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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

カースト制度と不可触民(4)

2019年05月11日 | 

 6 釈尊在世のころのインド社会
紀元前600年頃、ガンジス川流域に都市や商業が興り、貨幣が使用されるようになった。
農業生産が拡大し、生産物が都市に流入し、商人階級が成立した。
都市と農村間の流通を担った商人は貨幣を蓄積し、経済的実力をつけた。

釈尊の時代に都市を構成する人々の民族系統について、アーリア系と見る説とチベット・ビルマ系など非アーリア系と見る説とがある。
マガダ国は先住民の国だったという説もあり、バラモン教の習慣や権威の影響力が小さかった。

ガンジス川の中・下流域(マガダ地方が中心)でも4ヴァルナの区分は受け入れられていた。
しかし、ガンジス川上流域の正統派バラモンは、東方のガンジス川中・下流域をヴァルナ制度が乱れた不浄の地とみていた。
正統派バラモンの目から見れば、東方の地の住民はシュードラに近い存在で、ナンダ朝やマウリヤ朝はシュードラ出身が王朝を創始したとされた。

僧伽を支えた人は、王族や都市の富裕な人が多かったが、グプタ朝の衰退とともに都市が衰え、それにともない都市社会に基盤を置く仏教やジャイナ教が勢力を弱めていく。

 7 仏教とカースト制
山崎元一『古代インド社会の研究』に、仏典はバラモン側の主張に厳しい批判を加えたとあり、それぞれの主張が書かれています。

バラモンの主張
①4ヴァルナの区別は神が定めた絶対的なものである。
②バラモンこそアーリアの純粋な血を持つ最清浄・最上の存在である。
③4ヴァルナには、バラモンを最上位とし、シュードラを最下位とする上下の身分関係が存在する。
④各ヴァルナに定められた義務に違反することは宗教的罪悪である。

仏典の批判
①各ヴァルナに定められた義務は現実にはあまり守られていない。
②現実には富の有無によって上下関係が決まる。
③ヴァルナとは個人が「生まれ」によって与えられる名称にすぎない。
④バラモンの血の純粋さを示す証拠はなく、人間の肉体・生理・能力などはヴァルナとは関係ない。
⑤人間の価値を決めるのは「生まれ」ではなく、個々人の行為の善悪である。
⑥善悪の行為およびそれによって得られる現世・来世の果報はヴァルナとは関係ない。
⑦出家・精進・解脱はすべてのヴァルナに平等に開かれている。

ゴーカレーによると、出家者の構成は、328人のうち、バラモン134人、クシャトリア75人、ヴァイシャ98人、シュードラ11人、アウトカースト10人。
サンガ内の序列は、具足戒を受けてからの歳、すなわち法臘の順番であり、出家前の出身階級は顧慮されなかった。

釈尊は奴隷が比丘になることを許したが、奴隷所有者の反対を受け、主人の許可を得た奴隷以外は出家させることを禁じたと、律蔵にある。

初期の仏教教団は層が社会に存在することは認め、そのうえで、彼らが正しい信仰を持ち、道徳的な生活を送り、あるいは出家して修行にはげむなら、彼らとバラモンたちヴァルナ社会の成員とに差はなく、宗教的な果報も同等であると主張する。
また、を蔑視する人には、有徳者がチャンダーラであっても、敬意を払うべきであると諭している。

比丘らは奴隷から布施を受け、教えを説いていた。
その教えの内容は、奴隷として生まれたのは前世の業の結果であること、仏道に帰依し、布施の徳を積み、奴隷としての義務を果たすならば、死後は他の者たちと平等に天国あるいは高貴な家柄に生まれ得ること、などを強調したものであったらしい。
しかし釈尊の死後、次第に差別的色彩を強めていき、障害者、犯罪者、不可触民は比丘になることができなくなった。

平岡聡「インド仏教における差別と平等の問題」に、『ディヴィヤ・アヴァダーナ』(10世紀前後の仏教説話集)から、下層民が出家する話を2つ紹介しています。

・スヴァーガタの出家譚
物乞いに身を落とし、散々な苦痛を経験するスヴァーガタが縁あって出家する。
ブッダは彼に蓮華を買ってこさせ、彼にはそれを比丘達に布施するよう命じ、また比丘達には次のように命じる。
「比丘達よ、〔青蓮華を〕納受せよ。一切の芳香は目を喜ばす。彼の〔悪〕業を取り除くべし」
ブッダは布施の功徳でスヴァーガタの「過去世での悪業」を取り除こうとしている。

・プラクリティの出家譚
マータンガ種の娘プラクリティがあることが機縁で出家をする。
当時の僧団としてはプラクリティをそのまま出家させるのは都合が悪いと考えられた。
ブッダは、どんな悪趣〔への業〕も清める陀羅尼によってプラクリティが前世で積んだ悪趣に導く一切の業を余すところなく清浄にし、マータンガの生まれから解放する。
汚れなき者となったプラクリティにこう言われた。
「さあ比丘尼よ、お前は梵行を修しなさい」
ここには浄不浄の観念が見られ、「生まれ」による「汚れ」の思想が見られるが、ここではそれを「陀羅尼で浄める」というステップを踏んでから、初めて出家が許されている。

これらの説話は後代に創作されたものであり、ブッダ在世当時にはなかった考えである。
このようなことは釈尊在世当時に行われていなかったが、時代が下ると、このような人の出家が問題視されるようになり、これらの話に反映している。

なぜ不可触民たちの出家が敬遠されたかというと、社会から非難が浴びせられたからである。
糞尿の除去をしているチャンダーラを出家させたことで、コーサラ国王プラセーナジットは釈尊を非難した。

信者にすれば、僧伽に布施することで功徳を積もうとしたのに、チャンダーラや犯罪者が僧伽にいると、僧伽が清浄ではなくなり、布施をしても功徳にならない。
物質的な援助は信者の布施に全面的に頼らなければならない僧伽としては、信者の機嫌を損ねると布施が断たれることになるので、信者の顔色を窺わざるを得ない。
釈尊は非難されても意に介さなかったが、釈尊の滅後、身分の低い者や障害者の出家が禁止されたり、出家の許可には慎重な態度を取るようになった。


カースト制度と不可触民(3)

2019年04月21日 | 

 4 古代の不可触民  チャンダーラ 
古代インドの諸文献には、「不可触民」という言葉は見られない。
古代では、は必ずしも不可触民ではなかった。
文献にチャンダーラが出てくるのは、後期ヴェーダ時代(BC1000頃~BC600年頃)の末期である。

ウパニシャッド文献(BC800年頃~BC500年頃)に、チャンダーラ、ニシャーダ、パウルサカなど集団の名称が見られ、多くは先住民の部族名に由来するとされる。
これらの未開先住民はアーリア人から蔑視されているが、必ずしも不可触な存在とされてはいなかったようである。
層を一括して「第5のヴァルナ」として捉える考え方は、古代のインドにおいて萌芽的には生まれていたが、明確な身分概念の形を取るには至らなかった。

