三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「皇后陛下御話」

2009年08月19日 | 日記

某氏より出雲大社教から出された「皇后陛下御話」という冊子をいただく。
「第二十六回IBBYニューデリー大会(一九九八)基調講演
  子供の本を通しての平和
    ―子供時代の読書の思い出―
           美智子」
と扉ページにある。
ネットで『子供の本を通しての平和』が読めます。

「皇后陛下御話」のおしまいに、「産経抄」が引用されている。
きのう64才になられた皇后さまにとつて、この一年の明るい出来事は長野パラ五輪の“ウエープの輪”だったとか。「見るのもするのも初めてのことで、どうかしてこれをつなげなければと…」と話されていた ▼その皇后様の「子供時代の読書」をめぐる初の御講演が話題になっている。国際児童図書評議会の世界大会での基調講演でテレビでも放映された。全文は文芸春秋11月号に掲載されており、それを読んで深い感銘を受けた ▼まず大会の主題である「児童文学と平和」について、皇后様は「必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう」とおっしゃっている。「一冊、又は数冊の本が平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません」。“平和主義者”が思いこみがちな買いかぶりを戒めておられるのだった ▼皇后様の子供時代は疎開生活という特殊な環境にあり、わずかな本しかお持ちでなかった。その時お父上から贈られた太古の物語を面白く読まれたという。「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します」 ▼それに民話を加えると、それぞれの国や民族がどんな自然観や生死観を持っているかがうっすらとわかるのです、と語られていた。その一つが倭健御子 (やまとたけるのみこ) と弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと) の物語で、「いけにえ」という酷 (むご) い運命を進んで受け入れた悲しい美しさを学ばれたという ▼愛と犠牲と。その二つのものが、むしろ一つのものに感じられたというのである。この「自己犠牲」という行動こそ戦後の日本人に欠落した道徳であり、戦後民主主義が全く教えることをしなかった規範ではないだろうか。(『産経新聞』「産経抄」平成10年10月21日より)

ええっと思いましたね。
「大会の主題である「児童文学と平和」について、皇后様は「必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう」とおっしゃっている。「一冊、又は数冊の本が平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません」。“平和主義者”が思いこみがちな買いかぶりを戒めておられるのだった」
一冊の本で世界が平和になると思っている“平和主義者”がどこにいるのだろうか。
それこそ「産経抄」の思い込みではないか。
「この「自己犠牲」という行動こそ戦後の日本人に欠落した道徳であり、戦後民主主義が全く教えることをしなかった規範ではないだろうか」
これも深読みかと。
出雲大社教の方たちは「産経抄」に書かれてあることはもっともだと思ったんだろう。
しかし、こういう駄文でせっかくの話をつまらぬものにおとしめてしまった。
天皇や皇族の発言を自分の主張に利用するために歪めるのはやめるべきだと思う。

コメント
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