三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

昭和天皇の戦争責任

2013年12月29日 | 戦争

赤坂真理『東京プリズン』を読みながら、小説を書くということは過去の自分を受け入れるための一種のセラピーなのかもしれないと思った。
というのも、赤坂真理氏は15歳の時に渡米しているそうだ。
母と「私」(作者)との関係の修復。
そして、天皇と国民との関係の修復。
赤坂真理氏の天皇観と思われる汎神論的天皇、円の中心にある虚無としての天皇は、現実の歴史的な存在としての天皇とは違うと思う。

『東京プリズン』は天皇の戦争責任についてのディベート小説かと思っていたら、441ページある中の342ページからディベートが始まる。
の最後、主人公の高校生はディベートの場で聴いた天皇の声を伝える。

『彼らの過ちの非はすべてこの私にある。子供たちの非道を詫びるように、私は詫びねばならない。(略)前線で極限状態のものは狂気に襲われうる。彼らが狂気のほうへと身をゆだねてしまったときの拠り所が、私であり、私の名であったことを、私は恥じ、悔い、私の名においてそれを止められなかったことを罪だと感じるのだ。私はその罰を負いたい。(略)
積極的に責任を引き受けようとしなかったことが、私の罪である望んでトップにまつりあげられたわけではなかった。担ぎ上げられたとも言える。が、それは私がこの魂を持ちこの位置に生まれついたのと同じ、運命であり、責任であったのだ。巡りあわせであり、縁あって演じることになった役割だ。それには私の全責任があるはずであった。戦争前に、戦争中に、そう思い至らなかったことを悔いている』。

二重カギになっているのは、天皇の声だということなのか、それともタネ本があるということか。

赤坂真理氏は「彼ら(兵士)の罪は、私(天皇)の罪である」と書いているが、実際はどうなのか。
昭和天皇はマッカーサーとの会見「自分が全責任を負う」「自分はどうなってもいい」と語ったとされているが、実際は違うらしい。
昭和天皇にとって一番大切なのは国体護持なんだと思う。

梯久美子『百年の手紙』に、昭和天皇、皇后が皇太子に出した手紙が紹介されている。
昭和天皇の手紙(昭和20年9月9日)

戦争をつづければ 三種の神器を守ることも出来ず 国民をも殺さなければならなくなつたので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである。

「三種の神器を守る」=国体護持である。

マッカーサーには「戦争に関する一切の責任はこの私にあります」と言ったとされるが、息子には敗因を軍人のせいにしている。

敗因について一言いわしてくれ(略)軍人がバツコして大局を考えず 進むを知つて 退くことを知らなかったからです。

前にも書いたが、昭和天皇は知らされていたわけではないし、軍人の言いなりになっていたわけでもない。

梯久美子『昭和の遺書』に、2.26事件で死刑になった磯部浅一についてこのように書かれている。

磯部の遺書を読むと、天皇への罵詈雑言といってもいい言葉の向こうに、ある種の甘えが見え隠れしているのがわかる。若く清廉な天皇のことを本当に理解できるのは、醜く老いて重臣たちではなく、同じように若く清廉な自分たちであるとの自負が、磯部にはあったに違いない。

昭和天皇34歳、磯部30歳。
天皇なら自分たちの気持ちをわかってくれると信じ込んでいた磯部浅一たちにとって、反乱軍とされることは天皇の裏切りだと感じたのだろう。

ごく若いうちから孤独と重責のなかで思慮を働かせ、経験を積んできた天皇は、青年将校らよりもはるかに現実的な判断力にすぐれ、また老練であった。事が起きたとき、天皇は経済に悪影響が出ること、特に海外為替が停止になることを危惧し、それを避けるためにも早期の解決が必要だと考えたという。一国の君主としてのこうした深慮は、磯部には想像もつかなかったに違いない。

現実主義者の昭和天皇と、理想主義に殉じた磯部たち。

そして、香淳皇后の手紙(昭和20年8月30日)

残念なことでしたが これで 日本は 永遠に救われたのです。

「救われた」とはどういう意味だろうか。

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