不可触民制は紀元前800年頃~前500年頃にかけて徐々に成立した。
この時代は、牧畜を主要な生活手段としていたアーリア人が、ガンジス川の上流域に進出して、農耕社会を完成させた時代である。

動物のやそれに関係した仕事を不浄とし、それを生業とする人間を不可触民とする思想は牧畜生活者の間からは生まれない。
不可触民制の成立と農耕社会の完成との間には、密接な関係がある。
また、輪廻思想が一般化し、殺生や肉食を忌避する傾向も現れ始めている。
先住民の一部は定住農耕社会の最底辺に組み込まれ、死んだ家畜の解体、皮はぎや清掃、汚物処理の仕事をするようになった。

後期ヴェーダ時代は、バラモンが司祭職を独占し、ヴァルナ社会の最高位を確保した時代である。
バラモンによって原始的で素朴な浄・不浄思想が極度に発達させられ、自己の浄性・神聖性を強調するために利用された。
この浄性の強調は、社会の一方の端に不浄と見なされる集団を生んだ。
そしてここに、バラモンを最清浄、不可触民を最不浄とし、その中間にヴァルナ社会の構成員を浄・不浄の度合に従って配列した社会秩序が成立をみた。
はチャンダーラを最下・不可触とし、可触に向かって不浄性の度合いを弱める複雑な一連の血縁集団から構成されていた。

この時代は、ガンジス河の上・中流域で領域国家が形成されつつあった。
これらの国の支配をしたクシャトリアも、バラモンが唱道するヴァルナ制度を受け入れることを得策と考え、政治の面から不可触民制の形成に一役を買った。
不可触民の存在はヴァルナ社会の生産階級であるヴァイシャ・シュードラ層の不満をそらせ、ヴァルナ社会の安定的維持を約束するものであった。

不可触民、あるいはそれに準ずるとされたのは、アーリア農耕社会の森林地帯で狩猟採取生活をおくる部族民だった。
彼らの中には農耕文化を採用し、4ヴァルナのいずれかに編入された者も多かったが、そうした道に進むことのできなかった者たちが、差別を受けながらアーリア社会にとって不可欠な役割を果たす集団となった。

厳しいシュードラ差別が現実のものではなかったのに対し、層の最下層にあるチャンダーラへの差別は実際に行われていた。
チャンダーラは一般の住民からは区別され、都市や村落の外側に一段となって住んでいた。
仏典の中で、チャンダーラの仕事は死刑の執行、動物の屍体処理、暗殺者として描かれている。
村や町の清掃、土木作業、不浄物の清掃、皮革加工などに従事する者もいた。
死者の衣を着衣とし、再生族が地上に置いて与えた食べ物を壊れた容器を使って食べ、特別に定められた標識を身につけて歩いていた。
チャンダーラに触れたり、言葉を交わしたり、見たときには穢れを受けるので、浄化儀礼をしなければならないとされた。

ジャータカには、釈尊の前生でチャンダーラの家に生まれて、さまざまな差別を受けたという話がある。

バーラナシーの長者の家にディッタマンガリカーという名の娘がいた。ある日のこと、マハーサッタ(釈尊の前生)は、ある仕事をするために都に入ったところ、城門の内側でディッタマンガリカーの一行に出遭ったので、道の片側に身を寄せてじっと立っていた。ディッタマンガリカーは、幕の中から外を眺めていたが、彼を見つけて「あれは誰ですか」と尋ねた。「お嬢様、チャンダーラです」というのを聞いて、「見るべきではなかったものをついに見てしまった」と言って、香水で目を洗い、そこから引き返した。伴の者たちは怒りに我を忘れ、マハーサッタを手や足で打ち蹴り、気絶させてから去って行った。(山崎元一『古代インドの差別』)

法顕(5世紀初め)は「チャンダーラは悪人と名づけられ、一般の人びととは離れたところに住み、彼らが城市に入るときには、自分で木を撃って異常を知らせる。住民はただちにそれを知り、チャンダーラを避けるので、互いに突き当たることはない」と記している。

 5 中世の不可触民
「不可触民」という言葉の初出は『ヴィシュヌ法典』(100年頃~300年頃)であり、『カーティヤーヤナ法典』(5~6世紀)になると不可触民規定がさらに明確となる。
この頃、4ヴァルナと不可触民という身分概念が成立し、5ヴァルナ体制が成立したと考えられる。

不可触民という身分概念は中世において本格的に成立したもので、古代のあるいは被差別民と直結するものではない。不可触民に属するとされるカーストの多くは、もともと「山の民」であり、中世後期になっても完全には農耕社会に吸収されてしまわず、山城の兵士、駐兵所の番役など、一般に不可触民という言葉からイメージされるのとはかなり異なる存在形態をもっていた。また、不可触民として農耕社会に吸収された人々も、単に差別されるだけの存在ではなく、地母神信仰の世界においてはバラモンにまさる精神的権威を保持しつづけていた。(小谷汪之『不可触民とカースト制度の歴史』)


アル=ビールーニー(11世紀)は、シュードラの下に8つのカースト的集団があり、その下にはチャンダーラを含む4つの集団が存在していると書いている。

古代の不可触民制と、近現代の不可触民制との相違点。
1 近現代では不可触民カーストの数や人口が多いのに対し、古代では不可触視される者はチャンダーラなどの一部にすぎず、人口比も少なかった。
2 古代ではチャンダーラを含む各種が部族組織を保ちながら、まとまった集団として農耕社会の周縁部に居住していたのに対し、近現代においては各村落の周縁部にいくつかの不可触民カーストに属する者たちが、それぞれまとまって居住している。
3 近現代の不可触民の多くが、伝統的な職業に従事するほか、農繁期の農業労働提供者となっているのに対し、古代ではチャンダーラなどが村落の生産活動に直接参加することはなかった。

山崎元一「古代インドの差別と中世への展開」(『インドの不可触民』)に、古代の不可触民制(チャンダーラ差別が中心)から、中世の不可触民制(村落に分散定住した多数の不可触民カーストに対する差別)への展開として捉えていいだろうとあります。
1 農耕社会の拡大によって、狩猟採取の場を失った部族民の中で、農耕民化できなかった者たちが、農耕社会の周辺で、農耕社会に必要な補助的労働(不浄視される労働)を提供しつつ生活することを余儀なくされた。
2 地方分権的な封建的支配体制が成立し、都市の商業が衰えて地方的経済単位が形成された6~7世紀以後に、村落の再編成が進み、自給自足性の強い村落が徐々に形成された。その過程で、カースト的職人集団が分裂し、村落に分散定住した。不可触民・諸集団も村落再編成の進行にともない、部族組織をカースト組織に変えて、各村落に分散定住した。
3 バラモンによって、浄・不浄思想がいっそう発達させられ、多数のカーストからなる村落に上下関係の秩序がもたらされた。従来、必ずしも不可触視されていなかった階層のや職人を不可触視する傾向が見られるようになった。されに、不可触民カースト相互の排他性も強まった。
4 不可触民の存在は、村落内部の不平等に起因する緊張関係をゆるめ、村落に一定の安定をもたらした。不可触民制の発達は、支配者や土地所有者の期待に応えるものだった。


カースト制度と不可触民(2)

2019年04月13日 | 

3 カースト制度の歴史
カースト制度は時代、地域によって大きく違っており、原則はあっても、現実は違っている。

ヴァルナ=ジャーティ制としてのカースト制度は、ヴァルナ制の成立を前提として、そのうえにジャーティと総称される、さまざまな人間集団が広範に形成された時、はじめて成立するものである。
ヴァルナとジャーティの概念的区別が未確立の古代インドにおいては、カースト制度は成立しえない。

カースト制度の大枠であるヴァルナ制は、アーリア人農耕社会が成立した後期ヴェーダ時代(BC1000年頃~BC600年頃)にガンジス川上流域で成立し、『マヌ法典』(BC200年頃~AD200年頃)などのヒンズー法典により理論化され、インド各地に広まった。
ジャーティもヴァルナ体制のもとで発展した。

カースト制度が形成されたのは、7世紀から12世紀にかけての、インド中世社会形成期のことである。
そして、イギリスによる植民地支配下、およびインド独立後に大きな変容を示した。
カースト制度の歴史にとって、インド古代史はその前史ということになる。

前期ヴェーダ時代(BC1500年頃~BC1000年頃)には、外来者である支配者と在来住民というおおまかな区分しかなかった。
4ヴァルナ制の枠組みが形をなすのは、アーリア人が農耕社会を完成させた後期ヴェーダ時代の半ばころである。

バラモンは司祭職と教育職(ヴェーダの教育)を独占する。
クシャトリアは政治と軍事を担当する。
ヴァイシャは農業、牧畜、商業に従事する庶民階級。
シュードラは隷属民。
シュードラの下に階層が存在し、その最下層にチャンダーラが位置していた。

『ジャータカ』(BC3世紀頃)では、貴い生まれ(ジャーティ)、家柄(クラ)はクシャトリヤとバラモン、卑しいのはチャンダーラ、プックサと区別されており、ヴァルナ以下のチャンダーラ身分が古代においてすでにあったことがわかる。

上位3ヴァルナはアーリア社会の正式構成員で、再生族と呼ばれ、バラモンの指導する宗教に参加する資格をもつ。
シュードラは一生族で、原則論では、シュードラは上位3ヴァルナに常に奉仕しなければならず、アーリア人の宗教への参加を完全に拒否されている。
シュードラの大部分はアーリア人の支配下に置かれた先住民で、アーリア人の一部がシュードラに加えられていたが、その割合は少なかった。
結婚は、同じヴァルナに属する男女の間で行われるのが原則である。

もっとも、ヴァルナ制は成立の当初より理論と現実の間の矛盾に満ちており、バラモンは現実の生活の場において、原則を適当に修正したり、ゆるめたりしていた。
再生族は儀礼的な浄性が求められたから、シュードラの料理したものを食べたり、シュードラの手から与えられた水を飲むことは、原則として禁じられている。
しかし、日常生活でシュードラ差別を貫徹することは不可能だから、抜け道によって現実との妥協をはかった。

『ジャータカ』などに見られる当時の社会生活の中で、ヴァイシャとシュードラはあまり区別されておらず、シュードラ差別の様子も見えない。
ヴァイシャとシュードラは自らを「ヴァイシャ」「シュードラ」と呼ぶことも、他者から呼ばれることもない。
それぞれ1つのまとまった社会集団として機能することはなく、両ヴァルナの区分も明確なものではなかった。
日常生活においては富裕か貧困かが問題とされ、差別も現実に即した形で行われた。
バラモンの地位も相対的に低下している。

仏典には「たとえシュードラであっても、財産、穀物、銀、金によって富むならば、クシャトリアもバラモンもヴァイシャも、彼より先に起き、後に寝、いかなる仕事でも進んで勤め、彼の気に入ることを行い、お世辞を言う」と表現している。
『マヌ法典』には、シュードラ差別の原則と、現実との妥協をはかった規定が見出される。

時代が下がるにしたがって、次第にヴァイシャとシュードラとの区別がいっそう曖昧化し、シュードラを排除した「アーリア(再生族)社会」の観念が後退し、シュードラを加えた「ヒンドゥー社会」の観念が前面に出てきた。
バラモンは伝統的なシュードラ観の変更を余儀なくされ、農村に住むバラモンはシュードラのために冠婚葬祭などの儀式を執り行い、その報酬で生活を支えなければならなかった。
バラモン教からヒンドゥー教への展開とともに、宗教上のシュードラ差別は実体をますます失っていく。

インド中世の7世紀以降、ヴァルナの意味内容に変化を見せていった。
ヴァイシャは庶民を意味していたが、もっぱら商業に従事する集団に限定され、シュードラは隷属民だったが、農耕、牧畜、職人が包摂されるようになった。
玄奘(7世紀)は、ヴァイシャ=商人、シュードラ=農民という対応関係を記している。

ヴァルナ制の枠組みを固定化するために浄・不浄観が強調され、その結果、隷属下層民のある集団がヴァルナ制の枠組みの外へ排除され、排除された人々は不可触民として位置づけられていく。
不可触民制が発達して不可触民の数が増大し、古代のシュードラ差別のかなりの部分が不可触民差別の中に吸収されていった。

アル=ビールーニ(11世紀)は「ヴァイシャとシュードラとの間にはそれほど大きな違いはない」と記している。
ジュニャーネーシュヴァラ(12世紀)は、シュードラの義務として、再生族への奉仕、芸能、耕作、牧畜、商業を挙げている。
今日のインド社会では一般に、ヴァイシャは商人のヴァルナとされ、農民はシュードラに属するとされている。

シュードラ(奴隷)と不可触民の違いがわからなかったのですが、これで納得しました。


カースト制度と不可触民(1)

2019年04月02日 | 

カビール・カーン『バジュランギおじさんと、小さな迷子』で、迷子になった6歳の女の子の世話をしている主人公が、女の子は色が白いのでバラモンだとうれしそうに言います。
カーストのこだわりが今も強いことに驚きました。
ちなみに、ハヌマーン神の熱心な信者である主人公を演じたサルマン・カーンはイスラム教徒。



ということで、カースト制度のことを知りたいと思い、何冊か読みました。
山崎元一『古代インド社会の研究』
小谷汪之編『インドの不可触民』
小谷汪之『不可触民とカースト制度の歴史』
藤井毅『インド社会とカースト』など
池田練太郎「仏教教団の展開」(『新アジア仏教史 2』)など。

