三日坊主日記

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ヴィクトル・ユゴー『死刑囚最後の日』

2022年01月23日 | 死刑

『死刑囚最後の日』は1829年にユゴーが27歳になる直前に書いた小説。
ユゴーが死刑廃止論者だとは知りませんでした。
訳者である小倉孝誠さんの解説から。

当時、死刑の正当性の根拠は3つあった。
①社会に害をなす成員を排除すべきだから。
②社会は犯罪者に復讐すべきだし、罰するべきだから。
③死刑という見せしめによって、模倣する者に脅威を与えなければならないから。

ユゴーの立場。
①犯罪者を排除するなら、終身刑で十分である。
②復讐は個人がすべきことだし、罰するのは神意の領域であり、社会は改善するために矯正すべきである。
③死刑は見せしめとして機能しない。

1832年に加えられた序文でこう反論しています。
当時、ギロチン刑は公開されており、役人が町中で触れ回った。

私たちはまず、見せしめは機能しないと主張する。人々が死刑を目撃したからといって、期待されている効果が生じるわけではない。それは民衆を教化するどころか、不道徳にし、民衆の心に宿るあらゆる思いやりの情を、したがってあらゆる美徳を破壊してしまう。証拠には事欠かないし、それをすべて列挙しようとしたら、議論の妨げになるだろう。(略)
こうした経験にもかかわらず、あなた方が見せしめという旧態依然とした理論に固執するのなら、私たちを十六世紀に連れ戻してほしい。ほんとうに恐ろしい人間になってほしい。多様な刑罰や、ファリナッチや、正式な拷問執行人を復活させたらいい。絞首台、車裂きの刑、火刑台、吊り落としの刑、耳そぎの刑、八つ裂きの刑、生き埋めの刑、釜茹での刑を復活させたらいい。


イタリアの法学者ベッカリーア(1738~1794)は拷問と死刑の廃止を唱えた。
死刑の非人間性を強調し、刑罰として無用である、終身刑を死刑と置きかえるべきだと説いている。
ユゴーが死刑に反対する論拠は、基本的にベッカリーアと同じである。

ユゴーだけでなく、ラマルティーヌも1830年に『死刑に反対する』という詩を発表している。
トスカーナ公国、オーストリア、プロイセン、スウェーデンは18世紀後半から19世紀初頭にかけて、一時的に死刑制度を廃止した。

主人公が監獄の中庭で徒刑囚たちが首枷を装着される光景を目撃する場面があります。
徒刑とは、監獄に収監するのではなく、主に港湾都市で、ドックの掘削、波止場の基礎工事、軍艦の艤装作業といった過酷な強制労働に長時間就かせる刑罰である。
囚人たちはふたり一組となって鉄鎖で繋がれ、身体的な自由を奪われた。
徒刑は一般の懲役刑以上に恐れられた。

徒刑囚が移動の身支度を終えると、二、三十人ごとの集団に分かれて中庭の反対側の片隅に連れて行かれた。そこで彼らを待っていたのが、地面に長く伸びた綱である。この綱というのは長くて頑丈な鉄鎖で、そこに二ピエごとにより短い他の鉄鎖が横についていた。その端には四角い首枷が結びつけられ、それがひとつの角につけられた蝶番によって開き、反対側の角で鉄のボルトで閉められているのだ。首枷は移動の間中、徒刑囚の首に固定される、(略)
ひとたびあの鉄鎖に繋がれてしまうと、徒刑囚の集団と呼ばれ、人はもはや、ひとりの人間のように動くあの醜悪な塊の一部にすぎないのだ。知性は放棄され、徒刑の首枷によって死を宣告される。動物的な側面について言えば、定まった時間にしか用便をすますことができないし、食欲を満たすことができない。こうして身動きもせず、大部分は裸同然で、帽子はかぶらず、足は荷台からぶらさげたまま、同じ荷馬車に積み込まれた徒刑囚は25日間の移動の旅を始めるのだ。


徒刑囚たちを見た主人公はこう思います。

徒刑だって! ああ、死刑のほうがずっとましだ! 徒刑場よりは死刑台、地獄よりは無のほうがいい。徒刑囚の首枷よりギロチンに自分の首を差しだすほうがいい!

ジャン・ヴァルジャンは南仏のトゥーロンで徒刑に処せられていました。

解説に、18世紀、ヨーロッパ諸国に監獄は存在したが、拘禁をほとんど刑罰として見なさず、監獄によって犯罪者は自由を奪われて身体を拘束されるが、処罰されてはいないと考えられていたが、18世紀末から19世紀初頭にかけて、犯罪者を監禁すること、つまり監獄や矯正施設に入れることが懲罰の主要な形態になる、とあります。

ジョン・ハワード(1726~1790)は1773年に州執行官に任命され、囚人が置かれている状況を知ります。
裁判で無罪になっても、看守や巡回裁判の書記などに種々の手数料を支払わないかぎり、拘禁されつづける。
看守に手数料をとらせるのではなく、給料を支払うべきだと州治安判事に上申したが、先例がないために認められなかった。

そこでハワードは、イギリス国内はもとより11カ国を歴訪して監獄や懲治院の視察をし、監獄の改善のために運動した。
そして、『十八世紀ヨーロッパ監獄事情』を書いています。
1777年が初版ですが、本書は1784年の3版の抄訳です。

監獄熱などの病気で多くの囚人が死ぬ。
水がたまっている地下牢に囚人を閉じ込める。
拷問が行われているところもあり、拷問のために手足が脱臼している囚人がいた。
囚人に食物が与えられていない、囚人が裸でいる、床に直接寝ている監獄や懲治院がある。
債務囚と重罪犯、男性囚と女性囚、初犯の若者と常習犯が一緒に収監されている。

ジョン・ハワードは1783年にパリの監獄を訪問しています。
中庭で鉄枷をしている囚人はいないし、イギリスの監獄のような悪臭はしない。

死刑囚がしばしば自暴自棄なるのを避けるために、下級審で死刑の判決を受けた者は、高等法院がこの判決を逆転させるか、あるいは確認してしまうまでは、死刑をまぬがれる希望を失わせないように、高等法院の判決は、死刑執行の当日まで知らされない。(略)私がいちばん最近見たのは、松明による火刑であったが、罪人は処刑前の拷問で、すでにほとんど瀕死の状態であった。


ユゴーはこう書いています。

拷問はなくなった。車裂きの刑はなくなった。絞首台はなくなった。ところが奇妙なことに、ギロチンそのものはひとつの進歩であるという。


現在、多くの国では鞭打ちや手足の切断などの身体に危害を加える刑罰は残酷だとして行われず、教育刑に変わっています。
なのに、なぜかアメリカと日本では死刑の執行が行われているという不思議。

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