三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

カルトの親とカルトの子 2

2010年01月30日 | 問題のある考え

『カルトの子』の最後に米本和広氏はこう書いている。
「人がユートピアを夢想し、その実現に向けて活動するのは自由である。コミューンを夢見てヤマギシ会に入り集団農場で農作業するのも、統一教会に入って万物復帰を願って献金活動にいそしむのも、あるいはハルマゲドンは近いと伝道訪問に汗をかくのも、自由である。レトリックとして言っているわけではなく、大人には自分の生き方―どんなに社会的な批判を浴びるものであったにせよ―を選択する自由があるし、その権利は守らなければならないと思う。
しかし、自分の生き方に子どもを巻き込む自由は親にはない、と私は考える。そもそも子どもは、全人幸福社会を実現しようとか、文鮮明が選んだ人と結婚し、わが一族の血統転換を図ろうとか、永遠の命を手に入れようとか、そうしたことを希望して生まれてきたわけではないのだ。
そんな権利はないはずなのに、カルトの親たちは自分の生き方に子どもを巻き込んでしまったわけである。その結果、子どもの心を深く傷つけてしまった」

カルトの問題点として次の二点があげられる。
1,精神の呪縛
2,まわりを巻き込む

カルト宗教の問題の一つが精神的虐待である。
藤田庄市氏は『宗教事件の内側』で、カルトの特徴として「信仰による精神呪縛による人間性破壊(人権侵害)と、反社会的行為による人々の生活や家庭の破壊」をあげ、
「カルト事件の本質は、精神の深部から人間を呪縛し、「精神の自由」を侵す点にある」と指摘する。
カルトは信者を精神的に追いつめることで、どんなに無茶なことも信者を言いなりにさせる。
信者は言われるままに行動し、しかも自分から進んで行なっていると思っている。
このように、精神の自由を侵すのがカルトである。

そして、親がカルトに入信したら子どもを巻き込まずにはおかないように、まわりの人も無関係ではおれなくなる。
カルトの定義に「個人の精神が呪縛される。また、個人の問題にとどまらず、家族などの身近な人々をも巻き込み、苦しめることになる」という一文を加えていいように思う。

カルトとか精神の呪縛というと、何だかよその世界の話になってしまうのだが、健康食品のマニアだとか、占い大好き人間も基本的には同じだと思う。
日本のサプリはダメだというので海外から取り寄せる人。
100万円もする健康器具(マイナスイオンがどうしたとか)を喜んで買う人。
細木数子ファンで、その日の予定は細木本で必ず調べる人。
自分のお金で何を買おうと自由ではあるが、無駄な出費なわけで、家族にとっては迷惑な話である。
それに、こういう人たちはいろんな制約に甘んじていて、これも精神の呪縛だと思う。
もっとも、そんなことを言うと何でも精神の呪縛になってしまうわけで、精神の呪縛とは何か、マインド・コントロールとは違うのかなどをちゃんと定義しないといけないのだが。

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