江森一郎『体罰の社会史』は1989年発行の本。
江森一郎氏が体罰史という観点を思いついたのは、戸塚宏『私はこの子たちを救いたい』に「日本の歴史が二千年あるとしても、体罰を否定しているのは、最近の三十年間だけで、あとの1970年間は、肯定されているのである」と言っていることだという。
江森一郎氏の考えは正反対に近い。
江戸時代以前にあって体罰否定論者はおそらく最澄と道元だろうということである。
江戸時代の初めごろから体罰が忌まれるようになった。
なんと水戸黄門様も体罰反対をはっきり表明しているそうだ。
闇斎、素行、藤樹、蕃山といった儒学者や心学者も体罰を否定している。
熊沢蕃山はこう書いている。
「聞いたことも見たこともない事を、読もうとする気もない子にまずい教え方で読ませれば、先にやったことは忘れてしまうのは当然だ。それを覚えが悪いの、忘れてしまったのと打ちたたきするのは、「不仁」である。(教育方法を)知らないのである」
体罰を否定しているからといっても、厳しく育てるべきだとする点ではほとんど一致している。
しかし、折檻することは、親子の感情を損ね、子どもの性格を表裏あるものにするとして否定的だった。
18世紀後半になると、青陵、大塩平八郎などの体罰肯定論が出てくる。
明治初年に出た『日本教育史資料』によれば、体罰規定のある藩校と郷校は維新期に存在した270藩のうち6校である。
しかも、このうち数藩については明治になってからの規定の可能性があるという。
体罰が否定されるということは現実には体罰が行われていたからであり、藩校に体罰規定がないから体罰がなされなかったわけではない。
薩摩藩、熊本藩、会津藩では、青少年自治組織では「粗暴・残酷な罰(大体集団的リンチがある)」が行われていたが、「一般的傾向とは言えない」と江森一郎氏は言う。
また、寺子屋でも体罰はあまりなされていないそうだ。
「江戸の寺子屋では一般的には体罰に対してきわめて慎重であり、羞恥心に訴えたり、恐怖心を適度に利用したりすること自体が主だったと考えるべきである」
日本に来た外国人の多くは、日本では子どもに対する体罰がほとんど行われていないことを書き記している。
1620年ごろ、イエズス会士フロイスは「日本では、むち打ちは滅多に行わない」と述べている。
1775年に来日したツンベルクは「彼等(日本人)は、決して児童を鞭つことなし」と書いており、幕末のシーボルトは「少なくとも知識階級には全然体刑は行われて居ない、是がため、私は我国で非常に好まれる鞭刑を見たことがなかった」と書き、オールコックは「(日本人)は決して子どもを撲つことはない」と述べている。
このように、日本では子どもが甘やかされ、大事にされていることに驚いている。
ただし、それには美化という側面もあることを江森一郎氏は注意している。
「特に江戸期の日本人は子どもを溺愛し、甘やかすことが一般的で、体罰もあまりひどいものではなかった」
明治12年に制定された「教育令」には体罰禁止規定が明文化されている。
「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、教育令の規定より八年遅れている。それは、わが国の伝統思想の中に国民のエートスとして、体罰を残酷とみる見方が定着している」
体罰が肯定されるようになるのは日露戦争前後が一つの節目だと、江森一郎氏は言う。
「産業革命によって生じる矛盾の深刻さ、それが温床となって体罰的雰囲気が瀰漫してくる」
「体罰の乱用に決定的影響を与えたのは、帝国陸・海軍の教育(調教?)方法であったろう」
軍隊が教育の場のモデルとなった。
「上下(先輩、後輩)関係を根幹としたうっぷんのはけ口として、私的制裁・体罰の場を用意することになったのであろう。この典型が森(有礼、文部大臣)がもっとも重視して軍隊モデルに改造した新教育の寄宿舎生活の場であったことはよく知られている」
「しだいに蔓延する当時の教師による体罰の根源はここにあったのである」
明治以降、体罰が肯定されるようになったのは、体罰が当然視されている欧米の影響もあるのではないかと思う。
「わが国の近世(江戸時代)教育史に比べると、「西欧の教育史は体罰史である」と言ってもよいほど体罰で色どられている。(ちなみに、中国近世においてもそうだった。)」
