三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『アーミッシュの赦し』1

2012年11月05日 | 厳罰化

ピーター・ウィアー『刑事ジョン・ブック 目撃者』にアーミッシュの生活が描かれていて、それがウィリアム・モリス『ユートピアだより』を思わせていい感じなのである。
それで、D・B・グレイビル『アーミッシュの謎』、池田智『アーミッシュの人々』を読んだのははるか昔の話です。

宗教改革の時代に迫害を受けてアメリカに移住したアーミッシュは、17世紀の生活を基本的に守っている閉鎖的集団である。
神への信仰が生活の中心であり、教えに沿ったきまりが遵守される。
彼らは教区単位で生活するが、一つの教区に平均して25家族、大人75人。
個人主義を嫌う彼らは同じ服装をするなど、個人が目立つことがないようにし、個性を押し殺す。
アーミッシュは外の世界と分離した自給自足の独立した農業社会であろうとして、距離を置いて生活している。
しかし、どうしても外の世界と関わりを持たざるをえない。
そこで、簡素な生活、同一の服装、ドイツ語の方言などを守ることで独自の文化を構築し、現実社会との間に際だった差異を強調することで独自性を保っている。
何を受け入れるか慎重に検討され、急速な変化を生じることは避ける。
たとえば、自動車の運転をしないが、自動車には乗る。
電話を所有しないが、公衆電話は使う。
そんなアーミッシュの生き方は窮屈かもしれないが、歴史のある時点にとどまることによってなつかしさを感じさせ、現代文明を批判する鏡ともなっている。

ドナルド・B・クレイビル、デヴィッド・L・ウィーバー‐ザーカー、スティーブン・M・ノルト『アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか』は、アーミッシュの社会で起きた乱射事件とアーミッシュの赦しについて書かれている。

2006年10月、ペンシルベニア州ニッケル・マインズのアーミッシュ学校で乱射事件があり、7歳から13歳の少女5人が死亡、5人が重傷を負い、犯人のチャールズ・カール・ロバーツ四世は自殺した。
ロバーツは32歳、農場を回って牛乳を回収する仕事をしており、アーミッシュとも顔なじみだった。
どうやら少女たちに悪戯し、そうして全員を殺して自殺するつもりだったらしい。

被害者の家族を含むアーミッシュはロバーツと彼の家族を赦した。
「世界を驚かせたのは、ニッケル・マインズのアーミッシュが、その直後に殺人犯を赦し、その家族に思いやりあふれる対応をとったことだった」

事件の当日に、アーミッシュはロバーツの妻エイミーや両親のもとを訪れ、赦しの言葉と慰めの言葉を伝えている。
そして、「ロバーツの葬儀の前日か前々日、我が子を埋葬したばかりのアーミッシュの親たちも何人か墓地へ出向いて、エイミーにお悔やみを言い、抱擁している」
さらには、「殺された何人かの子の親たちは、ロバーツ家の人たちを娘の葬儀に招待した。さらに人々を驚かせたのは、土曜日にジョージタウン統一メソジスト教会で行われたロバーツの埋葬では、七五人の参列者の半分以上がアーミッシュだったことである」

ロバーツの家族はこう述懐している。
「三五人から四〇人ぐらいのアーミッシュが来て、私たちの手を握りしめ、涙を流しました。それからエイミーと子供たちを抱きしめ、恨みも憎しみもないと言って、赦してくれた。どうしたらあんなふうになれるんでしょう」

事件から数週間後、ロバーツ家の人たちと子供を失ったアーミッシュの家族たちが面会し、悲しみを分かち合った。
その場の雰囲気をアーミッシュの指導者はこう語っている。
「私たちは輪になって座り、順番に自己紹介しあいました。エイミーはただもう泣きじゃくるばかり。ほかの者も話しては泣き、話しては泣きしていました。私はエイミーのそばにいたので、彼女の肩に手をかけ、立ち上がって慰めようとしたんですが、自分も泣いてしまいました。本当に心が震えるような経験でした」

ニッケル・マインズで起きた乱射事件が報道されると、世界中からさまざまな支援の手が差し伸べられた。
銀行に義援金の口座が開設されたのだが、ニッケル・マインズ子供基金とロバーツ家基金の二つで、加害者家族への義援金も集まっている。
事件発生から数カ月の間に世界中から寄せられた義援金は400万ドル。
アーミッシュは基金の一部をエイミーに渡すことに決めた。
なぜこんなに早く赦せるのか、指導者の指示か、すべては偽装で自己宣伝なのか。

コメント (16)
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