三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「今、いのちがあなたを生きている」1 日本語としておかしい

2005年05月24日 | 問題のある考え

親鸞聖人七百五十回忌ご遠忌のテーマが「今、いのちがあなたを生きている」に決まったそうだ。
最初に思ったのは、こりゃなんだ、ということ。
まず、日本語になってない。
小学生が「いのちがあなたを生きている」という文章を書いたら、国語の試験で×をもらうに違いない。

東本願寺のHPに「御遠忌テーマの願い」という文章があり、これまたわけのわからない言葉の羅列で、私はアホなのかと悩んでしまう。

ひょっとすると、こういう意味不明のテーマにすることで、あれこれと考えてもらいたいという願いをこめた、ということなのかもしれない。(そんなこたないか)

もう一点は、「いのち」という言葉のうさん臭さである。
このことについては次回のお楽しみ。

「今、いのちがあなたを生きている」が日本語としてどのようにおかしいか、ヒマ人の私は考えました。

まず、国語辞書で「を」を調べてみました。

 《格助詞》
①{他動性の動詞を伴い}
 ア、動作・作用が直接に及ぶ対象を示す。
 イ、動作・作用によって作り出される対象を示す。
②{移動・経過を表す動詞を伴い}
 ア、動作・作用が成立する場所・経路を示す。
 イ、経過する時間を示す。
③{分離を表す動詞を伴い}分離の対象を示す。…から。
④{好悪・願望などの心情を表す述部を伴い}それらの心情の向けられる対象を示す。

「を」には接続助詞と間投助詞の意味もあるのだが、これは関係ないので省略。


①の意味の「を」は、「私は本を読む」「あなたは肉を食べている」といったもので、「を」の後には他動詞が来る。

ところが、「生きる」は自動詞なんですよ。
「歩く」とか「泣く」などが自動詞である。
「あなたを思って泣く」と言っても「あなたを泣く」とは言わないように、「あなたを生きる」の「を」は①の意味では使わない。
「いのちがあなたを殺す」だったら、文法上正しい。

「生かす」は他動詞だから、「~を生かす」は少しも問題がない。

だから、「今、いのちがあなたを生かしている」なら、日本語として自然である。

次に②だが、その例として、場所だと「山を越える」「列車が駅を通り過ぎる」、時間だと「昼休みをすごす」「長い年月を経る」など。

だから、
「あなたは今を生きている」
「いのちが今を生きている」
なら可。
「いのちがあなたを生きている」の「を」が②の意味だとしたら、「あなた」は場所や時間の意味を持つことになる。
つまり、「いのちがあなたという場を生きている」という意味になる。

「命」を国語辞典で調べると、「生物を生かしていく根源的な力。生命。」とある。

「いのちがあなたを生かしている」ということです。

今度は「生きる」を国語辞典で調べてみました。

「(「命を生きる」など、命を表す語を目的語として)一生を送る。やや文学的表現」
だから「あなたはいのちを生きている」という言い方は、やや文学的な表現なわけです。

もう一つ、「文学的な表現として「~に生きる」「~を生きる」の形で、生活の場所・場面・時間を示すこともある」と説明されている。

たとえば、「彼は山に生き、山を生きた」という文章だと、彼が生きた時間、生きた場所、彼の生き方、そういったものの象徴が山だということを表す。
だから、「私は阿弥陀のいのちを生きている」という文章なら、私が生きている内容は阿弥陀のいのちで示される、ということになる。

「あなたはあなたを生きればいいんだ」と言うことがある。

この場合の「あなたを生きればいい」とは、「~を生きる」という言い方で、生活の場所・場面・時間を示そうということだから、生そのものを表そうとしている。
だから、「あなたはあなたを生きればいいんだ」とは、
「あなたのままで生きればいい」
「あなたとして生きればいい」
「あなたという場で生きればいい」
といったことを意味する。

同じように考えると、「今、いのちが私を生きている」は、

「いのちが私として生きている」
「いのちが私なんだ」
「いのちが私となって生きている」
「いのちが今、ここで生きている」
「いのちが私という場で生きている」
というような意味を含んでいると理解できる。

というわけで、「今、いのちがあなたを生きている」というテーマは善意に解釈すると、「あなたのいのちはあなたのものではない」、「(阿弥陀の)いのちに生かされて、あなたは今、ここを生きている」、そして「あなた一人の力で生きているのではない」と言いたいのだと思う。
しかし、テーマとしてはあまりにもありふれている。
このテーマ、日本語として不自然だから、どういうふうにでも解釈できるという利点があるというのがねらいなのかもしれない。(もちろん、これは皮肉です)

コメント (13)
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