1 カースト制度とは
カーストという言葉はポルトガル語で、血筋、人種などを意味する。
カーストに対応した概念はヴァルナとジャーティとされ、ヴァルナ=ジャーティ制度ともよばれる。
すべてのジャーティがヴァルナの枠組みの中に位置づけられ、上下に序列化された社会制度のことである。
ヴァルナ制はバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの種姓と不可触民を基本的枠組みとする身分秩序。

バラモン 祭祀階級
クシャトリア 王と一族、戦士
ヴァイシャ 庶民、主に商人
シュードラ 奴隷、使用人、農民、職人
不可触民(アウトカースト)

ジャーティは、食事を共にし、通婚を許容し、職業を継承する集団。
ヴァルナとジャーティの関係、ジャーティの意味は時代や地域によって大きく異なる。
ジャーティのことをカースト制と書いている人もいます。

山崎元一氏によるカースト(ジャーティ)制度の特徴。
①各カーストは内婚集団であり、飲食物と共同食事に関する諸規制をもち、構成員はカースト固有の職業を世襲する。
②カースト間には、バラモンより不可触民に至る上下の儀礼的階層序列が存在する。
③浄・不浄の観念と業・輪廻の観念とが、カースト制度を思想的に支えている。

ヴァルナが、現実の生活に直接かかわる社会区分というよりは、理念的・宗教的な立場からする社会階層の大区分であるのに対し、ジャーティは、住民の日常生活と直接結びつき、地域社会において独自の機能を果たす閉鎖的・排他的な集団を意味しているそうです。

2 古代インドの歴史区分
山崎元一『古代インド社会の研究』では、古代インドを以下のように時代区分します。
①初期ヴェーダ時代(紀元前1500年頃~前1000年頃)
アーリア人がアフガニスタンからインダス川上流のパンジャブ地方に侵入し、牧畜を主として農業を副とする生活に入った時代。
4ヴァルナの区分は存在していなかった。

②後期ヴェーダ時代(紀元前1000年頃~前600年頃)
アーリア人がガンジス川上流域、デリーあたりに進出し、先住民を征服し、農耕社会を築いた時代。
社会を区分するヴァルナ制が成立した。
被征服民の多くはシュードラと位置づけられた。
人間を不可触視する観念が生まれ、ヴァルナ社会の周縁に存在する未開民の一部が不可触民とみなされるようになった。

③後ヴェーダ時代(紀元前600年頃~前320年頃)
アーリア人がガンジス川中流域に進出し、政治・経済・文化の中心となった時代。
コーサラ国、マガダ国などが成立し、商人階級の活動が盛んになり、都市が発展した。
先住民はヴァルナ社会に編入され、先住民の有力者からも、クシャトリアやバラモンに加えられる者がでた。

④マウリヤ時代(紀元前320年頃~前180年頃)
統一国家が建設された。

⑤後マウリヤ時代 紀元前180年頃~320年
各地に地方政権が興り、西北インドに中央アジアから侵入が相次ぐなど、政治的に不安定な時代。
都市の商工業活動が盛ん。
正統派のバラモン教が王朝の保護下に復活し、ヒンドゥー教が形成された。
大乗仏教の成立。

⑥グプタ朝(320年~550年頃)
インド古典文化の黄金時代。
ヒンドゥー教が隆盛したのに対し、仏教は衰退の傾向を見せはじめる。

⑦後グプタ時代(550年頃~1206年)
群雄の割拠する分裂状態。
都市の商工業は衰え、村落を基盤としたヒンドゥー教が栄え、都市の住民によって支持されてきた仏教は衰退した。


内田樹・福島みずほ『「意地悪」化する日本』

2019年02月27日 | 

財務省の文書捏造、失踪した外国人技能実習生調査の集計ミス、厚労省の勤労統計不正など、次々と問題が発覚しています。
ところが、大臣も政治家も官僚も、不祥事や不正がばれたり、どんな失言・暴言をしても、頭を下げておしまい。
なのに、内閣支持率は40%前後を保っています。
働き方改革や入管法改正、カジノ法案などが強引に採決されましたが、一つひとつの法案は反対の人のほうが多いのにもかかわらず。
そんなんだから、国民はどうせすぐ忘れるんだと、政府はなめきっているのか、誰も責任を取らないし、誰も辞めない。

安倍首相が自民党大会で「自衛隊の新規隊員募集に対し、都道府県の6割以上が協力を拒否している」と演説しましたが、岩屋毅防衛相はそれ以上の自治体から情報提供を受けていることを認めました。
どうも日本会議のチラシを鵜呑みにしたらしいですが、意図的に嘘をついたのか、勘違いなのか、資料が間違っていたのか、そこらの検証はなし。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20190216-00115067/

『「意地悪」化する日本』は2015年の4月から9月にかけて4回行われた対談。
内田樹さんの発言をご紹介します。

僕の知る限り、過去にこんな政治家はいませんでした。嘘をついたり、詭弁を弄したり、人を侮ったりするという行為を意図的に行って政治的基盤をより強固にしてゆくという政治家は前代未聞じゃないですか。

ボロクソですが、実際、国会審議を見てたら、質問とは関係のないことを長々話す、突っ込まれたらムキになる、キレる、質問にヤジを飛ばす……。
こんなのを見ても支持する人の気が知れません。

個別の政策は支持しないが、内閣は支持するというのは、この支持者たちが政策ではなくて、安倍晋三というキャラクターに対して「何か」を期待しているということだと思うんです。彼の中の「何か」が有権者たちにアピールしている。

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamaguchikazuomi/20190216-00115067/
「何か」とは何でしょうか。

安倍晋三首相や橋下徹市長(当時)は「常識が通用しない人」。

二人(安倍首相と橋下徹氏)とも、幼児的で攻撃的で不寛容、中学生的基準での「悪い子」なんです。食言をいとわない点もよく似ている。あの人たち、首尾一貫性を維持しなければ自分の知的誠実さが疑われると思っていない。言葉なんか、ただのその場しのぎでいいんだと思っている。

総理大臣も市長も、平気で嘘をつく。呼吸をするように嘘をつく。あまりに嘘をつき続けるので、検証が追いつかない。

安倍さんや橋下さんは、別に言うことに首尾一貫性がないと指摘されても痛くもかゆくもない。

たぶん三カ月後に聞いても覚えていないですよ。安倍さんは、彼は確信犯的に首尾一貫性のないことを言っているんですから。論理的整合性がないということをいくら指摘しても、気にならない。(略)
たぶん安倍さんにとっては、言った言葉のもたらす政治的効果だけが問題で、真偽には関心がないんです。「まったく問題ありません」と言い切って、それでその場がおさまるなら、そのあとどれほど問題が噴出してきても興味はない。その問題はまたそのときに適当な嘘を言えばおさまると思っているから。

平気で嘘をつく人は誰からも相手にされなくなるのが普通なのだが、今の日本はそうではなくなっている。

彼ら(安倍、橋下、石原慎太郎)は嘘でも平気で断定する。そうすると聴くほうはこれほど自信たっぷりに言うからには何か自分たちの知らない根拠があるんだろうと、つい気後れしてしまう。

こういう人とはまともな議論できない。

嘘をついても、データをごまかしても、前後に言うことに矛盾があっても、とにかく相手を黙らせば「勝った」と思っているような相手とは議論にならない。この二人は異論と対話する気がない点ではほんとうによく似ています。

彼らのような確信犯的な反知性主義者たちを前にすると、ロジカルに語ること、エビデンスのないことは断定しないこと、できるだけ相手に理解してもらえるように情理を尽くして語ること、そういったことを対話の基本ルールだと思ってきた人たちは勝負にならないんです(略)。「自分だけがしゃべって、相手には話させない」「質問には答えない」「自説の論拠として嘘のデータをあげる」「自分がほんとうに思っていることは言わない」ということを基本戦略とする人が相手では対話の成り立ちようがない。

そして、こう思う人が出てくる。

この「どうしても対話が成り立たず、あっけにとられている」人の困惑ぶりを見て、「論破された」とか「一蹴された」とかいうふうに判断する人もいる。

日本人の感性が変わったのかもしれない。

今では政治家には一般人と同等の徳性しか要求されない。むしろ、一般人以下的に不道徳である人間のほうが、場合によっては「親しみが持てる」として高く評価されたりする。
公人に対するこの期待の変化、自分たちを統治する人間に特段の教養も見識も人格も求めないという人心の変化が、こういう政治家たちを権力の座に押し上げたんだと思います。
彼らは平気で嘘をつき、口汚く人の罵倒し、自分の権力を利用して個人的な恨みを晴らすといったことを「当然のこと」としてどんどん実践した。そして、その「ルール破り」が橋下徹をいっそう人気者にした。安倍さんは橋下さんのこの成功例を学んだのだと思います。

国会をも軽視している。

安倍さんには、自分が何をしたいのかを情理を尽くして伝えたいという気持ちはない。にもかかわらずというか、それゆえに、政治的には成功している。彼があれだけ国会を愚弄して、何の論理性もない滅茶苦茶な答弁をしていても、それが総理大臣の答弁として通用してしまうという事実そのものが、立法府がもはや国権の最高機関ではないということを満天下に周知させているからです。

国会軽視の一例が、安倍首相は立法者ではないにもかかわらず、アメリカの議会で「夏までには法案を成立させます」と、国会に上程してもいない法案の制定を約束するという、自分が法の制定者であるかのような発言をしたことです。

法の制定者と法の執行者が同一である政体を「独裁」と呼びます。その定義に従えば、国会への法案上程に先立って制定を既成事実であるかのように語ったとき、安倍首相は「独裁」を宣言したことになります。
その後実際に安倍総理は、法の制定者たる国会にはもう立法者としての実力がないことを、あらゆる手段を尽くして国民に周知徹底させ、それに成功しました。

どうして与党の議員が反発しないのか不思議です。

本来であれば、一度口にしたことはそのあと人間を拘束する。それが人倫の基礎だと思うんです。みんなが平気で前言を翻し続けていたら、人間社会は成り立ちませんよ。特に頽廃を感じるのは、平然と約束を破り、嘘をつく人たちが、そういうことをしても処罰されないというという事実そのものを彼らの権力の確かさの証拠として誇示していることです。一度権力の座についた人間は「どれほどルール違反をしても罰されない」ということを、彼らは彼らの言動を通じて日々アナウンスしている。
権力というのは、ただ権力があるというだけでは機能しないんです。理不尽な行動をしても誰もそれを制したり処罰したりすることができないという事実によって初めて人々は「この人は権力者だ」と理解する。


実際、何をしようが支持率は下がらないし、議席も減らない。
内田樹さんは「こんな不条理なこと、いつまでも続かないですよ。盛者必衰の理です。安倍さんはいくら何でも図に乗りすぎです」と言い、シールズの活動を例に上げ、若者たちや母親たちに期待しています。

しかし、2016年の参議院選挙では若い世代の多くが自民党に投票しました。
今も若い世代の安倍政権支持率は高いです。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html
もしも戦争になったら自分たちが戦場に行くかもしれないことがわかっているのかと思います。

内田樹さんは、安倍首相は戦後の対米従属を否定して、大日本帝国と同じような国家に作り直そうと思っていると言ってますが、それはどうでしょうか。
トランプ大統領のご機嫌を取ってばかりで、トランプに頼まれてノーベル平和賞に推薦しています。
このごろはプーチン大統領にも何も言えない(言わない)ようです。

「忖度」という言葉がこの対談に何度も出てきます。
森友・加計問題で話題になる以前から官僚は忖度しているわけです。

この本が出版されてから3年以上経ちましたが、ひどくなっています。
安倍政権・自民党に不満を持つ人も自民党に投票します。
自民党政権が続く限り、このやりたい放題の政治状況は変わりようがないのだから、少しでも変えなければと思うのなら、与党以外の政党に投票して議席を減らすべきだと思うのですが。

アマゾンのレビューを見ますと、☆1つは福島みずほさんへの非難ばかりで、内田樹さんの安倍評価には触れていません。
☆1つの人でも安倍首相は嘘つきだと思ってるんでしょうか。


たばこ総合研究センター編『現代社会再考』(3)

2019年02月13日 | 

たばこ総合研究センター編『現代社会再考』には、れれれと思う論説はいろいろあるけれども、帯津良一「守りの養生から攻めの養生へ 健康とは「自由」のことである」のトンデモさには兜を脱がざるを得ません。
たばこ総合研究センターはどうしてこんな人に原稿を依頼したのかと思います。
こんな感じです。

20世紀は、外に目を向ければ、常にどこかで紛争が起こっているし、内に目を向ければ従来の価値観が随所で崩れて、いささか殺伐たる様相を呈している。
一言でいえば地球という「場」のエネルギーが低下している。
『場』の養生塾」を発足させ、養生を果たしていく人材を一人でも多く輩出することによって地球という場のエネルギーを高めよう。

21世紀は生命の時代です。焦点を合わせるのは身体ではなくて、内なる生命場です。生命場のエネルギーを日々勝ち取っていくという、より積極的で「攻め」の養生です。
攻めの養生の原動力はときどき起こる生命場の小爆発です。小爆発によってエネルギー値が一気に上昇するのです。そして、この小爆発の引き金は心のときめきです。だから、心のときめきは攻めの養生になくてはならないものなのです。
そして、死ぬ日を最高にもっていき、その勢いを駆って死後の世界に突入するのです。攻めの養生に終わりはありません。


