三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「日常の中での死」と「尊厳死という名の下での死」

2013年10月20日 | 日記

某氏に、「「日常の中での死」と「尊厳死という名の下での死」~尊厳死法制化の動きが意図するもの~」という川口有美子氏へのインタビュー記事(「SOGI」№135)のコピーをもらった。

川口有美子氏はALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹った母親を12年間介護した。
かつては安楽死の法整備が必要だと考えていた川口有美子氏だが、現在は尊厳死法制化に反対している。
なぜかというと、安楽死を望む人の多くが、病気の末期の人、貧しい人、障害を持っている人、高齢者、医療の受けられない人で、社会から見捨てられるということだとわかった途端に、「これを法律にしてはいけない」と思ったという。

私は、誰からの押しつけでもなく、自殺でもなく、治療を断ることができるという条件のもとでの本人の意思であれば、「医療を受けたくない」「ここでもういいから、活かせてほしい」という選択は、ありだと思います。
でも、尊厳死法制化はそうしたこととはまったく違う。これは経済の話であり、政治的に弱い人の口べらしをしようというものです。尊厳死を法制化することによって、長患いの人を少なくできます。長患いの人、障害者は、介護とか医療とかに長期にわたってお金がかかりますから、そういう人たちが早く亡くなれば、医療や年金の制度が助かる。
それと、長患いの人の家族に対して、扶養義務が強化される方向にあります。家族に負担させて、家族が「面倒を見きれません。本人は自ら死にたいと言っています」と言わせるようにしむけるのです。家族が「扶養できない」となったときでも、尊厳死できるように。
ALSが、かつて、ずっとそうでした。「家族が24時間介護するなら、呼吸器をつけてあげるよ」と言われて、「わかりました。家族が責任をもって面倒を見ます」と言ったとき、ようやく治療をしてもらえて、それで20年ぐらい生きるんです。でも、それでは家族はボロボロになってしまう。
それから、尊厳死の法制化により、家族が介護をギブアップしたとき、本人は、「もう生きていたくない」と言わざるを得ない状況におかれます。そうやって、「本人が治療をしないと、ここに書いているんだから」「自己決定だからいい」ということで、弱い人は責任を押しつけられ、治療をしてもらいないで、尊厳死させられてしまう恐れもある。

尊厳死とは、個人の尊厳に関わる問題だと思われがちだが、現実には経済問題なのである。

延命治療を望まないと言う人は少なくなく、私がその理由を尋ねると多くの人は「まわりに迷惑をかけたくないから」と答える。
人に迷惑をかけずに生きている人なんていないのに、迷惑をかけない生き方が倫理となってしまい、難病の人や障害者が生きづらくなっているわけです。

国会議員はどう考えているのか。

尊厳死の制度化も、「身体を管だらけにして苦しめずに、安らかに看取ることができる制度を整えること」といったよいイメージでとらえている人が多いと思います。でも、ケースバイケース。高齢者だって、個別性重視で必要な薬は飲ませなければならないんです。

与えられたイメージだけ尊厳死を人間らしい死に方だと誤解しているのは国会議員も同じなわけである。

法制化の意図(経済の論理での切り捨て)を自覚している国会議員もいるそうだ。

そういう人は優性思想の持ち主でしょう。「働けない人は早く死んでもらいましょう」と公言している国会議員もいます。今、人類は試されていると思いませんか。

私の父は認知症だが、損か得かの経済の論理で「早く死んでもらいましょう」ということになったら困る。
介護保険制度が見直されるそうだが、改悪はしないでほしいと、ほんと思います。


優性思想は人間の本能であり、同時にそれに対抗することも本能だと、川口有美子氏は言う。

たとえば、自分の命を捨てて他者を助けるような合理的には見えないようなことを人はするのですが、それは生物の本能ではなくて、人間がもっている本性だと思いますよ。重い障害をもった人を大事にしたり、食べられない人には食べさせてあげるということを人間はずっとしてきているんですね。そういう弱い人たちがいることによって、ギスギスしないやさしい社会になり、目には見えないがメリットがあることを人間は本能的にわかっている。
重度障害者が産まれないようにしたり、早く死ねるようにしたりして、優秀な人ばかりの社会になったらどういうことになるか。たぶんもっと早く人類は滅ぶのだろうと思います。でも、社会の半分ぐらいが障害者で彼らが生きやすい社会だったら、人類は生き残れるんじゃないかと。
私、考えたんです。どうして遺伝性の病気を引き起こす遺伝子が現代まで生き続けてきたのかなと。脈々と存在しているわけでしょ。それは病気をもっている人や働けない人も必要だからじゃないかなって。そういう弱い人は一定の安定を社会に与え、文明を育てて長続きさせ、繁栄させる一つのキーになっている。


政治家やマスコミの口車に乗って間違った認識を持ってしまうことはよくある。
原発問題や治安の悪化・厳罰化などがそうだが、尊厳死もその一つだと再認識しました。

コメント
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