三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

犯罪加害者と家族

2009年01月31日 | 厳罰化

被害者参加制度で初の公判 遺族、被告に直接質問
 刑事裁判に被害者や遺族の参加を認める「被害者参加制度」に基づき遺族らが出廷した公判が23日、東京地裁で2件開かれた。裁判の当事者として法廷に入った遺族が被告に実刑を求め、被害者本人が被告に犯行時の状況を直接問いただした。昨年12月にスタートした同制度で、遺族らの公判参加は全国初とみられる。
 1件は、東京都内で昨年8月、トラックを運転中にバイクと衝突し調理師の男性(当時34)を死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた運転手(66)の初公判。被害者の妻(34)と兄(35)の2人が被害者参加人として検察官の隣席に座った。
 兄が質問に立ち、「なぜ1回しか謝罪に来なかったのか」などと、被告の事故後の対応を追及した。「事故現場で手を合わせたりしたことはありますか」と尋ねると、被告は「仕事で毎日通うので赤信号で止まれば手を合わせる」と供述。この質問の後に裁判官が「車を降りて花を供えたりしたことはあるか」と聞くと、被告は「ないです」と述べた。
(1月23日ニッケイネット)

この事故がどういう状況で起こり、被告がどういう対応をしたのかはわからない。
だが他人事ではない、死亡事故を私も起こすかもしれないのだから。
どういう謝罪をすればいいだろうかと考えたのだが、わからない。
事故現場に花を供えればいいというものでもないと思う。

毎日新聞に、
「男性の兄は被告に「あなたの考える誠意とは何か」と尋ねると、被告は「線香を上げさせていただき謝るしかない」と答えた」
とあり、産経新聞では、
「兄が「あなたが考える誠意とは何ですか」と問いかけると、被告は「ただ謝るしかないと思います」とうつむくだけだった」
とある。
さらに産経新聞は、
「検察側の論告の後、量刑に対する意見を述べるため立ち上がった妻は被告に厳しい視線を向けた。事故後、交通事故の裁判を多く傍聴してきたといい、それらの被告に比べて「あなたのように誠意のない人は初めて」と声を詰まらせた」

誠意とは何か。
人の命を奪ったという事実から目を背けず、ごまかさないということだとは思う。
だけど、それはかなりきついことである。
事故を起こした運転手が腰が抜けて立てなかったとか、事故のあと自殺する人がいると耳にするが、人を死なせたことで頭の中が真っ白になり、自分自身が落ち込んでしまい、被害者のことを考える余裕がなくなる気がする。
遺族に謝るにしても、何を言えばいいか言葉が浮かばない。
「申し訳ございませんでした」と頭を下げるしかないけど、それだけだと「何も言わないのか。誠意がない」と怒られるかもしれない。

これが殺人事件だとどうなるのか。
君塚良一『誰も守ってくれない』は下手なホラー映画よりも怖い。
小学生姉妹殺人事件の容疑者(18歳)の妹(15歳)と、加害者家族をマスコミや世間の中傷から保護する刑事が主人公。
保護といっても、容疑者の家族から供述をとるために自殺させないのが目的である。
突然、警察がやって来て、わからぬままに殺人犯の家族になってしまう怖さ。
このたたみかけるような描写はすごくリアルさを感じる。
妹は刑事に連れられて家から出て行くのだが、マスコミに追われて逃げ、そしてネットでの祭りにさらされる。
記者が「犯罪者の家族が迫害されるのは当然だ」と
東野圭吾『手紙』みたいなことを言う。
じゃ、お前たちに加害者家族を迫害する資格があるのかと言いたくなった。
ラストは何となくほっとするのだが、だけど殺人犯の妹のしんどさはこれからである。

息子を殺されたキース・ケンプさんはこういうことを言っている。
「ある殺害された息子さんの母親が、2~3ヶ月前に私に、「あなたは、殺害された子どもの親と、殺人者の親とではどちらの方がいいですか?」と訊ねました。それは、熟考するのに、実に重たい問いかけです!」(ハワード・ゼア編著『犯罪被害の体験をこえて』)
加害者側も楽ではないと思う。
犯罪者の家族・親族に対する人権侵害を糾弾する」というブログがあった。

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