三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

トルーマン・カポーティ『冷血』と死刑(2)

2007年10月28日 | 死刑

トルーマン・カポーティ『冷血』の中で、クラター一家殺し犯人の母ヒコック夫人が婦人記者にこう打ち明ける。

あたしが思っていることをお話しできる人がおりませんのよ。といっても、みなさんが、近所の方やいろんな方が、親切でなかったというのじゃございません。
それに、見ず知らずの人たちもですよ―そういう人たちはお手紙をくださって、あたしがどんなにかつらい思いをしていることだろう、お気のどくにたえません、などといってくださいますの。うちの人にも、あたしにも、ひどいことをいってくる者は誰一人おりませんでした。きっとそんな目にあうだろうと思っていたのに。
こちら(裁判を行っている市)にまいっても、それがなかったんですのよ。こちらでは、みなさんがわざわざあたしどものところに来て、何かとやさしくしてくださいます。
あたしどもが食事をとっている店のウェートレスまでが、パイの上にアイス・クリームをのせてくれて、そのお金を取りませんのよ。やめてちょうだい、食べられませんから、とあたしがいいましてもですね、それでもあの人はそれをのせてくれるんです。あたしにやさしくしてやろうと思ってですね。
その人はシーラという名前なんですが、彼女は、ああいうことになったのは、何もあたしたちの罪ではないといってくれるんですよ。


これには驚いた。
日本だったら非難囂々、いやがらせの手紙や脅迫電話が殺到するに違いない。

『年報・死刑廃止2007あなたも死刑判決を書かされる』に、森達也がこんな話をしている。

98年ぐらいですか、少年法が改正されるときにこれを整合化する要素としてよく引き合いにされたのが、ちょうどあの頃、アメリカの高校で乱射事件とかあって、あの少年たちの顔写真がアメリカのメディアではかなり流通したんですね。もちろんアメリににも少年法があるのですが、これほどに凶悪な犯罪であれば、顔写真やプロフィールを公開して当たり前だという世論が形成されたようです。だから少年法改定を主張する人たちの多くは、アメリカでもやっているじゃないか、見直すべきだって声だったんです。
そのころに、この乱射事件の加害少年の母親のインタビューを日本のテレビニュースで見ました。顔写真などが公開された後に、全米中から彼女のもとに手紙が来たそうです。そしてその内容が、……彼女は100%と言いましたけど、全部励ましなんだそうです。「がんばれ」とか「今、あなたは一番辛い時期だけど、いずれ息子は更生する」とか、そういった内容なんですよ。

加害者の家族にアメリカ社会は非常に寛容的なのだろうか。

その一方で、被害者遺族が厳罰を求めることを社会が期待している。
息子を殺されたルブラン氏は、

社会の大半の人は「ゆるす」というのは弱さの表れだと考えるようだ。「息子を殺した人をゆるすなんて、親として愛情が足りないんじゃないか」と言う人もいる。でも、そんなことは全然ない。自分の息子を殺したその行為、その罪をゆるすということではない。息子を失ったことを自分たちは悲しみ、苦しんできた。

と語り、娘を殺されたマリエタさんも、

本当に娘さんのことを愛していたのなら、犯人の死刑を望むことこそ、その愛情の証ではないか。

と言われたと、シスター・プレジャンは書いている。

期待される被害者像というのがあり、それは厳罰を求める被害者だというわけだ。
極刑を望む被害者遺族はマスコミに取り上げられるが、そうではない被害者の声はあまり伝えられないのは、そのあたりに原因があると思う。

シスター・プレジャンが、

被害者に対して警察が「殺されたご家族の命が無駄にならないように、犯人の死刑を絶対に勝ち取ります」と言われたら「ぜひそうしてください」と答えるだろうし、遺族がテレビカメラの前で「犯人を死刑にしてほしい」と訴えることもある。それこそが亡くなった人を大切にする気持の証だと。社会の期待でもある。
そういう時の遺族は、心が傷ついていて、混乱していて、大変な苦しみの中にいて、憎しみを抑えられない心理状態にある。社会が「死刑にしてほしいですか」と聞けば「はい」と答えるに決まっている。

と話しているように、厳罰を求める被害者は社会が作りあげた被害者像であり、被害者一人ひとりの気持ちは違っているはずだ。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。
浜井浩一、芹沢一也『犯罪不安社会』によると、「故意のない犯罪は罰しない」という中国のことわざが、江戸時代に「犯した罪は憎んで罰しても、罪を犯した人まで憎んではならない」と日本風にアレンジされたそうだ。

ルブラン氏が「息子を殺した人をゆるす」と言い、「自分の息子を殺したその行為、その罪をゆるすということではない」と言っているのは、まさに「罪を憎んで人を憎まず」である。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を生み出した日本人にはルブラン氏の気持ちは理解できるはずだ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする