三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

伊藤実『アイシテル―絆―』

2012年11月27日 | 厳罰化

『アーミッシュの赦し』を読んで、あれれと思ったのが加害者家族への赦しについての戸惑い。
「アーミッシュは殺人犯本人だけでなく、その家族にも、事件後数日内に赦しを与えた。当時、そのことを批評した人たちと同様、我々もこれには戸惑いを感じた。家族は事件に責任がないし、むしろ彼らもロバーツがとった行為の被害者といえる」
銀行にはロバーツ家への義援金の口座が開設され、義援金が集まったそうです。
『アーミッシュの赦し』の著者たちは、近隣のアーミッシュがロバーツの家族を赦したことには〈あなた方の身内は私たちの子供に悪事を働きましたが、私たちはあなた方を恨まないよう最善を尽くします〉というメッセージがこめられていると書いています。

加害者の家族が誹謗される日本では、加害者家族に責任がないとか、家族も被害者だという発想自体がないように思います。
伊藤実『アイシテル―海容―』の続編『アイシテル―絆―』は、小学生を殺した加害者の弟がさまざまな非難中傷に苦しむという話で、東野圭吾『手紙』と似たような設定、展開なのが残念。
もっとも「(加害者家族への)差別はね、当然なんだよ」なんてアホなセリフはありませんが。
事件から20~30年経っても、多くの人が事件や犯人を覚えているは思えませんが、日本では犯罪者の家族が肩身の狭い思いをして暮らしているのは事実です。

犯罪者や家族を社会から排除すればいいのか。

寮美千子氏は『年報・死刑廃止2012』のインタビューの中で「私は宅間守に殺された池田小の子供の側なんですよ」と語っています。
「私は親が教育熱心だったから千葉大の付属小に入れてくれたんです。そうしたら金持ちの子しか来てない。千葉高校行って外務省に入って東京でずっと暮らしてきて、ともかく私、奈良に来るまで生活保護を受けてる人も在日の人も身近にいなくて会ったことがなかった。50過ぎるまでですよ」
私は寮美千子氏のように頭がいいわけではありませんが、社会的弱者と接することがほとんどなかったという点では寮美千子氏と同じです。
「だけど、貧しい人、困難な状況にある人がいるという事実を見ないですましている社会に加担していること自体が、私も誰かを、たとえば宅間のような立場の人を苦しめてる側の一員ではないかということを考えないといけないと思いました。わたしが、宅間のような人を創ってしまったのかもしれない」
そして、寮美千子氏はこのように語っています。
「汚いものとか、怖いものとか、悪いものとかを世の中から排除して押し出してそこにクリーンな社会が出来ると思ったら大間違いで、それは出来ないんです。そう思う気持が排除された人々を創り出すわけじゃないですか。それで追いつめて追いつめて大変な思いをさせて結果的に犯罪者を創りだしてしまう。そういう人たちは排除して、そんなものは見ないで暮らしたいと思う心自体がこの世の中を犯罪のある世の中にしているんだと思います。
自分は善人で自分は何にも悪いことはしていない、罪もないと思ってる人たちはほんとうはそこに気づかなくちゃいけないと思う。「道を外れた人々は排除すればいい、自分と関係ない」と思わないで、本当に同じ仲間として世界で同じ地平で生きてるんだと思わないと犯罪はなくならないと思います」

高田章子「罪を犯した少年は、更生できないのか?」にも同じ趣旨のことが書かれています。
「死刑廃止運動にたいする抗議の電話には、「自分が強かったから、つらい環境も乗り越えて今まで立派に生きてきたのに、つらい境遇だったから人を殺してしまったなどという言い訳は許さない」という人がいるし、「自分は絶対に人など殺さないから、そんな野蛮な奴は危険だから厳罰に処して社会から隔離すべきだ」と言う人もいるが、私にはどれも傲慢な言い分に聞こえてならない。罪を犯さずに生きて来られたことは、自分を褒めるのではなく、そう生きさせてくれた、今まで出会った周りの多くの人たちに、感謝すべきことなのではないかと思っている」
全面的に賛成です。

経済的、社会的に困難な状況にあるのならともかく、そういう状況でなければ精神的に余裕があるのだから、他者に対してちょっとでも寛容になれると思うし、そうすることが犯罪を減らすことにもつながると思うのですが、なかなかそうはいかないようです。

コメント (14)
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