ルソーやペスタロッチも体罰完全否定論者ではなかったそうだ。
フランスでは今日でも「家庭での体罰は必要悪と考えられ、そのために毎年10万本以上のむちが売られているという」。
学校での体罰、軍隊での私的制裁は禁じられていたが、タテマエと実態は乖離している構造は戦後も変わらないと、江森一郎氏は言う。
体罰によって子どもがケガをしたり、殺されるという事件が今でも時々あるが、その際に子どものほうが悪いという論調が見受けられる。
子どもには厳しくするほうがいいという考えは日本の伝統とは違うんだということを知るべきだと思う。
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欠点は短気なこと、と答えました。
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中江藤樹のお母さんの話は、源信のお母さんの叱責と通じるものがありますね。
「後の世を渡す橋とぞ思いしに世渡る僧となるぞ悲しき」
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新聞連載開始から28年間の作品を装いを変えて全45巻にまとめたものです。いいものや、有名作家のものだったら、何度もお届け!
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漫画家にインタビューした本に、ペンを持つと吐き気がして描けなくなったと答えた人がいました。
夏目漱石は新聞小説作家でしょう。
胃潰瘍はそのせいという説もあります。
でも、頑張って、みんなに希望を与える仕事をしましたよね。
4コマ、まんがは起承転結を考えて描くので、案外大変なのでは?
長谷川町子氏は独身で、姉と妹も早くに夫を亡くして、女ばかりの生活だったそうです。
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あるべき家族像を投影しているのではないでしょうか。
最低でも、家族は一日一回はみんなで食事すると良いと思います。
でも、今も昔も、そんな家庭はないのではないでしょうか。
我が家の場合、夕食はみんなで食べるようにしていますが、それ以降はそれぞれバラバラ。
サザエさんのおうちの家具は、なんとなくレトロですが、電化製品は進化していますね。
たしかに下宿していた時のように、6畳ひと間で、手を伸ばせば届くぐらいで十分ですね。
鴨長明が、終のすみかにした家なんか、いかがでしょう?
でも、掃除が大変でしょうね。
さぞかし超高級の億ションにお住まいなんでしょう。
マンションを管理するのも時間がかかるみたいです。
住民からの苦情もいろいろあるみたいだし。
ブログを継続するのもけっこう時間がかかるし。
しつこいですけど、大津市の中学校や関係者(でない人もいるけど)に抗議や脅しの電話・手紙をする人と同じです。
>となりのみよちゃんさん
他にもいいこと書いてますよ。
お暇な時にごらんになってください。
この日記に関して、少し口出し(知ったかぶり)をしたくなった私です。
この日記に書いてある、中江藤樹と熊沢番山は
師弟関係にあります。中江藤樹は我が国における陽明学の祖です。彼が弟子の熊沢蕃山に送った漢詩では「送熊沢子還備前」が有名です。この詩の中には、「眼中に青し」といった句があり、これは阮籍の故事をもとにしたものです。白眼にたいして青眼。志を同じくする弟子にたいする好意のまなざしを暗に秘めています。番山は中江藤樹の学問の実践者です。
その実践のプロセスで体罰を容認したという話は、私の知る限りにおいては、ありません。以上です。
体罰は指導力・説得力・忍耐力が乏しい無能な教育者による責任転嫁。
虐め・虐待にも通じる「言って聞かなければ叩くしか」等の論理的間違いを解説@感情自己責任論
外国人たちが気恥ずかしくなるくらい日本を賛美しているのには驚きです。
タイムマシンがあれば、幕末から明治時代の日本に行きたいですね。
日本の伝統とは違うんだということ
を、渡辺京二の著書「逝きし世の面影」で知り、
私も目から鱗でした。