三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「死刑反対論者は被害者のことを考えていない」

2009年05月04日 | 死刑

ある場所で、B氏が「死刑反対論者は被害者のことを少しも考えていない」という内容の歌を歌って拍手喝采を浴びた。
そこで私としてはあれこれと反論を考えたわけです。

いつも思うのだが、「死刑反対論者は被害者のことを考えていない」と言うのなら、だったら死刑に賛成のあなたは被害者のことを考えているんですか、考えているとしたら被害者のために何かしているのですか、と聞きたい。
そして、「死刑反対論者は被害者のことを少しも考えていない」としたら、死刑に反対している被害者遺族も被害者のことを考えていないことになるし、シスター・プレジャンのように被害者支援をし、被害者から信頼されている死刑反対論者も被害者のことを考えずに被害者支援をしているということになってしまう。
そもそも殺人事件の4割は加害者が家族、つまり被害者遺族が同時に加害者家族でもある。
この人たちの多くはおそらく死刑を求めていないだろうと思う。

次の邪推混じりの反論。
「加害者は死刑にしろ」と叫ぶことは被害者のことを考えることにはならないと思う。
国が被害者を利用して厳罰化を進めているからだ。

治安は良好なのに、体感治安が悪化しているのはマスコミの責任が大きい。
日本は殺人事件が少ないから、事件が起きるたびにマスコミは大々的に取り上げるし、何日も事細かに報道する時間がある。
だから治安が悪化してる、凶悪犯罪が増えていると思い込んでしまう。
ところがアメリカでは殺人事件は珍しくないから、すべての事件を取り上げることはできないし、次々と事件が起こるのでみんな忘れ去ってしまうそうだ。
それなのに、日本はなぜか厳罰化が進み、刑の長期化、死刑判決が増えている。
死刑大国のアメリカですら死刑執行、死刑判決はともに減っている。
アメリカの死刑執行数のピークは1999年で、98人を執行している。
2000年から減り、2000年は85人、2006年は53人、2007年は42人、2008年は37人。
アメリカの死刑囚の数も2008年1月に3,309人だが、以前よりは数百人単位で減っているし、死刑判決も1993年に287だったのが、2007年には110と減少している。
日本での死刑執行は2005年は1人、2006年は4人、2007年は9人、2008年は15人と年々増えており、ひょっとしたらアメリカを追い抜くかもしれない。

なぜ日本では厳罰化が進んでいるかというと、それは国(そしてマスコミも)がいわゆる「被害者感情」を強調することによって、厳罰化を求める世論を作っているということがある。
国の狙いは国民の管理統制強化ではないかと邪推している。
いわゆる「被害者感情」とは怒りや恨み、憎しみ、そして復讐心である。
しかし、被害者のすべてがそういう感情を持っているわけではない。
警察が流す情報をメディアはそのまま報道し、それによって世論が作られていく。

坂上香「死刑と終身刑を考える」で紹介されている『JUVES』というカリフォルニア州の少年刑務所を舞台にしたドキュメンタリーの中で、町の人が少年終身刑受刑者についてこう語っているそうだ。
「子どもたちが罪を犯したのだから仕方ないでしょう。終身刑で当たり前でしょう」
「14歳だろうと15歳だろうと、ちゃんと判断できる年齢なのだから当然でしょう」

坂上香氏はこう言う。
「ほとんどがテレビなどのマス・メディアから情報を得て、厳罰化を支持しています。元警察官も「マス・メディアが私の意見に影響を与えていると思います」と認めています。彼はメディアの影響について話しています。「テレビなどでは少年犯罪が凶悪なイメージで報道されています。長い人だと終身刑を言い渡されます。でも、メディアの報道とは反対に、実際には犯罪は減っています。メディアがいかに少年たちを悪魔のように描いているか。それによって世論や政策が厳罰化に向かっているか」ということを言っています」

作られた「被害者感情」に我々が安易に同調することによって、加害者(中には無実の人もいる)を攻撃し、厳罰を求めることになる。
死刑について話している時に、「治安を守るためには厳しくしないと」とある人が言うので、「日本は治安がいいし、犯罪は少ない」とあれこれ説明したら、「いくら犯罪が少ないといっても被害者はつらい思いをしている。だから」と言われた。
そりゃそうだけれど。
別の人は「被害者に代わって国が復讐するのが死刑だ」なんてことを言っていた。
その場にいた人たちは保守派ではなく、どっちかというとアウトロー的、反体制的な人ばかりなのに、国が国民を監視し、今よりももっと管理、統制することを望み、その力を国に与えるようなことを言ってるわけで、これはどういうことなのだろうかと不思議になった。
ネットでは「あんな奴は裁判なんかせずに、さっさと死刑にしろ」という意見にしても同じ。
実際、小林多喜二は特高に殺されてしまったわけで、そういう時代になることを望んでいるのだろうか。

これからは屁理屈。
ヒトラーは、ドイツ人が苦しい生活を送っているのはベルサイユ条約(ドイツとその同盟国はドイツのGNP20年分の賠償金を課せられた)のせいだ、ドイツは被害者だと被害者意識を強調し、復讐心を煽った。
ドイツ国民は「被害者感情」、そして正義は我にありと思い、そうしてナチスは政権を取った。
今の厳罰化賛成の雰囲気は国民皆被害者という感じがする。
B氏の歌にしろ、「被害者感情」に乗っかって「許せない」「殺してやる」と攻撃しているわけで、それを笑いながら聞いている観客がいて、これは草の根ファシズムだなと思ったわけです。

コメント (4)
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