4メートル)が冷却水から完全に露出して溶け落ち、圧力容器下部に生じた複数の小さな穴から水とともに格納容器に漏れた可能性があると発表した。東電は、この状態を「メルトダウン(炉心溶融)」と認め、格納容器ごと水を満たして冷やす「冠水(水棺)」作業の見直しに着手した。
5月13日

チャイナ・シンドロームかとびっくりしたのだが、メルトダウンという言葉、
「あいまいな言葉で、専門家はあまり使わない」そうだし、「原発で炉心溶融が起きたら高温の燃料が地球内部を突き抜けて中国に達するという冗談」とのこと。
もちろん、大したことはないというわけではない。
事態は収束しつつあるのかと思っていたのだが、実際のところはどうなのだろう。

飯田哲也・鎌仲ひとみ「自然エネルギーの社会へ再起しよう」(「世界」5月号)という対談のコピーを某氏にもらう。
飯田哲也氏は、福島原発の事故について「まさに人災だといえます」と言う。
「想定外」と言われるが、想定外の事故は今回が初めてではないそうだ。
「「想定外」という言い方がなされていますが、同じような言い方が、07年7月の新潟県中越沖地震の際に起きた柏崎刈羽原子力発電所の事故の際にも使われていたことを思い出さなければなりません」
「この事故を受けて耐震基準の見直しが行なわれることになりましたが、今回問題となっている福島第一原子力発電所については、09年7月に、原子力安全・保安院が大丈夫だというお墨付きを与えてしまった。しかし、その翌年の夏には、現在問題となっている福島第一原子力発電所三号機で、やはり外部電源が失われて冷却水の水位が下がるという事故が起こっているのです」
知りませんでした。

「このように、すでに幾度となく警告的な原発事故が起こってきたのです。にもかかわらず、東京電力は真剣に安全性を検証してこなかった。また、電力事業者を監督するべき立場にある原子力安全・保安院も、原発の安全性を疑問視する市民グループからの指摘にきちんと応えてきませんでした」
政府や電力会社が自分に都合の悪い意見には耳を傾けないのは、まあ、そんなもんだと思う。
で、不思議に思うのが、御用学者である。
本当に安全だと思っているのか、それとも社会的地位のためなのか。

裁判所や検察が依頼する精神鑑定医(=御用学者)にしてもそうだ。
たとえば、麻原彰晃の精神鑑定をした鑑定医。
弁護側が依頼した鑑定医6人は、麻原彰晃は拘禁反応の状態で、訴訟能力はないが、治療すれば治ると鑑定した。
ところが、高裁が依頼した精神科医は、精神科医が麻原彰晃に持たせた鉛筆を取り戻そうとしたら、握って離さなかったから詐病だと鑑定している。
「こんなことなら赤子でも猿でも裁判能力があるということになるでしょう」有田芳生氏はブログに書いている。

御用学者には学者としての良心はないのかと思うこともあるが、そういうことでもないらしい。
鎌仲ひとみ「各大学の原子力工学にかかわる人たちの多くは、日本の原子力は安全で不可欠だと、無批判に原子力産業の現状を受け入れています。そこから、同じような考え方をもつ学生が再生産されて、卒業すると経済産業省に入庁し、定年退職すると電力会社に天下る」
一種の洗脳というか、そういう構造になっていることもあるわけだ。

マイケル・マドセン『100,000年後の安全』は、フィンランドに建設中の高レベル放射性廃棄物の最終処分場についてのドキュメンタリー。
世界にある高レベルの廃棄物は25万トン。
無害になるのは最低10万年かかる。
フィンランドでは、18億年前の地層の岩盤に地下500mまでトンネルを掘り、そこに高レベル廃棄物の最終処分場オンカロを作っている。
完成は2100年代で、フタをして中に入れないようにする。
ここまでだと、高レベル廃棄物処理の問題は、フィンランド国内に限れば解決することになる。

ところが映画は、この処分場が危険なことを、どうやって未来の人間に伝えるか、という議論になる。
数千年前に作られたエジプトのピラミッドでも、何の目的のために作られたのかわからなくなっている。
何万年後となると、文字や絵によって伝えようとしても、未来の人間がどう理解するかわからない。
「危険!立ち入り禁止」と入口に書いたら、「財宝を隠すために危険と書いたんだ」と思って宝探しをするかもしれない。
10万年前というと、ネアンデルタール人の時代なわけで、ネアンデルタール人とどうやって意思の疎通をするかという話になる。
そうした議論を聞いていると、この人たちは数万年後の人類(ホモ・サピエンスは絶滅しているかもしれない)のことを心配しているわけで、誠実だと思った。
それに比べて、日本の政治家や経済人はこんな発言をしているんですから。
飯田哲也「与謝野経済相も地震は運命だから受け入れろ、原子力は必要なんだと発言しています。近藤洋介元経産省政務官も、東京電力はよくやっている、これで止まっているので日本の原子力が優秀だからだと言っていますし、日本経団連の米倉会長に至っては「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」とさえ言っています」

福島原発は今まで経験したことのない状態になっているのだから、今後どうなるのかを断言できる人はいないと思う。
そして、福島原発から飛散している放射性物質が健康にどのような影響をもたらすかも、わからない。
日本では運転を開始してから40年たった原子炉は停止されることになっているそうだ。
だったら、原発を新しく建設することをやめ、だんだんと自然エネルギーに移行していくべきではないだろうか。
飯田哲也「世界全体で見ると、風力発電は毎年30%ずつ市場を拡大しており、2010年に原子力の半分に当たる2億キロワットに達し、あと三~四年で原子力の3.8億キロワットをほぼ追い越すだろうと言われています」

鎌仲ひとみ『ミツバチの羽音と地球の回転』に、スウェーデンの脱原発の取り組みを紹介しているのを見て、スウェーデンは人口が少ないからできるのであって、人口が十倍以上の日本の参考にはならないと私は思った。
ところが、筑紫哲也『若き友人たちへ』に次のように言われていて、考えを改めました。
フィンランドは教育がうまくいっているというので、日本から視察団がよく行くそうだ。
そして視察団は、人口540万人と少ないからできるんだと言う。
「でも、日本も500万人ぐらいずつ、例えば九州、北海道、東北、何県と何県、というふうに規模を見定めて教育の自由を与えてやれば、同じことができるわけです」
電力も同じことである。
自然エネルギーで電力を供給することは不可能ではないかもしれない。

コメント
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