三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

湯浅誠『貧困襲来』『反貧困』 2

2009年02月24日 | 

湯浅誠『貧困襲来』にこういう事例があげられている。
「夫の多重債務が原因で離婚して母子家庭となり、パートで働いても十分な収入が得られずに保育料を滞納してしまい、福祉事務所へ相談に行ったら追い返され、生活を維持するために自らも多重債務者になる」
この女性は一体どうしたらいいのかと思うが、自己責任で片付けられてしまいがちである。

しかし、貧困は自己責任ではなく、政治、企業、マスコミの責任である。
1995年、経団連が「新時代の「日本的経営」」で、非正規労働を増やして人件費を軽減し、企業業績を好転させようと提唱した。
「社員の生活の面倒を見るのは会社の責任ではない。将来社長になるような一握りの正社員以外は、全員使える間は使うけど、使えなくなったらしらない」
派遣の経費は、会社の経理上、人件費ではなく材料調達費なんだそうで、人間が材料になっているわけだ。

人件費を削ることによって企業は業績をあげてきた。
企業業績は2006年度には売上高、経常利益ともに過去最高を記録しているが、労働分配率(経常利益等に占める人件費の割合)は1998年をピークに減り続けている。
「90年代半ばを境に、生産性と人件費の伸び方に大きな違いが見られる。それまでは生産性が伸びれば人件費も伸びていた。しかし、90年代半ば以降は、生産性が伸びても人件費は伸びない。むしろ減っている。企業は人件費を抑えることで生産性を伸ばしてきたからだ」

おまけに、5%に増えた消費税は法人税引下げを補完する財源として使われた。
法人税収が20兆円から10兆円に減った分、消費税収が10兆円増えているわけで、ちょうどプラスマイナスゼロになっている。

では、儲けはどこに行ったのかというと、森永卓郎氏はこう言う。
「2002年1月から景気回復が始まり、名目GNPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。だが、大企業の役員報酬は一人あたり五年間で84%も増えている。また、株主への配当は2.6倍になっている。ということは、パイが増える中で、人件費を抑制して、株主と大企業の役員だけで手取りを増やしたのだ」
1983年までの所得税の最高税率は75%だったのが、1999年には37%、2007年度より40%と半分に減っている。

政府の無策が貧困を生み出しているのに、政府は貧困の存在を認めない。
生活保護基準以下で暮らす人全体のうち、実際に生活保護を受けている人がどれだけいるか、その割合を捕捉率という。
アメリカでは8人に1人が貧困。
しかし、日本では捕捉率を40年以上調べていない。
なぜかというと、政府が貧困の存在を認めると何らかの政策をしないといけないからである。
「政府は貧困と向き合いたがらない。貧困の実態を知ってしまえば、放置することは許されない。なぜならば、貧困とは「あってはならない」ものだからだ」
「足りないのは、本人たちの自助努力ではなく、政府の自助努力であることが明らかになってしまう」
「財政出動を要求する事態になってしまう。だから見たくない、隠したい―こうして、政府は依然として貧困を認めず、貧困は放置され続けているのだ」

政府が実際にやっていることと言えば、
「〈貧困〉者の間に格差(違い)があれば、低いほうに合わせる。これが政府の鉄則だ。「本当にそれで暮らしていけるのか?」「それで人間的な暮らしを保障したことになるか?」といった疑問は最初から封じられている」
大企業や金持ち寄りの政策としか言いようがない。

マスコミは自己責任論を振りかざす。
日本テレビの水島宏明氏はこう言う。
「日本では専門家による貧困・福祉の研究成果が一般の人たちや政治家らの関心事とならずに、庶民の井戸端会議での感情的な議論そのままで貧困対策を議論し合っている傾向がある。マスコミも同様で、先進国としてはあまりにお寒い現状だ」
感情論で断罪する
という点では、治安が悪化している、犯罪が増えている、厳罰化しなくては、と一緒。

貧困にある人たちは怠け者だったわけでも、先のことを考えていなかったわけでもない。
「本当に悲惨なのは、この「あんたのせい」を、本人が「たしかに自分のせい」と納得してしまうことだ」

「ネットカフェで暮らす健康な男性が「今のままでいいんスよ」と言っている。これはしばしば人々の反発を買う。「現状に甘んじている」「向上心がない」「覇気がない」「根性がない」……このテーマであれば、人々はいくらでも饒舌になれるだろう。まさに自己責任論がもっとも得意とする場面である」


野宿者支援をしている人に、路上生活が10年以上になる人は「今のままでいい」と言う人が多い、どうしてだろうかと聞いたことがある。
あきらめているからだそうだ。
夢や希望を持っても失望するだけだということを骨身に染みて知っている人は夢を持とうとしない。
頑張るためには条件がいるのである。

「彼/彼女らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。自助努力をしても結果が出ないことはあるのだから、過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。自己責任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困当事者本人をも呪縛し、問題解決から遠ざける点にある」
そうして人々は問題の所在を見失い、正社員と派遣社員、福祉事務所職員と生活保護受給者、外国人研修生と日本人失業者などが対立し、双方が引き下げあう「底辺の競争」をしている。

「〈貧困〉は自己責任論と相容れない、〈貧困〉は自己責任論の及ばない領域ということだ。〈貧困〉に陥った人に対しては、人はそれが「本人の責任か」を問う前に、その状態を解消しなければならない」
「十分な生活保障があって初めて「そこから先は自己責任」と言える」

ところが、現実は逆になっている。
日本の社会保障給付金は税金の41.6%しか使われていない。
EU平均並みにするにはあと43兆円が必要なわけで、それだけ少ないことになる。

湯浅誠氏はたとえば、安心して働けるように保育園を充実させる、公営住宅をたくさん建てて家賃負担を軽くする。大学の授業料を安くして将来に向けた負担を軽くする、といった提案をしている。
日本の最低賃金は先進国の中で最低なんだそうだし、消費税を増やすより所得税の最高税率を引き上げるべきだし、最低生活費は引き下げるべきではないと、私も思う。
ネットカフェ難民対策として東京都が「低所得者生活安定化プログラム」と命名した取組みの年間予算は10億円。
定額給付金の2兆円があれば、かなりの対策ができるのではないかと思う。
もっともいくらお金を費やしても、それを有効に使わなければ意味がないわけで、実際のところ、再チャレンジ政策の一環であるフリーター就労支援対策として設置された若年向けハローワーク運営の委託を受けたリクルートは、日給12万円の人件費を計上していたそうだ。

湯浅誠氏はこう言う。
「期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかも諦めた生を生きることだ」
秋葉原通り魔事件を連想させる。
犯罪も貧困と無関係ではない。

最後に文句を一つ。
反貧困キャンペーンのシンボルマーク「ヒンキー」というオバケキャラクターの説明にこうある。
「ヒンキーは、世の中みんなが無関心だと、怒ってどんどん増殖して行きますよ。世の中の人たちがヒンキーに関心を寄せて、ヒンキーをどうするかと議論し、あの手この手を考えていけば、ヒンキーはいずれ安心して成仏してくれます。ヒンキーを成仏させてやってください」
「成仏させる」なんて水子供養じゃあるまいし、と思ってしまった。
言わんとすることはわかるんですけどね。

コメント
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