三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

マーガレット・ミラーとロス・マクドナルド

2018年06月23日 | 

ミステリー作家のマーガレット・ミラー(1915~1994)とロス・マクドナルド(1915~1983)は夫婦です。
マーガレット・ミラーの小説を何冊か読みました。

『狙った獣』(1955年)の解説に宮脇孝雄氏はこう書いています。

概してアメリカのミステリには現代文明の不安な部分を敏感に反映するようなところがあり、50年代の作品群にもその傾向が見受けられる。単純化すれば、戦争の余燼をひきずる男たちはハードボイルドを書き、戦後の繁栄を目の当たりにした女たちはサスペンス小説を書いた、といえなくもないだろう。(略)
50年代は「家庭の時代」であったといわれている。TVにはホーム・ドラマが登場し、頼りになる父親と、賢い主婦と、利発な子供という、今ではいくぶん脳天気にも見える理想のアメリカン・ファミリー像が定着した。60年代に一世を風靡したホーム・ドラマ『奥様は魔女』のように、家庭の主婦は、最新式の電化製品を駆使する魔法使いの役割を期待されていた。

そうか、魔女の奥様とは電化製品を自在に操る主婦の暗喩なのか。

では、マーガレット・ミラーが描いた「繁栄の陰の部分」とは何か。
『悪意の糸』(1950年)の解説に川出正樹氏がこう書いています。

マーガレット・ミラーが訴えたかったものは、当時理想とされた女性像がいかに欺瞞に満ちたものであるか、ということでした。第二次世界大戦後の好景気に沸き、大量消費と郊外住宅地での家庭生活こそがアメリカを代表する生活様式と慫慂された「家庭の時代」はまた、「主婦の時代」とも言われ、妻であり母でもある女性のあるべき姿がマスメディアを通じて喧伝された時代でした。そんな世相にあってミラーは、女性たちの抱える不安や不満、懊悩や鬱憤を摘出し、悪が為され、報いが還ってくるミステリを生涯書き続けたのです。


マイケル・ムーアは自身の作品『シッコ』だったか『キャピタリズム』で、自動車の組み立て工だった父は自分の月給で家族を養い、母は専業主婦だったと言ってます。
トランプを支持した人たちは50年代のアメリカに戻りたいのでしょう。

しかし、実際の50年代は理想的な社会だったかどうか。
マイケル・モス『フードトラップ』に、1955年には女性の38%近くが働いていたとあります。
1980年には51%です。

マーガレット・ミラーとロス・マクドナルドの私生活は不幸に見舞われ続けだったそうです。
「出版・読書メモランダム」というサイトと、ロス・マクドナルド『動く標的』の柿沼瑛子による解説に、トム・ノーラン『ロス・マクドナルド』という評伝によって2人の一人娘リンダについて書かれています。
http://odamitsuo.hatenablog.com/entries/2010/08/16
http://www.webmysteries.jp/translated/kakinuma1803.html
ロス・マクドナルドが4歳のときに父親が家族を捨てたため、看護師の母親が生計を支え、親戚を頼ってカナダ中を転々とした(ロス・マクドナルドによれば高校卒業までの16年間に50回)。
市会議員の娘だったマーガレットは同じ高校の出身。
2人は1938年に結婚する。

娘のリンダは車好きで、フォードに乗り、次第にスピード違反の常習者になっていた。
それだけでなく、不良少年たちと性的体験も重ね、服装、髪型、化粧もはすっぱな感じになり、酒やドラッグにまで手を出すようにもなっていた。
しかし、マクドナルドはリンダを理想化していたこともあって、その一面しか見ておらず、常に彼女をかばい続けていた。

ところが、16歳のときの1956年2月、リンダは飲酒運転で2人の少年をひき逃げし(1人は死亡)、さらに別の車と衝突するという交通事故を起こした。
両親が著名な作家だったため、マスコミは連日、報道する。
リンダは8年間の保護観察処分に付されることになる。

リンダを診た心理学者によれば、分裂症的パーソナリティ体質だった。
事故前後の記憶がはっきりと戻らず、別の男が運転していて逃げたという目撃証言もあり、真相は不明のまま。

『殺す風』(1957年)にこんな文章があります。

なんとまあハリーは分別なしの馬鹿だったのだろう。夫というよりも、いきすぎた自由放任主義の父親みたいなもの、やっきになって子供のあやまちをかばいたがり、いちばん心休まる説明をとびつくように受け入れる。

夫と娘のことを皮肉って書いているように思えます。

リンダはカリフォルニア大学ディヴィス校に入学するが、街に出て酔っ払い、門限を破って外出禁止処分。
1958年になって、またも学内で酒を飲み、大学からの公式譴責処分を受けた。
1959年5月、寄宿舎の階段の吹き抜けでの飲酒を舎監に目撃され、懲戒委員会の審査事項に加えられた。

1959年5月30日、顔見知りの2人の男にネバダ州との境にあるカジノへのドライブに誘われて出かけ、翌朝になっても戻らなかった。
大学側は両親に連絡し、リンダの事件担当判事は保護観察違反だとして、彼女を州全域に指名手配するように指示した。
マクドナルドは失踪したリンダの捜索に乗り出し、キャンバスでリンダの女友達から事情を聞き出す一方で、近郊の警察、精神病院とも連絡をとり、本物の私立探偵を雇い、テレビ局や新聞社に働きかける。
6月9日、リンダから自宅にいるマーガレットに電話がかかってきた。
ただちに私立探偵がリンダを迎えに行き、11日に精神病院に入院する。

その2年後から、失踪した娘を探すリュー・アーチャー物の『ウィチャリー家の女』『縞模様の霊柩車』『さむけ』が書かれますし、マーガレット・ミラーも代表作を続けて書いています。
小説家というのは大したものです。

リンダは30歳のとき、薬物の多量摂取で死にました。
『心憑かれて』に載っている1989年のインタビューで、マーガレット・ミラーはリンダの一人息子が先月亡くなったと語っています。
マクドナルド一家は「家庭の時代」「繁栄の時代」の闇を表しているといえるでしょう。

ロス・マクドナルドは62歳の1977年に入ってアルツハイマー病の兆候が顕著になり、67歳で死亡。
マーガレット・ミラーは晩年、ほとんど目が見えなくなっています。
1968年のマーガレット・ミラーの自叙伝に、夫や娘についてどんなことを書いているのか読んでみたいです。

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