三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ハワード・ゼア編著『犯罪被害の体験をこえて』

2009年01月28日 | 厳罰化

修復的司法の提唱者として知られるハワード・ゼアが39人の犯罪被害者にインタビューをした『犯罪被害の体験をこえて』は一人でも多くの人に読んでもらいたい本だ、と言いたいところだが、訳が中学生の英文和訳のごとき直訳で、とにかく読みにくい(原文自体がわかりにくいのかもしれないが)。
訳者はあとがきで野谷文昭氏の「良い翻訳では、日本語が原因で引っかかるということはない。逆に日本語で引っかかるところというのは、それが誤訳であるかあるいは、消化されていない」という言葉を紹介している。
ほんと読んでいて引っかかってばかりでした。
たとえば、「あなた」という言葉がよく使われているのだが、これはインタビュアーのハワード・ゼアを指しているのか、不特定多数の人という意味なのかわからない。
58人の終身受刑者が語るという『終身刑を生きる』も読んでみたいのだが、同じ訳者なのでためらってしまう。
それはともかく、本の中身は大変重いが、それだけに教えられることは多い。

第1部は犯罪被害者の写真と語り。
「悲惨な出来事とその心的外傷について語るが、そこで終わらない。彼ら、彼女たちは更に続けて、これらの経験を乗越えて、新たな人生を築き上げるために辿った心の旅路について語り、それぞれの想い、考えを述べる」

いろんな感想があるのだが、「赦し」という言葉について書いてみる。
「赦した」と言っている被害者が何人もいるし、「赦さなければ」と悩んでいる人もいる。
「赦した」とはどういう意味で使っているのか、どうして赦すことができるのか、そのあたりがどうもわからない。
それは神への信仰の中で「赦し」ということが語られるからだと思う。

息子を殺されたドナルド・ヴォーガンさん。
「もし私たちが、私たちの子どもたちに、高潔さの信奉者になり、神を信じ、正しいことをすることを信じて欲しいと願うならば、私たちは、憎しみを断念しなければなりません。私は赦せます、と言えるようにならなければなりません」

母親を殺されたチャールズ・E・ニップさん
「私は献身的なカトリック教徒ですが、神は私に、私は赦さなければならない、と言います。私は、赦すと、頭では決めているのですが、気持ちがついて来ているようには思えません」

赦すことによって怒りや憎悪から離れることができる人がいる。
息子を殺されたコンラット・モアさん。
「神はわたしたちに赦せと命じます。しかし私たちが赦すことについて語り始めると、それは、私たちがその輩を自由の身にしてあげたいからというよりも、主として私たち自身のためでした。私たちは消耗したくありませんでした。そして敵意はとても消耗させます。そこで私たちはこの憎しみと敵意を超えた心の旅路に出ているのです」

赦しは癒しにつながると言う人もいる。
息子が殺されたルイーズ・ウイリアムズさん。
「私が、私は彼ら(加害者)を赦しました、とこだわりなく言えるときに、そのとき私は癒されます。私は、「癒し」という言葉を使うべきかどうかはわかりませんが、彼らがしたことに対して彼らを赦したと私が本当に言えるときには、多分それが、その点からして相応しい言葉なのでしょう」

もちろん「赦せない」と言う人もいる。
妹を殺されたエミー・モクリッキーさん。
「私には、こんなことをした男が赦せません。赦す、赦さないは神の仕事です。私がすることではありません」

「赦し」とはどういうことかわからないと言う人がいる。
レイプされ殺されかけたスーザン・ラッセルさん。
「ときたま私はただ、私が線の上を、それも赦すことと憎悪の間の、じつに微妙な線の上を歩いているように感じます。私には赦すことがどんなものとして想定されているのかまったくわかりません」

いずれにしても、「赦し」ということは神とは無関係ではないらしいのでどうも理解しにくい。
機会があれば神父さんに聞いてみたいと思う。

娘が殺され、犯人が見つかっていないウィルマ・ダークセンさんも「赦しました」と言っている。
娘が殺されるという経験は暗黒の奈落の底に落ちていくようなものだった。
あらゆるものにつかまって踏みとどまろうとしたが、それらの一つが赦しである。
赦しには二段階あるとダークセンさんは言う。
「私の赦しについての考え方は、怒り、苦痛、自己専念、といった事柄から自由になることでした」
生き残り戦略としての赦しである。
2番目の段階は、「赦しという言葉が、被害者と加害者との関係にどのようにあてはまるのかを理解すること」
ダークセンさんは刑務所に行って終身刑者と話をすることを通じて「心の旅路」をたどったという。
「今私は、私には殺人ができるということがわかります。今や私には、その、殺人の願望がどこから来るのかが理解できます。私が私自身の中に見出したものは、人間とはどのようなものなのか、ということについての私の考えを根本的に変えました」

娘を殺されたポーラ・カーランドさんは加害者が死刑になる2週間前に会い、そうして執行に立ち会っている。
1986年に娘が殺され、裁判が終わった瞬間から加害者と会おうと思ったが手がかりがなかった。
1998年に、被害者/加害者調停プログラムに参加しないかと誘われる。そうして加害者と面会するのである。
「わが子を埋葬することに次いで二番目に辛いことでした。それは5時間半続きましたが、人生を変えるような出来事でした。私はすべてを吐き出しました。私は、私が言わなくてはならないと感じたことはすべて言うことができました」
それから、カーランドさんは被害者/加害者プロジェクトに関わるようになる。
刑務所に行き、「私は直ぐに加害者の二人と親密な絆を結びました。彼らは今はどちらも出所しています。そして私は、引き続いて彼らと親しくしています」
「私は去年、刑務所でのこのようなプロジェクトの3つに参加しました。それぞれ開始から終了まで12~14週続きました。そして私は、そこでの加害者のほとんどの人たちと連絡を取っています。それってすごいことではないですか? どうしても言いたいのですが、これらの人たちの間で起きていることは奇跡です。私が現に起きているのを目の当たりにしているのは、これらの加害者に変化をもたらしているということです。それは私にとっては癒しです」

息子を殺されたトーマス・アン・ハインズさんや、レイプされたベニイ・バーンツセンさんたちも刑務所で話をし、受刑者と交流し、そして信仰が深まったと語っている。

第2部でハワード・ゼアが書いていることを私なりにまとめるとこういうことだと思う。
犯罪被害者は世界の秩序が破壊されてしまう。
世界の再生のためには新しい物語が作られる必要がある。
それは回復につながる物語でなければならない。
犯罪被害者は時として自分のせいでこうなったんだと自分を責めることがあるが、これは悪い物語である。
被害者は苦痛を忘れるのではなく、苦痛を表現することが大切。
そのためには、自分の体験を繰り返し何度も語ることで新しい物語が作られていく。
そうして、尊厳を取り戻す。

また、被害者は何が起きたのか、なぜこういうことになったのかを知りたく思っている。
事実を知り、そして正義が行われることを求める。
そのためにも被害者の裁判への参加が必要となる。
「最もよく知られた修復的司法プログラムは、被害者に、彼ら自身の事件の加害者と、あるいは他の類似の犯罪の加害者との、慎重に円滑に進められた出会いを提供している」
あくまでも被害者中心である。
だからといって裁判に被害者が参加して、質問や求刑をするという被害者参加制度に私は賛成できない。
裁判が被害者と加害者の対立、時には敵対の場になるからである。
被害者の心の傷を回復するには裁判とは違った場のほうがいいように思う。

コメント
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