目標の一つは青雲の志。
青雲の志とは、本来は聖賢の人になろうとする志。

中国の古代では、立身出世をする人は、すなわち聖賢の人だったのではないでしょうか。私自身は聖賢の人とは、まず行住坐臥、いつでも内なる生命場のエネルギー、つまり生命が溢れ出ている人ではないかと考えました。
どういうことかというと、私たちが攻めの養生を果たして向上していくときの推進力は前述したように時に起こる内なる生命場の小爆発です。小爆発をして体外に溢れ出る。これによって、一気に生命場のエネルギーが高まる。いってみれば物理学でいう「励起」の状態が起こるのではないでしょうか。
その小爆発がいつも起こって生命が常時溢れ出ている人を聖賢の人としたわけです。(略)
私たちは、たとえ病のなかにあっても、攻めの養生を果たしていくわけなのですから、向上していくことを忘れてはならないのです。しかも病は一つのストレス、一つの困難ですから、これを克服するために、健康な日常以上の努力をしなければなりません。それだけに得られる位置取りも健康な日常で得られるものよりはるかに高いものとなります。
こうして病のたびに位置取りを上げて行って、最終に死に直面したときは、死と同じ地平に立つ。同じ地平に立てば、もはや、死は怖いものではなく、まったくの平常心で死後の世界に入っていくことができるようになるのではないでしょうか。ここに病の本来の意味があるような気がしてきました。だから、生老病死という順序になっているのではないでしょうか。


この手の話が好きな人は物理学の用語を使いたがります。

私たちの体内には電磁場もあれば重力場もありますが、その上に、より生命に直結した物理量も存在して、全体として一つの生命場を形成していることは十分に予想されることです。
その生命場のエネルギーが「生命」。なんらかの理由で、そのエネルギーが低下したとき、これを回復すべく本来的に生命場の備わった能力が「自然治癒力」。そして、生命と自然治癒力が統合されたものが「生命力」とこれまで考えてきました。
つまり、自然治癒力とは「場」があれば必ずそこに存在するのです。人間の独占物ではありません。これで、自然治癒力の在り処はわかりました。あとはその本体です。


ここまでは、ああそうですかですむ話ですが、問題はこの次です。

場があればそこには必ず自然治癒力が在るとして、生命力の一番高い場はどこか? それは「浄土」ではないかと突然閃いたのです。浄土は何処に? 浄土を探せば自然治癒力が見えてくるのではないかとばかり浄土を探しました。
そして行き着いた処。それは畏友本多弘之さん(親鸞佛教センター所長)の浄土でした。浄土とは「本願」の場である、と本多さんはいいます。そうか、浄土とは一切の衆生を救おうとする阿弥陀さまの願いの満ちみちている場だったのです。そして、阿弥陀さまは決して依怙贔屓をしないでしょうから、今ここが浄土だったのです。
そして、何よりも自然治癒力とは阿弥陀さまの本願のことだったとすると、これは科学で明らかにできるものではなく、当分は信じていくしかないものだとわかりました。

こんなところで本多弘之氏の名前を目にするとは。

本願の場に身をまかせながら、内なるかなしみで慈しみ育てていくことが自然治癒力を喚起していくことだとすると、これはまさに他力と自力の統合ではないでしょうか。そうです。自然治癒力とは他力と自力の統合のなかで育まれていくものなのでしょう。
さらに、他力と自力の統合を考えるとき、心のときめきを感じるのは私だけでしょうか。心のときめきは必ず内なる生命場の小爆発を惹き起こします。攻めの養生を果たしていく上での大いなる推進力です。がん治療の現場での長い経験のなかで、心のときめきこそ医療と養生の要諦であると思うようになってきました。


私には妄言としか思えません。
こんな親鸞理解をする帯津良一氏を親鸞仏教センターの講師などに招くことは、帯津良一氏の考えに東本願寺がお墨付きを与えることになります。
本多弘之氏は帯津良一氏の本願理解、浄土理解をどのように説明するのか、ぜひお聞きしたいものです。


たばこ総合研究センター編『現代社会再考』(2)

2019年02月07日 | 

たばこ総合研究センター編『現代社会再考』の論考の中には、れれれっと思うものもあります。

武田邦彦「持続可能社会と嗜好品」
石油や石炭などの化石燃料がなくなるのは一万年後、ほとんどの鉱物資源は千年はもつ。
地球の温暖化はまったくのうそ。
仮にそうだとしても、資源をいくら消費してもいいということにはなりませんが。

奥村康「不良長寿のすすめ」

コレステロールは肝臓と脳でつくられます。全体の20%は脳の細胞でつくられ、脳で使われている。だからコレステロールが低い人は脳の回転が悪いかもしれません。また、すべてのホルモンはコレステロールからできている。セックスに関するホルモンもそうですから、コレステロールが高い人はスケベです。スケベなやつは頭の回転が速く、仕事もできる。それは確実に比例します。

女性は閉経後に必ずコレステロールが上がるから、コレステロール降下薬の7割は女性が飲まされている。
ということは、閉経後の女性はコレステロールが高くなってスケベになり、頭の回転が速くなるのでしょうか。

たばこは体にいい点がいろいろあるそうです。
脳細胞のネットワークづくりを促進するのがニコチン。
だから、たばこを吸うと記憶がよくなるし、たばこを吸う人はボケが少ない。
そして、たばこが気管支に悪いというのはウソで、たばこを吸う人は風邪を引きにくい。
たばこが適当な刺激になって、免疫が上がっている。
自殺者2000人くらいを調べたところ、たばこを吸う人が1人もいなかった。

たばこは自殺防止にも役立つのではないか。


スギ花粉症は、非常に精神・神経状態の影響を受けやすい。
重罪犯の刑務所の医師に、花粉症はいないだろうと聞いてみたら、「受刑者には少ない。でも看守にはたくさんいます」との返事。
テレビに映るとアドレナリンが出るので、鼻水もくしゃみも止まってしまう。
重罪犯もアドレナリンが出やすい人たち。

気合いが入っていたら、あんなものはぶっとばせるんです。ゴルフでも、ドライバーを打つ最中はくしゃみは出ないでしょう。

アドレナリンが出っぱなしというのは体にいいとは思えないんですが。
言いたい放題という感じがします。

春日武彦「中腰という生き方」
精神科に入院している患者はたばこを許される。
しかし、安いたばこを1日100本吸っている患者が肺がんになったという話は聞いたことがない。

私の個人的な仮説ですけれど、もしかしたら統合失調症はがんを阻止するなんらかの要素があるんじゃないか。

ネットで調べると、1909年に統合失調症の患者のガンの罹患率は一般の人より低いと報告されているそうですが、逆に高いという研究もあります。
https://www.carenet.com/news/general/carenet/43212 


たばこ総合研究センター編『現代社会再考』(1)

2019年02月04日 | 

『現代社会再考』は、健康とリスク、あるいは自由と管理・規制などについての23人の論考。
一般常識に文句をつけるへそ曲がりとも思える論には、なるほどとうなずくものが多々ありました。
いくつか紹介します。

清水雅彦「強まる監視と管理、何が問題なのか」
安心と安全は別概念。
安全は反対語が危険であるように、客観的な概念。
安心は反対語が不安・心配であるように、主観的概念だから、人によって感じ方が違う。
ところが警察は不安感を煽り、安心を追求するように言う。
防犯カメラというが、実際は監視カメラで、実際の機能は犯罪抑止効果よりも犯罪解決効果のほうが高い。

監視強化の背景にあるのは何か。警察には、すべての国民の情報を収集して監視したいという欲求がある。セキュリティー業界は、監視社会化が進めば進むほど儲かるので、マスコミや警察を使って不安感を煽っている。(略)警察、セキュリティー業界、それにマスコミが一体となって今の監視社会がつくられているわけです。

あいさつ運動は不審者の発見のためだそうで、これは知りませんでした。
挨拶を返さなかったら不審者と思われるのでしょうか。

個人情報についてうるさくなっており、マンションの集合ポストに名前を出さない人が多い。
ところが、自ら個人情報を垂れ流している。
クレジットカードやポイントカードなどを使って買い物をすると、どこで何をいつ購入したかという情報が記録される。
携帯電話は位置情報を発信している。
高速道路の料金所を車が通過するたびにナンバーが撮影される。
そうしたことには無頓着。

佐藤卓己「世論に流されず、輿論を担う」
輿論(パブリック・オピニオン) 意見
世論(ポピュラー・センチメンツ) 感情

以前、世論調査は、何週間も前に質問票を送り、あらかじめよく考えてもらい、調査員が足を運んで聞き取りをしていた。
今はコンピューターがランダムに選んだ電話番号に電話をかけ、その場で答えてもらう。
急に質問されて、自分の考えなど言えるはずがない。
昔は2~3000件の回答を集めるのに数千万円かかったが、現在は数百万円ですむ。

JT関係から出版されているので、たばこを吸う自由、喫煙と健康との関係とかを言いたいのだと感じるものもあります。

瀬戸山晃一「法政策について考える」
人にはバイアスがあって、これが正しいとか間違っているとか、合理的な判断をしていると思っていることも、今までの自分の経験だったり、メディアの影響だったり、環境から影響を受けるなどしているから、事実をありのまま受け取らない。

リバタリアン 自由至上主義者。個人の自由を尊重する。規制をしない。アメリカの保守派。
パターナリズム 個人の選択や行動を規制する。
リバタリアン・パターナリズム 選択肢の余地を残して、最終的には本人に自己決定させる。

たばこの喫煙がこれにあたるそうです。
喫煙するかどうかは本人の自己決定だと言われても、受動喫煙とかどうなのかと思います。
リスクについての論考も喫煙とガンのリスクを言いたいように感じます。

宮本太郎「分断社会の処方箋」
1995年は阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件があった。
そして、単身者世帯が1000万世帯を突破し、共働き世帯が片働き世帯を追い抜き、生産年齢人口が減少した年でもある。
30台前半の男女の未婚率が急激に上昇するのも1995年。
生活を成り立たせている仕組み、その根幹のところが崩壊を始めるターニング・ポイントだった。
それは「新しい社会的リスク(従来の制度が前提としたライフスタイルの転換に起因する想定外のリスクのこと)」の出現を意味する。
それまで典型とされてきた生活の仕組みが変わることによって新たなリスクが生じた。

松永和紀「安全か危険かではなくリスク管理を」
食品に関して、昔は安全だったと考えがちだが、現代は見えている悪いものが、昔は見えなかった。
リスクの要因を科学は見えるようにした。
新しいリスクの要因となりうる技術はきびしく管理され、全体として安全性は向上している。
しかし、すべてにリスクがあり、決してゼロにならない。
科学は必ず不確実性を伴い、100%正しい答えはない。
安全か危険か、白か黒かとはっきり言えない。
たとえば、水道水には放射性物質のリスクがある。
しかし、ミネラルウォーターのヒ素含量などの基準は水道水よりも緩い。
ミネラルウォーターを買うとして、子供を家に置いて買いに出かける、もしくは乳児を抱いてスーパーで長時間並ぶというリスクがある。
何が適切な行動か決めるのは非常に難しい。

佐藤純一「健康言説を解体する」

近代医学は「リスク」に対する考え方が非常にいいかげんです。そもそもリスクというのは、さまざまな要素が相互に関連し合って一体となって初めて「リスク」となるのであって、単一の「リスク」が疾病を引き起こすことはあり得ない。

たばこだけがガンの原因ではないということでしょうか。
健康についての論はもっともと思いました。

健康というのは定義できない。
病気がない状態が健康ではない。
医療技術が発達し、検査精度が細かくなれば、どんどん異常を見つけるようになり、健康な人はいなくなってしまう。
優生学的発想から、日本では1910年代から、障害者が生まれないように中絶を強要し、ハンセン病患者は隔離収容された。
健康増進運動は優生政策が形を変えたもの。

ヘルシズム(健康至上主義)とは、人々が健康の達成を自ら進んで心がけ、実践すること。
何のために健康が大事なのか。
戦前までは、健康でないと生活できない、子供を養うことができないなど、生活のため、よりよく生きるための手段として健康が大事だと答えた。
ところが、戦後は多くの人が「健康それ自体が大事だ」と答える。
これがヘルシズムの特徴。
今のヘルシズムは、誰から強制されるでもなく、自ら進んで実践する。
さらに、健康より大切なものはないと、健康が至上の価値になる。
健康のためなら何でも犠牲にして、健康を追求する。

以前、ある人が「健康でなければ幸せではない」と言ってて、健康でなければ生きている価値がないのか、死んだほうがいいのかと疑問に感じたことを思い出しました。

上杉正幸「現代日本社会における健康の価値再考」
2003年、国民に健康増進を責務として課する「健康増進法」が施行された。
1981年、生活の中での不安として「自分の健康」と「家族の健康」を挙げている人が37%。
2009年では、「老後の生活」が55%、「自分の健康」が49%と増えている。
自分の健康が不安だという人は多いが、現在は「健康」「どちらかといえば健康」と答えた人が85%で、病気を抱えているわけではない。
健康の不安は体感治安の悪化みたいです。
何が健康で、何が異常かがわからなくなっている。
異常がないことが健康だとすると、健康を求めてすべての異常を排除しようとする動きに巻き込まれ、健康不安から逃れることができず、生きる意味、やりたいことが見えなくなる。

もっともです。


『子どもが教えてくれたこと』と『濡れた砂の上の小さな足跡』

2019年01月27日 | 



アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアン『子どもが教えてくれたこと』は、動脈性肺高血圧症、ガン(2人)、腎不全、表皮水疱症を抱える5歳~9歳の子供たちのドキュメンタリーです。
http://kodomo-oshiete.com/staff.html

子供たちは元気で明るい。
だけど、時には痛みに泣き出すこともある。
そんな子供たちが「これが人生だ」とか、大人びたことを言うわけです。
自分が死ぬかもしれないことを意識しているのでしょうか。
見てて、この子たちはあと何年生きられるのだろうかと思いました。

