三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

宗教がからむ死亡事件 1

2010年03月16日 | 問題のある考え

藤田庄市『宗教事件の内側』を読んで、真理の友教会、オウム真理教、須賀川祈祷師殺人事件、エホバの証人、治療を拒否した事件といった、宗教が関係する死亡事件について考えてみました。
といっても、いつもと同じワンパターンのことしか思いつきませんが。
藤田庄市氏によると、「宗教界の実情は、「あれ(カルト)は宗教ではない」とする思考停止が大勢という」
ことです。
だけど、違いを探して、あれはカルトだから私とは関係ないとするのではなく、共通点を見つけ、ひょっとしたら自分だって、と考えたい。
これはカルト問題に限らず、犯罪でもそうである。
他人事にしたら安心だが、それでは臭いものに蓋をするだけで、何も解明できない。

で、まず事件の説明を。
真理の友教会殉死事件
1986年、和歌山県にある真理の友教会の教祖が死んだ翌日に女性信者「神の花嫁」7人が焼身自殺した。

エホバの証人
1985年、神奈川県で小学5年の男児が交通事故に遭い、輸血を伴う手術をエホバの証人の信者である両親が拒否して男児が死亡した。

③治療拒否による死亡事件
教祖や霊能者がインスリン注射や人工透析といった治療を受けさせずに死なせてしまったり、手かざしで治そうとして死んだ事件。
1997年、加江田塾で重い腎臓病の男児(当時6歳)を父親から預かったが、祈祷のような行為をするだけで98年に死亡させた。1999年、女性塾生が未熟児で出産した男児に医療的措置を取らず、10日後に全身衰弱で死亡させた。さらに、2遺体ともミイラ化するまで塾内の別室で放置していた。
2005年、岐阜県にある真光元神社の関連施設次世紀ファーム研究所に滞在していた中学1年の女子が、糖尿病にもかかわらず治療のためのインスリン注射をせずに死亡。
生徒の母親が「研究所に行けば病気は治る」と勧められ、インスリンを持たないまま滞在、3日後に死亡したとされる。

2009年、福岡市で低体重でアトピー性皮膚炎の乳児(7ヵ月)に新健康協会の信者である両親が手かざしによる浄霊をし、病院での治療を受けさせずに死なせたetc。
この手の事件はやたらとあります。

須賀川祈祷師殺人事件
1995年、福島県須賀川市で女性祈祷師宅で、祈祷師の江藤幸子と信者たちによって6人が太鼓のバチで叩かれて死んだ。
江藤幸子は死刑が確定している。

これらの事件に共通する特徴の一つは、肉体よりも霊魂、この世での生よりも来世(天国)の命を重んじていることである。
手かざしによる病気治しにしても、魂を浄めることで病気を治そうとする。
したがって肉体や現世の生命は軽く考えられているし、死は大きな意味を持たない。(加江田塾や真光元神社は違うかもしれない)

現世よりも来世を重視し、死に意味がないという教義では、真理の友教会が典型的である。
真理の友教会について芹沢俊介氏は『「オウム現象」の解読』で、
「七人もの集団焼身自殺というショッキングな出来事のわりに、実に静謐な感動を私たちにもたらした」と好意的に書いている。(芹沢俊介氏以外に「静謐な感動」を受けた人がいるなんて信じられない)
真理の友教会では「現世は仮の住まいで、教祖をはじめ「真理の友教会」の会員たちは本来の世界である天国から神の命によってこの地上に遣わされてきた」と考えている。
教祖の死にしても、
「教祖は天国から遣わされて地上に来たけれども、地上の仕事が終わって死んで天国に戻ったということになります」
「そうすると必然的に神の花嫁たちもこの地上での役割が終わったことになって、教祖が亡くなって三、四日のうちに焼身自殺をします」
「「神の花嫁」たちの行動や「真理の友教会」の理念では、死はちっとも大きな意味をもたないのです」

このように芹沢俊介氏は説明している。
死亡した神の花嫁の一人は遺書に「只今、醜くい肉体(罪衣)を脱いで、天人の衣を頂いて、主にお供して、天上へ天上へと向かいます」
(藤田庄市『宗教事件の内側』)と書いている。
死んだ女性の兄は「神すなわち教祖さまとの約束を守ったんです。強い信念を持って、信仰に命をかけた果てなんです。みんな本望だったのでしょう」と語り、別の信者は「先生が亡くなったので、後を追ったのでしょう。救いは来世にあるのですから」と語っている。
こういう教義の宗教は珍しくないが、教祖が死んだというので信者が後追い自殺をする教団はあまりない。

真理の友教会の世界観はグノーシス的、ニューエイジ的だと芹沢俊介氏は言う。
グノーシス的世界観では、本当の世界、真実の私はこの世とは別にあるのだから、現世の生を軽んじることになる。
まあ、たしかに現世よりも天国での生命を大切にし、死に大した意味を持たないという宗教は多い。
エホバの証人もその点では同じである。
輸血拒否によって子どもが死んだ事件については芹沢俊介氏はこう書いている。
「(子どもへの輸血を拒否するエホバの証人への)説得に当たった警官が思わず口に出してしまったという「子供がこのまま死んだら、殺人罪で逮捕するぞ」という言葉は、生を一回きりのかけがえのないものとする認識がいわせたものである。
これに対し、少年の両親、ものみの塔の信者が代表するのは、死は生の終焉ではなく、永遠の生として復活するための条件である、という死生観である」

この世での限られた生と永遠の生命とのどちらを選ぶかという問題だから、エホバの証人が輸血を拒否したことを間違っているとは単純に言えない。

もっとも、エホバの証人のHPを見ると、輸血は本当に安全なのか、輸血によってエイズや肝炎に感染する可能性があるじゃないかと指摘している。
となると、エホバの証人も天国に生まれるかどうかだけを心配しているわけではないらしい。
だったら、輸血しないと死ぬ場合は輸血を認めたっていいわけで、世間に妥協しているのかとちょっとがっかり。

コメント
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