死んだらどうなるかというと、生まれ変わるか死後の世界(天国か浄土)に生まれるか。
まずは生まれ変わり(輪廻)から。
『尼僧の告白』(『テーリーガーター』)には、過去世を知っていると言う尼僧が何人か出てくる。
イシダーシー尼は過去七生を語っている。
金工(かざりや)だったが他人の妻と親しくなった。
死後、地獄で煮られ、その次に猿、山羊、牛として生まれ、いずれも去勢されたのだが、それは他人の妻を犯した報いだった。
そして婢女(はしため)の家に生まれ、それから車夫の娘、そうしてイシダーシーとして生まれた、と語る。
ほんまかいなという告白だが、これは六神通の宿明通、過去世を知るということですね。
仏教の考えでは輪廻することが苦、つまり生存することは苦しみなんだということがわかる。
これをどう考えるかだが、輪廻というたとえによって、生や自分の身体を厭う気持ちを表しているのだろうと思う。
もしもイシダーシー尼が実際に浮気をした報いとして猿や山羊として生まれ変わったとするなら、オウム真理教のポアの論理を否定できない。
オウム真理教の信者である新実智光は一審でポアについてこう説明している。
「オウム真理教によって殺された人々、つまり被害の原因は彼らのカルマのためであり、いずれは死ぬ目にあったというのである。そして輪廻転生のなかで今生以上の何百倍、何千倍の苦しみを受けねばならない。だから、そこを麻原をはじめ新実たちによって殺されることで、被害者の魂を(自分らに)縁ができて来世で解脱、悟りへ導ければすばらしいと思う」(藤田庄市『宗教事件の裏側』)
オウム真理教でのポアの正当性は次のように理屈づけられると思う。
1,悪いことをすれば地獄に堕ちて苦しまなければならないが、悪いことをする前に死ねば悪業を作らずにすむ。
2,来世を見通す力(天眼通)を持つ者はある人が悪業を作って地獄に堕ちるかどうかがわかる。
3,悪業を作って地獄に堕ちることがわかっているのなら、悪業を作る前に殺せば地獄に堕ちることはない。
4,しかも、自分の作った功徳の利益を自分が受けずに被害者に振り向けることによって、被害者が本来生まれるはずの世界よりも高い世界に生まれさせることができる。
5,しかし、殺した人は死んだ人の代わりに悪業を作ることになる。
悪業を作れば悪道に堕ちるということ、輪廻することは苦だということはその通り。
天眼通によって過去現在未来を見通すことができるならば、どういう業を作るか、来世でどこに生まれるかもわかるはず。
そして、悪道に堕ちることを前もって防ぎ、その代わりに悪業を引き受けるポアは「大いなる菩薩の所業と言える」と言う新実智光の主張にも一理はある。
この理屈をいかに否定するか仏教徒に問われていると思う。
で、大阪教区教化センターのリーフレットに『歎異抄』の「一切有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり」という言葉から、輪廻についてこういうことを書いている人がいた。
この人は孫が生まれて次のように思ったという。
「どのような過去の縁を背負って生まれて来たかは興味のあるところです。(略)地球上の生物が出現して三〇数億年ともいいます。その途方もない過去「世」に、自分は何回となく生まれ変わり死に変わりし、その間、さまざまな生き物の「生」を受けてきた、と考えるのは荒唐無稽と思えません」
この方は輪廻ということをなんだか楽しいことのように考えているように感じる。
これではポアの論理を否定できないのではないかと思う。
どちらにしても、輪廻が実体としてあるならば、死んだ人は六道のどこかで苦しんでいることになる。
尼僧たちは悟りを得たからといって、死んだ子どもがどうなっているか気にならないのだろうか。