監督のアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは「私の4人の子どものうち、残念なことに2人の娘が重大な病気で他界しました」と語っています。
https://www.anemo.co.jp/movienews/report/kodomo-oshiete-3-20180620/
えっと思い、『濡れた砂の上の小さな足跡』を読みました。
3歳8カ月で死んだ長女のことを書いた本です。

2006年、娘の2歳の誕生日に、娘の病気は異染性白質ジストロフィーという遺伝性疾患だということがわかる。
神経系統のすべてを段階的に麻痺させていく病気で、運動機能、次に言語、視覚を失い、何もわからなくなって死んでいく。
死が訪れるのは発症時から2~5年のあいだ。
治療法はない。
この病気は4~16万人に1人の割合でなり、日本には約1万人いるそうです。

病名を告げられた時のことをアンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンはこのように書いています。

さあ立ち上がり部屋を出なくては。なんでもない動作だと思われるかもしれない。でもこれだけのことが、ほかのなにより難しかった。もはや元通りのものなどなにひとつない暮らしへと投げ戻されてしまうのだから。

4歳の息子に妹の病気について伝えます。
両親や友人たちにも。

アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは妊娠していましたが、おなかの赤ちゃんは4分の1の確率で同じ疾患を持っているかもしれないと告げられます。

長女はだんだんと歩くことができなくなり、車椅子になり、しゃべれなくなり、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、食べれなくなって胃瘻にし、動けなくなる。

6月29日に産まれた次女も同じ病気だということがわかります。
骨髄移植でよくなるかもしれないと、次女に骨髄移植をします。
次女は高熱が突然出たりして、すごく大変でしたが、ようやく落ち着きます。
ところが再発しているのがわかります。
2007年、長女は亡くなります。

アンヌ=ドフィーヌ・ジュリアンは2人の子供を亡くしているとのことですから、次女も死んだのかもしれません。
それなのに4人目を産むということは勇気があると思います。
『濡れた砂の上の小さな足跡』が出版されたのは2011年。
2013年に、その後を描いた本が出ているそうです。
翻訳されていないようですが、読んでみたいです。

えっと思ったのが、長女の寝室が両親とは別の部屋だということ。
そして、長女をパリに置いて、夏にサルデーニャへ1週間のバカンスに行っていること。
日本だったらたぶんあり得ないでしょう。

フランス人にとってごく普通のことだとしたら、フランスでは介護疲れによる殺人や母子心中はないかもしれないと思いました。
映画や小説を見ると、フランスやイギリスなどでの安楽死や脳死による臓器移植についての感覚には違和感を感じることがあります。
子供の病気の受け止めや看病・介護についての考えや習慣も日本とは違っているのかもしれません。

小河努「障害者の強制不妊手術と中絶、そして分離と隔離」(「くれんどだより」2019年2月)に、障害者の強制不妊手術問題に対するマスコミなどの動きに違和感を感じるとありました。

新型出生前診断による中絶手術が93%を超え、尊厳死宣言公正証書の作成者も年に2000件を超えている。
そして、支援学級在籍者の増加、公的機関による障害者雇用の水増しということもある。
国民の多くが、障害者が生まれること、妊娠すること、いっしょに暮らすこと、臥床後の人生を望んでいない。
それなのに、障害者の強制不妊手術を批判し、表面的な謝罪で免罪しようとする。

小河努さんの言ってることになるほどと思いました。
障害者が生まれないようにするという点では、出生前診断による中絶は強制不妊手術と同じことですから。


マイケル・モス『フードトラップ』

2018年10月28日 | 

マイケル・モス『フードトラップ』によると、糖分、脂肪分、塩分が加工食品に欠かせない三本柱です。
食べたいという欲求の源となる成分ですが、健康のことを考えると摂取を減らすべき。
しかし、それだと商品が売れなくなってしまう。

ランチャブルズという子供向けの人気商品があります。


https://ameblo.jp/onigawarawin/entry-12242293663.html

1988年に発売されたもので、トレーにボローニャソーセージ、クラッカー、チーズが入っています。
ネットで調べると、こんなの誰が食べるのかというようなシロモノですが、子供には人気があるそうです。

https://ameblo.jp/topicos/entry-12223701402.html

母親たちの最大の問題は時間。
忙しい母親たちは、健康的な食事を子どもに食べさせようと苦心しているが、食べ物を用意する時間がなくなってきた。

母親たちは、悪夢のような毎朝の狂乱について延々と話した。テーブルに朝食を並べ、学校にもたせるランチを用意し、靴ひもを結び、子どもを送り出す。

1955年には女性の38%近くが働いていた。
1980年には51%。
1999年、25~54歳の女性のうち、77%が仕事に就いている。

もう大変。何もかもが大慌て。子どもたちは、あれはどこ、それはどこ、って聞いてくる。私だって出勤の準備をしなくちゃいけない。ランチを3人分用意しなきゃならないのに、どんな食材が残っているかさえ覚えていない。子どもたちは平凡なランチじゃ満足しない。私だって子どもが喜ぶものを持たせたい。それに、私もちゃんとしたランチを食べたい。でも食品棚にまともな材料が残っていないかもしれない。

そこで、子供が喜ぶし、親も楽ができるしというので、ランチャブルズが売れるというわけです。

子供だけではありません。
ベビー・ブーマー世代のスナック消費が増えた理由。
きちんと食事を取ることは過去のものになった。
ブーマー世代は朝食・昼食・夕食という昔ながらの概念を放棄してしまったようだ。
少なくとも、3度の食事はかつてのような日常の習慣ではなくなった。
まず、早朝ミーティングが普及して、朝食が抜かれるようになった。
ミーティングがほかの仕事にも響き、遅れを取り戻すため昼食が抜かれるようになる。
夜は夜で、子どもが野球の練習に参加して帰宅が遅くなる。
それに大学生にもなれば自宅を離れてしまう。
親は次第に夕食を取らなくなる。
しかし、ブーマー世代が空腹を抱えたわけではない。
彼らは食事を抜いた分をスナック類でまかなうようになった。

格差が広がっている。新鮮で健康的な食品を食べるほうがお金がかかる。肥満問題には大きな経済問題が関わっているのだ。そのしわ寄せは、社会的資源に最も乏しい人々、そしておそらく知識や理解が最も少ない人々にのしかかってくる。


日本でも同じような問題があります。
子供食堂がはやっています。
2000か所以上あるとか。
貧困のため食べられない子供、あるいは一人で食事をする孤食の子供に、みんなと一緒に食事をする場を提供していると言われます。
しかし、日曜学校の延長みたいなところもあると聞きますし、子供たちが来ないので集めるのに苦労しているところもあるそうです。
お母さんが忙しかったり、疲れて帰ってきたりした時に、子供食堂を利用する人が多いとも聞きました。
それでも、コンビニ弁当がある日本のほうがいささかましなのかもしれません。