三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

文殊菩薩を見た人たち

2009年11月19日 | 仏教

仏教が中国や日本に渡来した当時は、中国人や日本人にとってエキゾチックな未知の魅力にあふれたものだったことだと思う。
仏像に刻まれた仏菩薩の相好は異国風であり、珍しい衣裳や装飾を身につけている。
仏弟子の名や鳥や花の名はサンスクリットの音を漢字にそのまま音写したものだから、特別な響きを持つ。
醍醐や甘露を飲むことはできないだけに、どんなものかと一層惹きつけられる。
優鉢羅華が虫の卵であり、迦陵頻伽が雀に似た鳥とは知らないから、ライオンが似ても似つかない獅子像として形象化されるように、想像力の翼を広げさせる。

加藤常賢『漢字の発掘』に、「黄帝とか西王母とかいう伝説上の神が本来は中国本土で生まれた伝説上の神であるにもかかわらず、すでに戦国時代になると、遠く西方の崑崙山に移住してしまっている。(略)この時代はすでに西方の諸国と交通があって、当時の知識人にとって、何事か憧れの的となって、その地方が神秘的に考えられた結果ではないかと思う」とある。
高度な文化がもたらされる西方は魅力あふれる方角だったのだろう。
しかも太陽が沈む西は死を意味するから、死者の世界は西になければならない。
だから、浄土が西方にあることは浄土のエキゾチックな描写と相まって、無理なく受け入れられたのではないかと思う。

これとは逆に、『聊斎志異』「西僧」はこんな話である。
西国の和尚が西域から来て、一人は五台山に行き、一人は泰山に住んでいた。
この和尚は「西の国に伝えられている中国の名山は四つで、一つは泰山、一つは華山、一つは五台、一つは落伽だが、伝えられるところによると、山の上は、どこでもみな黄金だし、観音や文殊が、まだ生きておいでになって、そこに行くことができれば、生きながら仏になり、長生不死だというんだ」と語った。
西域から楽園を求めて中国へ向かった者も大勢いるわけである。
蒲松齢は「もし西に行く人があって、東に来る人と中途で出会い、おのおの自分の国のありさまを話したら、必ず顔を見あわせて失笑(ふきだす)(ふきだす)だろうし、両方とも、歩かなくても、いいことになるだろう」と冷やかしている。

しかし、インドから中国にやってきた仏陀波利は五台山で修行に励むことで文殊菩薩を見たという。
何かを求めて未知の世界へ旅立ったからこそであって、インド航路を求めたコロンブスが新大陸を発見したとか、まあ、そういったことと通じると思うわけです。

コメント
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