三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

自己責任について

2010年03月28日 | 日記

次女が某公立高校に合格した。
驚いたのが入学金が5640円、すべりどめに受けた某私立高校の入学金は25万2千円ということ。
授業料が無償化されたが、毎月引き落とされる金額は2万円ぐらい違うらしい。
なるほど、収入の少ない家庭だと私立はしんどいだろうなと思った。
で、思い出したのが、2008年10月、大阪の橋下知事と私立高校生が学費補助金削減で討論したこと。

私学助成金は各都道府県が県内の私立学校に交付する補助金制度で、大阪府では児童一人あたり約37万円の学費を負担しており、一年で約600億円の支出になる。大阪府は来年度1000億円の歳入不足が見込まれるため、子供や高齢者の医療費補助を維持する代わりに私学助成金を見直している。
しかし削減が実行されると経済的負担増で学校に通えなくなる生徒が出るといわれるため、現役高校生と府知事が意見交換会する場が設けられた。
やりとりの一部。
生徒「母子家庭で家計が苦しく学費が払えなくなるかもしれない。私学助成削減をやめて僕たちに安心して勉強させて欲しい」
知事「どうして公立へ行かなかったの?」
生徒「公立に入ったとしても、勉強についていけるかどうかわからないと(中学の担任に)言われて」
知事「追いつこうと思えば公立に入ってもね、自分自身で追いつく努力をやれる話ではあるよね。いいものを選べば、いい値段がかかってくる」

生徒「受験に失敗して公立の定員に入れなかった子を見捨てるんですか」
知事「義務教育までは平等に扱う。その先は定員があってずっと競争があるのが世の中の仕組みだと自覚しないと」

あるいはこういうやりとり
生徒「世の中の仕組みがおかしいんじゃないですか」
知事「僕はおかしいとは思わない。やっぱり16(歳)からは壁にぶつかって、ぶつかって」
生徒「そこで倒れた子には?」
知事「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」
生徒「それはおかしいです!」
知事「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」

ネットの反応は、橋下知事の言っていることが正論だとか、偏差値の低い公立高校に行けばいいとかいった、私立高校生を批判する者が多かったように思う。
これじゃ貧乏人は高校に行くなと言っているようなものである。
旧聞に属することを今さら問題にするのはなんだけど、やっぱり腹が立つ。
少しでも偏差値の高い学校に行きたいと思うのは当然のことだし、大丈夫だと担任が太鼓判を押してもすべることもある。
入試に失敗するのは自分の責任だとしても、家庭の事情で授業料を払うことが困難な子どもを援助するのは行政の責任である。

「自己責任」という言葉が他者を非難する言葉として広く使われるようになったのは2004年のイラクの人質事件からだろうと思う。
人質となった3人はマスコミ、ネット、そして政府からも叩かれた。
ネットを検索したら、生田武司氏のHP「松沢呉一の議論が最も明快だった」として紹介しているのを発見。
いつものように無断引用、孫引きです。
「寝タバコでの火災は誰のせいでもなく自分のせいですが、それでも消防隊は消化活動をしなければなりません。(…)夫婦喧嘩で肋骨を折ったら、誰のせいでもなく夫婦のせいですが、それでも救急車は病院まで運ばなければなりません。それぞれ自分の行為によって生じ、その責任は自分でとらなければならないにもかかわらず、救済される権利があります。そのための税金ですから。そのことをわかっていない人たちが「自己決定・自己責任」「自業自得」などと言っているのではないですか。したがって、政府が自衛隊を派兵したことによって彼ら3人が拘束される要因を作り出したにせよ、拘束されたことの責任を直接には政府がとる必要はないでしょう。その責任がないだけのことで、彼らを救うために尽力する責任はあります。それをやらなかった時には当然非難されるべきです。「あれは夫婦喧嘩で大怪我したんだから自業自得」として救急車が放置して死んじゃったら、死んでしまったことにつき、救急隊が責任をとらなければならないのと同じです」
しごくもっともな意見だと思う。

たしかに世の中は橋下知事が言うように競争社会である。
しかし、スタートラインが違っていては不公平である。
現実はどうかというと、勉強ができて偏差値の高い高校、大学に入り、そしてエリートコースをまっしぐらに進み、高収入を得ている橋下知事のような人の子どもは、たとえば親がリストラされて収入が激減した家庭の子どもに比べると圧倒的に有利という競争社会なわけである。
不利な条件を少しでも改善し、競争に負けた人にも手をさしのべるのが行政の仕事なのに、自己責任だと突っぱねるのはどうかと思う。

自己責任だという非難は、つまりはバチが当たったと言っているようなものだ。
国の言うことに従わなかったからバチが当たって人質になったんだとか、ホームレスだと、怠けていたからバチが当たってつらい思いをするんだとか。
毎日新聞「この10年は自己責任ばかりが強調され、社会的弱者にしわ寄せされた。リスクと責任を担うべき行政や企業が役割を果たさなくなってきている」とあったが、母子家庭の子どもにバチが当たったと決めつけるような自己責任論がいまだに蔓延しているのは困った状況です。

コメント (6)
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