一時期、あまり小説を読まなかったのだが、去年から日本の小説をまとめ読みしている。
吉田修一の小説も何冊か読んだ。
スラスラと読める。
その意味では山本周五郎賞も納得だが、登場人物は深い闇を抱えている点が芥川賞的でもある。
吉田修一の小説は18禁である。
『パークライフ』のように私小説的な日常の事柄が書かれ、特に事件が起きるわけでもない小説でも、なにやら不穏な雰囲気が漂っている。
だから、『パークライフ』に一緒に載っている『flowers』の、一瞬にして奔出する暴力は突然という感じがしない。
『ランドマーク』の貞操帯は暴力と性の象徴という気がする。
なぜ貞操帯をするのか、本人だってわからない動機を読者がわかるわけはない。
知らない女性を殴る『パレード』にしても、理由は説明されない。
そうした衝動を読者も抱えていると、ふっと気づかされる怖さ。
『ひなた』は、文京区のかなり広い一戸建てに住む兄弟と兄の妻、弟の恋人の4人の視点で書かれた小説。
弟の恋人は、フランスに本社があるので社長が来たときの会議はフランス語という、グッチとかシャネルのような、一着数十万円するジャケット、軽く十万円を超えるシャツを販売する会社の広報に就職している。
その恋人の家・家族の描写が圧巻である。
恋人の下の兄が結婚(二度目、一度目は19歳。相手も二度目)するので、相手の家族との顔合わせに、弟もついて行く。
家はゴミ屋敷で、両親はパジャマのような服を着て、テレビを見ながら寝転がっている。
挨拶をしても、寝転がったまま。
一緒に住む長兄の女は「私の倍くらいはある」
弟の恋人はこう言う。
「人間ってさ、楽に生活しようとすると、ああいう形になるんだと思うんだよね」
映画でこの雰囲気を表現するのは難しいのではないだろうか。
我が家でも寝っ転がってテレビを見るし、家の中は散らかっているが、それとは違うような気がする。
闡提とはこういうことかと思った。
宮城顗先生