青草民人さんです。
最近見た光景で、いくつか気になることがあった。
電車に乗っていたとき、ある駅で駆け込み乗車をしてきた若い女性がいた。いきなり、いや無理だろうという隙間に飛び込んできたのだ。案の定、辛うじて身体は滑り込んだものの、バックはドアの外に。当然、電車は走り出したが、すぐに止まった。電車は一度走り出した後は、緊急停止したら、しばらくは安全確認のために動かない。結局、駅員が駆けつけてきて、ドアを開けて、挟まれた鞄を取り、やっとのことで発車。電車は四分の遅れ。
まあ、よくありがちなことではあるが、ビックリしたのは、その女性、自分が電車を遅らせたことなんてお構い無しで、ケータイをいじっている。ばつが悪いのはわかるが、なに食わぬ顔をしている様子には、あきれた。
最近、また同じような場面に遭遇した。同じように閉まりかけのドアに、これまた、若い女性が、バックを挟まれた。慌ててとなりにいた二人のサラリーマンが、ドアに手をかけ、鞄を外してあげた。しかし、その女性も、まったくの知らん顔。「ありがとうございました」の一言もなければ、「すみません」の一言もない。そして、ケータイでメール。唖然。
次は学校の話。仕事柄、職員室にいると電話がひっきりなしにかかってくる。最近多くなってきたのが、伝言電話。
「○年○組の誰々の保護者です。朝、伝えるのをわすれたので、子どもに学校から帰ったら、○○さんの家に行って待つように言ってください」とか、「私、外出してしまって、伝えられなかったのですが、今日は帰りが遅くなるので、ボップ(学童クラブ)に行くように言ってください」といったもの。非常識を通り越して、無常識である。
電話で、しかも学校に用事を頼む等ということは、私たちの世代では考えられない。どうしてもという緊急の場合、例えば自分の親が危篤でどうしても連絡しないといけないといった場合は別だが、何食わぬ顔で、私の都合を電話で済まそうとする母親が増えている。学校を託児所だと思っているのか、見下されている感じがして不愉快。でも、笑顔で対応。ストレスたまる。
若い教員にも同じようなことがある。研究会などの反省会で、職場の上司としては、ご苦労様の気持ちを込めて寸志を包むのがエチケットだが、私たちは先輩から、次の朝「昨日はご馳走様でした」の一言は必ず言うものだと厳しく教えられた。
でも、今の若い教員は、そういったことをしない。いや知らない。自分が言うと催促しているみたいで嫌なのだが、「社会人として教えてあげないと」と思って、敢えて耳の痛い話をするのだが、「すみません」とは言うが、嫌な顔されるか、落ち込むので、二度と言うかとなる。
今の若い教員は、返事はするが、人の話を聞いていない、と感じるのは年のせい。
ケータイ、スマホ世代なのか、自分の回りに人がいることが見えていない人が最近増えているように思う。「おかげさま」という言葉が死語になったのか、「おもてなし」なんていっている場合じゃない。