ある本を読んでいたら「アンパンマンのマーチ」の
「なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!」
が引用されていた。
これはまさに「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」である。
子どもが小さいころは耳にたこができるくらい聞いていたが、こういう歌詞だとは気づかなかった。
47歳の中村うさぎ氏はデリヘル嬢を三日間する。
いい歳したオバサンがいったい何を考えているのかと思うが、『私という病』を読むと、なぜデリヘル嬢をする気になったのか、その気持ちがよくわかる。
中村うさぎ氏は他人から求められることによって、「生まれた意義と生きる意味を見出そう」としたのだろうと思う。
ホストに金目当てのセックスをしていただいた中村うさぎ氏は、「私はもう女としての価値はないの?」と思って、女としての自信を取り戻したい、そのためには男に求められる必要がある、と考える。
「早い話が、私は男にムラムラされたいのである」
しかし、男に求められればそれで自己確認欲求が満たされるかというと、そうはいかないことを中村うさぎ氏は自覚している。
他人から認められることによって自己確認しようとするのだが、一度認めてくれたらそれで満足というわけにはいかない。
常に他人が認めてくれないと安心できないのである。
でも、そんなことは無理な注文だし、それにほめられることに慣れれば、本当だろうかと不安になる。
じゃあ、どうなったらいいのか。
「自分の欲しいものがわからない、という感覚は、私にとってお馴染みのものである」
問題は、何がどうなれば満足するのか、それがわからない、ということである。
「私たちは、自分を肯定したいのである。社会的にも性的にも人間的にも、「私はこれでOK。ちゃんと、周囲の皆に認めてもらってるわ」と安心したいのである。仕事場の上司や同僚や後輩たち、取引先の人々、友人、恋人、家族から、自分の「存在意義」をそれぞれ肯定されて、初めて私たちは自分が一人前の人間であることを確認する」
と中村うさぎ氏は言う。
自己確認のために中村うさぎ氏は買い物、プチ整形、ホストなど依存のはしごをするわけである。
ロン・ハワード『フロスト×ニクソン』という映画は、ウォーターゲート事件で辞任したニクソン前大統領にテレビ・インタビューする話。
ニクソンは中産階級の出身である。
いくら成功しても名門の奴らは認めてくれない、だから賞賛されるためには常に勝ち続けなければならない、というようなことをニクソンが言う。
このニクソンの独白は中村うさぎ氏の言ってることと同じ。
人からなぜか好かれないニクソンが必死で自己確認していると思うと、なんだかかわいそうになってくる映画でした。
リストカットも認めてほしいから、注目してほしいから何度もするんだそうだ。
ある人は「リストカットするのは誰かにかまってほしいからなんですよ。かまってほしい、見てほしい、ということですね。包帯やリストカットした傷跡を人に見せてね、「どうしたの」と聞かれたら、「実は昨日ね」という感じです」と言っている。
で、何かあるたびにリストカットする。
リストカットが他者の注目を集める自己確認という行為だとしたら、自己確認のために自殺する場合があるかもしれない。
自殺すれば、死ぬほど苦しんでいる自分の苦しみを他人はわかってくれるだろうというような。
『私という病』を読むと、風俗へ行く男たちもこれまた自己確認ということになる。
風俗嬢は私を拒まず、私や私の欲求をそのままを受け入れてくれる。
そして、風俗嬢を蔑視することで自我を保つことができる。
デリヘル嬢になった中村うさぎ氏も客も、そして私も、他の何かによって自分の価値を確かめ、そうして自尊心を回復しようとする。
宮城先生が外道とは自分の外にあるものを支えとする道だと言われているが、こうした自己確認のやり方ではいつまでたっても飢餓感が満たされることはない。
それはわかっていても、外のものによって満たそうとする。
それが依存になるらしい。